曽我十郎祐成が大磯の虎のもとにかようため通ったといわれる六本松
安元2年(1176年)10月10日、伊豆に流されていた源頼朝を慰めるために催された伊豆奥野の巻狩の帰途、曽我兄弟の父河津三郎祐泰は赤沢山麓の八幡野で、一族の所領争いから工藤祐経の郎党によって射殺された。曽我兄弟はこの仇討ちをすべく18年間に及ぶ艱難辛苦の末、建久4年(1193年)5月28日の夜、頼朝によって富士の巻狩が行われていた西麓井出の仮屋で仇敵祐経を討ち取って本懐を遂げたのである。時に兄十郎祐成22歳、弟五郎時致20歳であった。