ペリー艦隊が見た幕末の「小田原湾」

黒船来航と小田原


嘉永6年(1853)6月8日、アメリカ太平洋艦隊司令長官ペリーの率いる4艘の蒸気船が浦賀沖に姿をあらわした。黒船と呼ばれるこの異国船の来航は、長い間鎖国の夢をむさぼっていた幕府を震撼させた。ペリーの遠征隊は、相模湾小田原沖を通り、江戸湾に向かった。

(岩崎宗純)

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UK07-001-072
ウィリアム・ハイネ
小田原湾(BAY OF WODOWARA)

近代日本の夜明けを告げる大事件を記録した画集に小田原の地名が登場する点が注目される。



UK07-002-073
東州勝月
米船渡来旧諸藩士固之図
大錦三枚続横絵 明治22年(1889)

相模湾沿岸に領地を有する小田原藩にとって海岸防備は緊急の課題となった。真鶴をはじめ5カ所に砲台が築かれ、藩士たちは、幕府の命令で海岸防備のため、下田、浦賀へ出動した。
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