史跡 ・大久保一族の墓所

大久保一族の墓所(市指定 昭和39年5月27日)

所有

小田原市城山4−24−7 大久寺

所在

小田原市城山4−24−7 大久寺 

形状等

墓地は、縦4.55メートル、横6.88メートルの長方形で石垣に囲まれ、中に墓石7基が並立しています。墓石は、正面右から、大久保忠常、大久保忠隣、大久保忠世、大久保勘三郎忠良、大久保忠勝、大久保忠俊、大久保勘三郎忠良の娘の墓の順となっています。

概説

大久寺は、日蓮宗で、僧の日英を開山(寺を開いた人)とし、大久保忠世を開基(寺を建てた人)とする大久保家の菩提寺です。

初代忠世の遺骸の1部は、京都本禅寺に納められました。

二代忠隣は、晩年流罪となり近江国(滋賀県)佐和山石ヶ崎で没しているので、この墓は供養塔と思われます。

忠常は、忠隣の嫡男で小田原城中で没し、大久寺に葬られました。

忠俊は、忠世の伯父で大久保家が小田原に移る以前の、天正9年(1581)に死去しているため、供養塔と思われます。

大久保勘三郎と刻んである墓は、忠勝の五男忠良のことで、その娘とともに埋葬されているのは、何か事情があったのかもしれません。

初代忠世の墓石は、宝塔として小田原市の代表的なもので、損傷もなく優秀です。

地図を表示

大きい地図を表示

   からの 

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化財課

電話番号:0465-33-1717

この情報についてのご意見・ご感想をお聞かせください!

このページの情報は分かりやすかったですか?

※システム上、いただいたご意見・ご感想に対する回答はできません。
回答が必要な内容に関しましては、お問い合わせ先の担当課まで直接お願いいたします。
※住所・電話番号等の個人情報については記入しないようお願いいたします。
※文字化けの原因となる、丸付き数字などの機種依存文字や半角カタカナは記入しないようお願いいたします。

ページトップ