小田原市

【平成25年終了】御用米曲輪発掘調査の新発見!(2月16日(土)見学会開催)

戦国時代、小田原城の中心地か!?

天守閣側から見下ろした、御用米曲輪の発掘調査のようす

天守閣側から見下ろした、御用米曲輪の発掘調査のようす

平成22年度から史跡整備に伴う発掘調査を行っている、史跡小田原城跡の御用米曲輪(ごようまいくるわ)。
平成23年度には、石垣を伴う障子堀(しょうじぼり)が発見され、戦国時代の小田原城でも石垣が使われていたことが話題になりました。
さらに、今年度の発掘調査でも新たな発見があり、戦国時代、この場所に重要な建物が置かれていた可能性が高まっています。

2月16日に行われる現地見学会では、発見された礎石建物跡(そせきたてものあと)と庭状遺構(にわじょういこう)を中心に、発掘調査現場を実際にご覧いただくことができます。

長い時間土中に埋まっていた遺跡は、露出している時間が長くなると崩れてしまうため、今回の成果も見学会後には遺構保護のために埋め戻します。 


 

御用米曲輪の発掘調査の現場見学会について

日時

平成25年2月16日(土) 

午前10時~午後3時 ※小雨決行

(荒天中止の場合、2月23日(土)に開催)

担当者による説明

1回目 午前10時~

2回目 午後1時~

(各回1時間程度)

申込方法

事前申込不要

直接現地にお集まりいただき、城内弓道場前からお入りください

※車での来場はできません

参加費

無料

当日問い合わせ先

小田原市郷土文化館

電話0465-23-1377

(午前8時~) 

瓦積塀(かわらずみべい)

昨年夏、瓦を積み上げて積み上げて造られた江戸時代の塀が、土中から倒れることなく発見されました。基礎に根府川付近で産出される扁平な石(根府川石)や河原石を敷き、その上に瓦を何層も積み上げ、築かれています。

同様の塀には、愛知県の熱田(あつた)神宮にある織田信長寄進の「信長塀」などがあげられ、市内では板橋にある松永記念館でも見られます。しかし、御用米曲輪のように、土中に埋もれて遺跡となって発見された例は全国的にも大変まれです。

この瓦積塀は、小田原城跡に残された江戸時代当時の建造物としては唯一のものであり、大変貴重です。 

※現在は遺構保護のため、埋め戻した状態となっています

江戸時代の瓦積塀

江戸時代の瓦積塀

礎石建物跡(そせきたてものあと)

北側(小田原駅側)では、戦国時代の大規模な礎石建物跡(石を基礎に据え、その上に柱を建てて造った建物の跡)が確認されました。

6間(けん)以上×3間(当時の1間は約1.89m)の建物であること、少なくとも3回の建て直しが行われたこと、建物の西側に玉石を敷き詰めた道路があったことなどが分かりました。

隣接して、1,000点以上の「かわらけ(儀式などに用いる素焼きの土器)」が出土した場所もあり、この建物が、重要な建物であったことを知ることができます。 

戦国時代の礎石建物跡

戦国時代の礎石建物跡

庭状遺構(にわじょういこう)

南側(本丸・天守閣側)で発見された遺構から、戦国時代の曲輪の形は、江戸時代とは全く異なることが明確になりました。

曲輪の端には石組みの水路が造られ、斜面からの排水に用いられていたと考えられます。この水路の周辺にはところどころに庭石が配置されていて、手前には玉石や砂利が敷かれていました。

これらの遺構は、斜面を背景として設けられた庭の裏手であると考えられます。同様の遺構は、広範囲で確認されており、戦国時代には、南側に広い庭が造られていたことが分かりました。

戦国時代の庭状遺構

戦国時代の庭状遺構

戦国時代、小田原城の中心地であった可能性が高まる

今回見つかった礎石建物跡と庭状遺構は、同じ方角を向いて位置していたことが分かり、出土した遺物からも、同時期に存在した可能性が高いと考えられます。

礎石建物跡は、小田原においては初めて検出されたものです。さらに、それに伴う庭が存在したことは重要な発見と言えます。このような遺構の様相は、大友氏遺跡の大友氏館跡(大分県大分市)・大内氏遺跡の大内館跡(山口県山口市)・阿波細川氏の勝瑞城館跡(徳島県板野郡藍住町)・越前朝倉氏の一乗谷朝倉氏関連遺跡(福井県福井市)など、各地で確認されている大名レベルの居館遺構にも相当するものです。

また、礎石建物や庭の存在は、文献史料などで垣間見えていた文化都市としての小田原の姿(会所での儀式、主殿(寝殿)での宴席・歌会など)を遺構として明らかにするものと言えます。 市としての小田原の姿(会所での儀式、主殿(寝殿)での宴席・歌会など)を遺構として明らかにするものと言えます。 化都市としての小田原の姿(会所での儀式、主殿(寝殿)での宴席・歌会など)を遺構として明らかにするものと言えます。 化都市としての小田原の姿(会所での儀式、主殿(寝殿)での宴席・歌会など)を遺構として明らかにするものと言えます。 化都市としての小田原の姿(会所での儀式、主殿(寝殿)での宴席・歌会など)を遺構として明らかにするものと言えます。  

これまでの調査成果から、江戸時代に御用米曲輪として使われていたこの場所は、戦国時代には城主が政事(まつりごと)や日常の生活を営む居館(きょかん)のような主要な施設が置かれ、小田原城の中枢であった可能性が高まっています。

そのため、これまで小田原城は、八幡山古郭(現在の小田原高等学校周辺)から小田原北条氏五代約100年の間に同心円状に拡大されてきた城郭と評価されてきました。しかし、今回の調査成果から、近年研究者により指摘され始めていたように、小田原北条氏の当主は山手ではなく低地部に屋敷を構えていた可能性が高まったと言えます。 

市では、この貴重な遺跡の全容解明に向けた調査を今後も続け、戦国時代におけるこの場所の役割などを明らかにするよう努めていきます。

御用米曲輪の発掘調査の見学会開催場所

>> 大きい地図を表示
 からの 

最終更新日:2015年02月18日

このエントリーをはてなブックマークに追加 twitterで共有

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化財課 史跡整備係

電話番号:0465-33-1718


この情報についてのご意見・ご感想をお聞かせください!

このページの情報は分かりやすかったですか?

※システム上、いただいたご意見・ご感想に対する回答はできません。
回答が必要な内容に関しましては、お問い合わせ先の担当課まで直接お願いいたします。
※住所・電話番号等の個人情報については記入しないようお願いいたします。
※文字化けの原因となる、丸付き数字などの機種依存文字や半角カタカナは記入しないようお願いいたします。

小田原市役所
住所:〒250-8555 神奈川県小田原市荻窪300番地(郵便物は「〒250-8555 小田原市役所○○課(室)」で届きます)
電話:0465-33-1300(総合案内)

Copyright (C) City of Odawara, All Rights Reserved.