レポーターブログバナー
2016年04月22日(金)

■小田原の街でこんな美術展■ アートとは何かを考えさせる「小田原 アート パーティー」

「芸術」といっても、いまでは「アート」というカタカナ語が幅を利かせて芸術というとなんか古臭い感じがする世の中になったようだ。とりあえず「アート」という言葉を借りるとして、あること(もの)が「アート」であるかどうかの境目がなくなってきた。どう感じるかは受け手の自由でもあるが、送り手が「結界」を創り、これは「アート」であると宣言することが多い。美術館の閾を跨げば、とにかく中にあるものは「アート」であるという前提ができるが、壁に張ったり、板に乗せたり、蓋を被せたり、題名をつけたりすると、あらゆるものが「アート」になる。いったん「アート」になると、日常を離れて独り歩きする。
■作家の深層を語るモノクロのペン画
小田原城の桜が満開の4月はじめの土曜日、散歩の途中でUMECOに寄った。ちょうど、「小田原アートパーティー(ODAWARA ART PARTY)展」としてロビーにいくつかの作品が飾られていた。壁に掛けられたモノクロのペン画「U-Ray」シリーズ4点と「スープ壺」。「U-Ray」は“ゆうれい”とも“うれい”とも読めるが、アルファベットで書くと「アート」になる。作家の深層を語る。「スープ壺」の意味するものはなんだろう。窓からさす光に黒く浮かびあがる人。なにか手にしている。スープ壺にはわずかな光があたっている。スープ壺に込められた誰かの思い出か。
 
■「庭」は作家の心を表す特別な空間
ガラス壁に飾られた「庭」は3点のシリーズ(らしい)。画面にカタカナで「スカンジビアナ」と書かれた作品には、作者と思われる人物と飛行機の線画がある。外国旅行の印象か(左)。ベニヤ板にはりつけた眼鏡をかけた人物。背景に「庭」らしいものがみえる。紫色の絵の具は庭に咲いた花だろうか(中)。絵の具を散らしたベニヤ板の中央に女性の線画を配した作品。怒っているのか悲しんでいるのか、指で隠してみると右と左で表情が違う(右)。「庭」とは、塀であれ、垣根であれ、植木であれ、区切られた特別な空間。それは作家さん自身の心だろう。
 
■2つの対照的な「アート」
ま四角なテーブルに並べられたクレイの容器や破片。道ばたに落ちていれば無用のもの。テーブルに乗せれば結界で囲まれたアートとなる。当たり前に存在する「土」から生まれる価値を主張する(上)。透明な半球のなかにうずくまった動物は、見えない世界に閉じ込められた閉塞感ともみえる。あるいは、半球がつくる結界のなかはアートで、みている我々は俗世界にいるとも思える。外からは手の届かない心の世界があるぞという主張かもしれない(下)。「土」は、テーブルの上の開いた空間で、オブジェは散在している。いっぽう、アクリル覆われオブジェは内向している。ともに「アート」でありながら、2つの作品から受ける心象は、対置している。
 
■方形の木型のなかにあるもの

漁師町の小田原には猫が多い。魚の粗をもらって市場の漁師さんとは仲がいい。木彫の黒ネコと彫り出す前の木材に描かれた「市場のネコ」。紙に引かれた方眼が制作過程を納得させる。方形の木型のなかに何が「存在」するかは、アーティストの感性だ。作家は市場のネコがいると感じて、命を与えたのだろう。

「小田原アートパーティー」は、東京の府中市で活動する美術グル-プ「小東京☆銀河」に所属する6人のアーティスト。木の文化浸透に取り組むNPOの事業で小田原での作品展が実現したという。(ゆきぐま記)

          ODAWARA ART PARTY 小田原アートパーティー
          期 日 2016年3月26日(土)-4月10日(日) 
               9:00-22:00 (終了)
          会 場 小田原市民交流センターUMECO 
               0465-22-6611
          照 会 shotokyoginga@gmail.com
          協 賛 NPOコモン 協力 小田原市
 

2016/04/22 11:30 | 芸術

ページトップ