小田原市

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2017年11月17日(金)

「よみがえる市民会館の絵画たち」展

展覧会のチラシ展覧会のチラシ11月22日(水)から26日(日)まで、小田原市民会館2階展示室にて、「よみがえる市民会館の絵画たち」と題した展覧会が開催されます。今回の文化レポートは、その展覧会の事前紹介です。


小田原市市民提案型協働事業

小田原市には「小田原市市民提案型協働事業」と呼ばれる、市民団体が事業提案し、小田原市と協働で事業を実施する制度があります。これは、「市民活動団体の新しい発想や柔軟性、専門性等を十分に生かした提案を募集し、提案団体と市が対等な立場で適切な役割分担のもと、双方の責任において協働して事業に取り組むことで相乗効果を発揮し、地域社会の課題解決や新たな市民サービスを創出していくことを目的としています。」と、市ではその狙いをホームページに示しています。具体的には、市民団体が自ら企画した事業の負担金の申請を行い、市の審査に通ると、その事業を市と役割分担を行いながら実施していきます。

「おだわらミュージアムプロジェクト(略称:OMP)」は、「小田原市に美術館を!」の目的で2011年3月に発足し、これまで美術展開催や他市のアート活動調査などの活動に取り組んできました。平成27年度の小田原市文化部文化政策課主催のワークショップ「小田原の文化資源を発掘する◆小田原市民会館のストーリーを紡ぐ」に参加したメンバーが、ゲストの西相美術協会前会長の齊藤四郎氏から小田原絵画の歴史を伺いました。そして、会場であった小田原市民会館にも数多くの小田原ゆかりの作家による絵画が掲示されていることに改めて気が付いたのです。

ところが、それらの絵画には、汚れや一部破損やひび割れが数多く見られ、更に、絵画のキャプション(タイトルや作家名)もない作品や作家の履歴が不明になりつつあることも分りました。OMPで、それらの劣化を何とかせねばならないと話し合いました。一方で、OMPとしてもアートツアーなどのイベント活動だけでなく日常的な活動に取り組みたいとの意向もあり、平成29年度事業として「小田原市民会館所蔵美術品の補修・保護事業ー小田原市民会館の美術品を守るー」を申請しました。事業内容として、「(1)市民会館所蔵絵画の洗浄と吊紐等補修、(2)絵画・作家履歴調査して基本情報の整備、(3)市民会館所蔵絵画の基本台帳の作成」を提案しました。審査の結果、OMPの協働事業提案は採用されることになり、作業が始まったのです。


協働事業の作業実施

絵画管理台帳絵画管理台帳
OMPでは、まず市民会館に所蔵されている17点の絵画とその補修の必要箇所を写真撮影して実態調査を行いました。絵画や額縁には予想以上に汚れがあり、ほとんどの吊り紐は劣化していて落下のリスクもありました。

OMPメンバーによる絵画清掃作業OMPメンバーによる絵画清掃作業次に、写真をもとに絵画一作品一葉で台帳を作成しました。作成に当たって最も苦労したのが、意外にも作家履歴でした。インターネットで検索しても名前がヒットしない作家が多かったのです。「西相美術協会」に所属するメンバーが、過去の西相美術展のカタログなどから作家履歴を調査しました。そして、修理箇所の台帳も作成しました。続いて、補修作業では、まず専門業者に額縁の補修と吊り紐の交換を依頼しました。次に、OMPメンバーによる絵画表面や額縁ガラスのホコリ落としの洗浄作業を行いました。作業時には、小田原市の学芸員も立ち合って、絵画を傷つけないように慎重かつ丁寧に実施しました。

絵画表面の洗浄を行った結果、絵画は見違えるように綺麗になりました。そして、協働事業の成果披露も兼ねて、小田原市とOMP共同主催で美術展を開催する運びとなりました。
 

展示絵画作品の紹介

小田原の美術界史は、昭和6年(1931年)の「相州美術会」から始まると云ってもよいでしょう。戦後は「西相美術協会」と名前を変えて、これまで80回を超える「西相美術展(西相展)」を積み重ねてきました。小田原市民会館所蔵の絵画も、この「西相展」及び「小田原市美術展(市展)」に出品された作品が中心となっています。というのも、西相展と市展で市長賞など最優秀賞を受賞した作品は、小田原市が買い上げる制度があったからです。この制度は昭和34年(1959年)から始まりましたが、残念ながら平成4年(1992年)に廃止となりました。この買い上げ制度によって小田原市ゆかりの作家の秀作が小田原市所蔵となり、今でも公共施設に掲示されて市民の目を楽しませてくれているのです。

ここで、展覧会に出品される作品のうち、チラシに載せてある作品を簡単に紹介しましょう。
 

「服を作る女」門松茂夫作「服を作る女」門松茂夫作チラシ最上部の作品は、門松茂夫氏の「服を作る女」です。若い女性が、生地を身体に巻き付けて鏡を見ている場面です。魅力の第一は、その色彩にあります。水色と黄色の斑点がちりばめられた布地の鮮やかな色彩にまず目が行き、また女性像の確かな存在感も魅力です。ぐっと前に踏み出した太い左脛と、足の甲に腱が浮き出るほど踏ん張っている右足は、上半身をがっしりと支えています。左腕は布端を持って布を身体に巻き付け、左肩は大きく落ちています。逆に、右肩は上がり、右肘を張って布を押さえています。不自然な姿勢でありながら、ポーズがもつ安定感は、これらのダイナミックな身体表現によって感じ取れるのでしょう。女性が布生地だけで服をイメージしようと没頭している姿が、観る者を引きつけます。この作品は、昭和12年(1937年)の二科展入選作です。二科展を主宰する「二科会」は、有島生馬や梅原龍三郎など、当時の新進気鋭の洋画家たちが参加して設立されました。独立・進取の気風を持つ二科展は若手画家の登竜門とされ、新しい作風を志す若手の活躍の場を提供していました。戦前の美術界へ新風を吹き込んだ二科展に入選した門松茂夫のこの作品は、制作から80年を経た現在でも、その若々し輝きを失っていないように感じられます。
 

「中国の女」作者不詳「中国の女」作者不詳チラシ左真中の絵は、「中国の女」と題された作品です。市民会館本館2階奥の特別室に展示してあるため、通常、一般来館者の目に触れることがない作品です。モデルは、その衣装や装身具から蒙古族の女性と推定されます。左右に長く下がる髪飾りや繊細な刺繍のある髪結、黒色の被り物と上着など、身に付けている物が全て繊細な造りです。整った横顔が前を凝視している立ち姿は、凛としたこの女性の品格までも表わしているように感じられます。この姿から、モデルの女性は蒙古族の高貴な女性ではないか、と推定されます。

OMPのメンバーは、顔や手の輪郭線の描き方などから、この絵は日本画だろうと推定していますが、作者が誰であるのか分かりません。左下に落款(らっかん)は、「?久」としか判読できませんし、落款印は囍の間に羊がある文字で、囍も羊も中国では目出度い漢字ですから、作者が中国人である可能性も否定できません。作者は不明ですが、出所は記録されています。昭和41年(1966年)に山崎元幹(やまざき もとき)氏から小田原市へ寄贈されました。山崎氏は明治22年(1889年)福岡県生れの人で、大正5年(1916)に中国東北部の大連市に本社を置く「南満州鉄道株式会社(満鉄)」へ入社しました。多くの社内職歴を重ねて、昭和17年(1942年)に満鉄副総裁となり、終戦直前の昭和20年(1945年)に満鉄総裁まで上り詰めました。そして、満鉄の最後の総裁として終戦を迎えたのです。しかし、終戦となってもすぐには帰国できず、ソ連軍の指揮下で南満州鉄道の運営業務を継続するために抑留されてしまいました。山崎氏は昭和22年(1947年)に帰国し、小田原に居住して昭和46年(1971年)に小田原で亡くなりました。このような経歴の山崎氏が保持していた本作品は、山崎氏が中国に居住していた頃に入手したか、ご自身が画家に描かせたのかもしれません。本作品には、残念ながら中央部に大きな水シミがあり、下部左右にもあります。これらのシミが、いつ、どのような原因で付いたかも不明です。現在は、使用頻度が多くない特別室に掲示され、窓は厚手のカーテンで遮られて、保存環境は悪くはありません。しかし、何らかの補修をしなければ、色落ちなどの劣化が進む懸念があると思われます。
 

「圓覚寺山門」柏木房太郎作「圓覚寺山門」柏木房太郎作チラシ下部の2作品は、柏木房太郎氏の「圓覚寺山門」と杉崎稔氏の「岩のかど」です。「圓覚寺山門」は昭和22年(1957年)の作品です。丸くキノコの笠のような山門の屋根のおおらかさは、とても終戦直後の厳しい時代の作品とは思えないほどです。この絵を見ていると、芸術と云うものは、その時代を超えて、人々の心の中に豊かさをもたらせてくれるものなのだろう、と感じます。柏木房太郎氏は明治42年(1909年)小田原に生まれました。昭和6年の第1回西相美術展に創立メンバーとして参加して、戦前から小田原の美術界をけん引されてきた画家です。二科展に連続入選するなど全国的にも活躍されました。
 

「岩のかど」杉崎稔作「岩のかど」杉崎稔作杉崎稔氏の「岩のかど」は、昭和40年(1965年)の小田原市美術展に出品された作品です。突出した岩が、圧倒的な迫力で見る者に迫ってきます。
岩肌の色彩も微妙に変化して、その存在感を浮き立たせています。無機質の岩石に命を吹き込んだようなこの絵からは、画家の確かな力量を存分に味わうことができるのです。
杉崎稔氏は、大正11年(1922年)小田原に生まれ、昭和17年(1942年)に相州美術会会友となります。終戦直後の昭和20年(1945年)には、門松茂夫氏と石井佐一氏の3人で「美術新生派展」を開催し、戦後の活動を開始しました。昭和27年(1952年)に西相美術協会会員となって、現在に至るまで小田原画壇をけん引し活躍されました。
 

「よみがえる市民会館の絵画たち」展には、全17点が出品されます。紹介した4点以外も素晴らしい作品ばかりです。市民会館の薄暗い廊下や、普段は市民が入る機会がない部屋に掲示されていた作品も多く、恐らくご覧になられた方々は、「小田原市民会館に、このような素晴らしい絵画があったのか!」と驚かれることでしょう。

これらの絵画は、小田原ゆかりの画家たちが遺した貴重な文化資産と云えましょう。市民会館所蔵絵画の事業を推進していて、今年3月に開催された文化振興シンポジウムで講師の平田オリザ氏が語られた、「芸術は、コミュニティの形成や維持の社会包摂を担うもの。」と「今、地域の自立を阻むものは、『文化の自己決定能力』を失うことであり、『一人一人が文化資本を身に付けること』こそ、これからの地域で最も重要なことだ」との言葉が思い起こされました。本展覧会は、戦前から現在までの80年間の長きに亘り、美術を通して小田原文化を育んできた画家たちの想いが感じられる展覧会であると思います。

展覧会会場には、協働事業で作成した「美術品管理台帳」も展示する予定です。4日間の短い開催期間ですが、是非ともご来場下さい。(深野 彰 記)


■「よみがえる市民会館の絵画たち」展■
日時 平成29年11月22日(水)~26日(日)
   午前10時~午後5時(26日は午後4時まで)
   ※11月24日(金)は休館日
場所 小田原市民会館・展示室 (本館2階)
   (小田原市本町1-5-12)
http://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/event/shiminkaikankaiga.html

2017/11/17 13:11 | 美術


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