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2017年12月25日(月)

小田原民俗芸能保存協会・後継者育成発表会

小田原民俗芸能保存協会後継者育成発表会の立看板小田原民俗芸能保存協会後継者育成発表会の立看板
小田原市の各地には、その地域に伝わる民俗芸能が数多くあります。その民俗芸能は地元の人たちの努力で引き継がれてきて、現在でも地元の祭りや小田原市のイベントで盛んに上演されています。現在、日本各地にある伝統芸能の存続が危ぶまれていますが、小田原には「小田原民俗芸能保存協会」があり、小田原の各地域の民俗芸能保存会のメンバーが加入して、民俗芸能の保存と継承に取り組んでいます。そのような活動の一年の総仕上げとして、毎年年末に「後継者育成発表会」を小田原市民会館大ホールで開催しています。これまで、それぞれの民俗芸能を見たことはあるのですが、小田原全域の民俗芸能を一堂に会するこの発表会は、一度に見ることのできるよい機会でした。今回は、小田原市民会館大ホールから、地元の民俗芸能を継承している子どもたちによる「小田原民俗芸能保存協会後継者育成発表会」のレポートです。

発表会の舞台・前半の部
発表会の開会式・末弘会長の挨拶発表会の開会式・末弘会長の挨拶
12月9日(土)12時半から開会式が始まりました。ひな壇には加藤小田原市長をはじめ、各保存会の代表や来賓が並んでいました。小田原民俗芸能保存協会の末弘勝会長による開会の挨拶で、発表会が始まりました。協会は昭和48年に発足し、現在8団体が所属しているそうです。40年も前から伝承・保存・普及の活動を続けてこられました。
小田原市山王原大漁木遣歌保存会「大漁木遣唄」小田原市山王原大漁木遣歌保存会「大漁木遣唄」
一番手は、小田原市山王原大漁木遣唄保存会による「大漁木遣唄」です。この木遣唄は、漁をする仕事唄と婚礼や祭礼の儀式唄を兼ねる珍しい唄だそうです。以前、小田原沖ではブリが大量に捕れたので、大型のブリがかかれば、漁師たちはこの木遣唄に声を合わせて網を力一杯引き揚げたことでしょう。今は、山王神社の祭礼で唄われています。
舞台の背景には、色鮮やかな大漁旗が飾られて、華やかな大漁を祝う雰囲気を醸し出していました。両袖から船形が出てきて、木遣唄を唄いながら、網を船に引き上げる動作を繰り返します。唄の後半では、網に魚がかかってきます。「ソオーオリャエーエ ヨウ、ソオリャヤットコセー ヨイヤアナアー」との掛け声で、大漁を喜ぶ様子が伝わってきました。
小田原祭囃子連絡協議会「小田原囃子」小田原祭囃子連絡協議会「小田原囃子」
2番手は、小田原祭囃子連絡協議会・飯田ばやし保存会/17区萬町囃子会による「小田原囃子」です。小田原囃子は江戸時代から続く伝統あるお囃子です。小田原祭囃子連絡協議会は、市内各地で活動する23団体によって構成されています。23団体という数の多さに驚きます。今回は、「飯田ばやし保存会」と「十七区萬町囃子会」の二団体による共演です。聞いていると、高い音色の笛と締太鼓の軽やかな音が気分を盛り上げ、いかにも賑やかな祭りの中に身を置いているような気持ちになるのが不思議です。
小田原ちょうちん踊保存会「小田原ちょうちん踊り」小田原ちょうちん踊保存会「小田原ちょうちん踊り」
3番手は、小田原ちょうちん踊保存会による「小田原ちょうちん踊り」です。ちょうちん踊りは、小田原ちょうちんの再確認と普及のために近年になって考案されました。ちょうちんを手にもって、吊り下げたり、振ったりしながら踊ります。ときどき小走りに走って、夜道を急ぐ旅人の風情を表すしぐさも入っています。半纏を着て踊るのは旅人、奴と御女中姿で踊るのは大名行列の一行を表しているようです。
曽我別所寿獅子舞保存会「寿獅子舞」曽我別所寿獅子舞保存会「寿獅子舞」
前半の最後は、曽我別所寿獅子舞保存会による「寿獅子舞」です。獅子舞には、二人立ちと一人立ちがありますが、曽我の獅子舞は一人で獅子頭を操る一人立ちです。江戸時代から伝わる芸能でしたが、戦時中には途絶えてしまったそうです。戦後すぐ昭和22年に復活されました。寿獅子舞の面白いのは、何といっても「笑い面」と「ひょっとこ」が出てきて、居眠りする獅子にちょっかいをして、獅子に追っかけ回されるところです。ユーモア溢れるしぐさに観客は大爆笑です。その笑いの中に、無病息災、豊年祈願の願いが込められているように感じました。
単なる獅子舞ではなく、物語としての面白さを備えた寿獅子舞は、日本人の素朴な心を表した貴重な伝統芸能と言えましょう。

休憩時間の余興
獅子噛み獅子噛み
前半部が終了して、20分間の休憩時間となりました。その間、舞台に寿獅子舞のメンバーが出てきました。獅子に頭を嚙まれれば頭が良くなり、手を噛まれると習字が上手になると云われているそうです。子どもたちが舞台に上がって、獅子の口に恐る恐る手を入れて噛まれていました。さすがに頭を差し出す子はいませんでしたが、子どもを連れたお父さんが頭を噛んでもらっていました。

発表会の舞台・後半の部
小田原囃子多古保存会「小田原囃子」小田原囃子多古保存会「小田原囃子」
後半の一番手は、小田原囃子多古保存会による「小田原囃子」です。これは地元の白山神社に伝わる江戸囃子です。江戸中期頃、小田原の寺町にあった歌舞伎小屋「桐座」の囃方から地元の若者が習い覚えたとされる由緒ある伝統芸能です。笛、鉦、大太鼓、締太鼓で演奏されます。普通は五人一組なのですが、多古では、笛8人、鉦3人、大太鼓3人、締太鼓11人と大編成でしたから、迫力がありました。五曲目の「仕丁目」は、テンポが速く賑やかな曲で、聴いていると浮き浮きした気分になってきました。
根府川寺山神社鹿島踊保存会「福おどり」根府川寺山神社鹿島踊保存会「福おどり」
次は、根府川寺山神社鹿島踊保存会による「福おどり」です。真赤な着物に手ぬぐいを被り、腰にはしめ縄を巻き、両手に日の丸扇子を持つ派手な姿で踊ります。舞台中央には道祖神が置かれています。毎年1月の道祖神祭りとどんど焼きのときに、子どもたちが踊るそうです。
道祖神を祀る「福おどり」道祖神を祀る「福おどり」
お祭りの時には家々を回って、玄関で「福の神が舞い込んだ」と言って踊り、「疫病神をおっぱらえ」と言いながら町を練り歩くそうです。その紅白の色彩といい、掛け声のめでたさといい、縁起の良いめでたい踊りです。
栢山田植歌保存会「栢山田植歌」栢山田植歌保存会「栢山田植歌」
3番手は、栢山田植歌保存会による「栢山田植歌」です。田植えをする女性たちによって歌い継がれてきましたが、田植えの機械化で歌われなくなってしまいました。20年前に保存会が発足して、復活させたそうです。歌詞には、田植えの様子や、鶴亀、えびす、八重などめでたい言葉が織り込まれて、豊作を願う気持ちが織り込まれています。舞台では、田植えをするお爺さんが出てきて田植えをします。時々腰を伸ばし叩くしぐさをして笑いを誘っていました。歌が終わるときに、ちょうど苗も植え終わると云う、歌と芸の息が見事に合っていました。
下中小学校の子どもによる人形遣いのデモ下中小学校の子どもによる人形遣いのデモ
いよいよ最後の舞台です。小田原市立下中小学校下中座クラブと小田原市立橘中学校相模人形クラブによる「相模人形芝居」です。相模人形芝居下中座は江戸時代より小竹地区に伝わる三人遣いの人形座です。昭和55年には国の重要無形民俗文化財に指定されています。
芝居が始まる前に、下中小学校の子どもたちが、人形の扱い方の解説をしてくれました。3人で人形を扱いますが、向かって左の一人が頭と右手を、右側の一人が人形の左手を、真ん中の一人が足を担当します。手まりを操る子の動きに合わせて、人形が手まりつきをする動作は、見事な人形遣いでした。
下中小学校下中座クラブの「二人禿」下中小学校下中座クラブの「二人禿」
最初の演目は、小田原市立下中小学校下中座クラブによる「二人禿(ににんかむろ)」です。着飾った「万寿」と「千代」という名の二人の少女人形による舞踏劇です。羽根つきなどを楽し気に遊ぶ様子が、とても可愛らしく演じられました。
橘中学校相模人形クラブの「怪童丸物語 足柄山の段」橘中学校相模人形クラブの「怪童丸物語 足柄山の段」
次は、小田原市立橘中学校相模人形クラブによる「怪童丸物語 足柄山の段」です。平成15年に作られた新作で、橘中学校で初演されました。源頼光(みなもとの よりみつ)の家来である碓井貞光(うすい さだみつ)が、足柄山で金太郎に出会う物語です。源頼光と云えば、酒伝童子物語で有名です。頼光と四天王は都を荒らす鬼の酒伝童子を征伐しますが、金太郎こと坂田金時は、頼光の家来として鬼退治に活躍しました。足柄山の金太郎は、すでに怪力の持主として有名でした。その噂を聞きつけた碓井貞光が金太郎に会い、都へ行こうと誘います。まだ幼い金太郎は、母親と別れることが寂しくて、泣いて抵抗します。母の八重桐(やえぎり)は、山姥(やまんば)姿になって、金太郎に言い聞かせます。人形の八重桐は、山姥になるとき、顔が鬼のような表情に早変わりします。母の説得に金太郎は貞光と都へ上る決心をして、仲間に別れを告げます。熊、狸、猿、狐たちは山を下る金太郎を見送って、幕が下ります。2作とも子どもたちが人形を扱っているとは思えないほど、見事な人形遣いでした。物語の流れも分り易く、人形劇とは思えないリアルさで思わず舞台に引き込まれていました。

発表会を終えて
観客を見送る人形たち観客を見送る人形たち
発表会が終わってホワイエへ出ると、相模人形芝居の人形たちが、見送りに並んでくれていました。相模人形芝居の後継者育成の場として、小中高の学校にクラブがあります。地域と教育の場を結んで後継者育成をするこの取り組みは、後継者育成に悩む日本各地の伝統芸能保存会が参考にできる好例となることでしょう。
ただ、ちょっと残念だったことは、出演する子どもたちの家族や関係者以外の観客が少なかったことです。市内でも、この日の開催が余り知られていなかったのかもしれません。小田原市としても、もっと広報に力を入れて欲しいと思いました。それでも、小田原の民俗芸能の後継者として多くの子どもたちが一生懸命に取り組んで、成果発表会に堂々と出演している姿には頼もしさを感じ、これからも多くの子どもたちが伝統芸能に触れて欲しいと思いました。(深野 彰 記)

2017/12/25 14:30 | 伝統芸能

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