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2016年06月15日(水)

【西海子小路の由緒ある建物・庭が一般公開に】

かつて多くの政財界人が別邸を設け、また文人達が居住した小田原。
市内南町の西海子小路沿いは、今も屋敷街の風情が残る場所です。
そうした、古き小田原をしのぶ建築と庭が、また一つ見学できるようになりました。
小田原文学館と西海子小路を挟んで斜め向かいの「旧松本剛吉別邸」(岡田邸)です。敷地内では茶室や庭のほか、海を望むような小山など、当時の海浜別荘の趣向を随所に感じる事ができます。

この土地は、もとは明治維新の功労者で、第3代内閣総理大臣を務めた後も政界に大きな影響力を及ぼした山縣有朋の側近であった松本剛吉の別邸(本宅とは別に設けた邸宅のこと)でしたが、その後、東京府農工銀行頭取・鈴木茂平らを経て、昭和17年、東京日本橋富沢町で木綿卸商を営んでいた岡田家の所有となったものです。

 

市指定の歴史的風致形成建造物として市が借り受け、さる5月末から、茶室と庭園の一般公開が始まりました。

私も最近知って、見てきたばかりです。

とても凝った建物と庭でしたので、写真で紹介させて頂きます。

それでは庭内へ。

大きな石灯籠やカエデが配された露地に分け入ると、中央に主屋、その左に茶室「雨香亭(うこうてい)」があります。

雨香亭は明治後期の茶室で、大正12年の関東大震災で罹災、その後もとの材料により再建されたようです。

それぞれ床高と向き(軸)が異なる6畳間(広間)と5畳間(小間)を玄関の間で繋げており、屈折した間取が特徴。つまり玄関をはさんで部屋が斜めになっている感じです。

建材には、茶人好みの木材が多用されているとのこと。

『ふるさと小田原の建築百景』(平成5年、小田原市都市部建築指導課)には、「壁を色紙のように見せるため、京都の稲荷〔ママ〕地方の土に鉄粉を混ぜて塗り込み、浮き上がる錆の模様で風情を味わうようにしたといわれる」とあります。

建物の背後には滝石を組んだ築山が築かれ、その上には待合が置かれています。

現在は庭木が茂り眺望が効きませんが、海を見るために盛土したと考えられているそうです。

 

主屋は非公開ですが、床下の水路にかかる広縁や、網代編みが施された戸袋など、数寄屋風建築の意匠が散見されます。

水路は庭池とつながっており、ガラス戸を開けば、目前の庭の景色と足下の流水の音が一体となって感じられたのではないでしょうか。

この旧松本邸は、流水庭園を好んだ山縣有朋の影響が幾所に見受けられるとのことです。

海を見るため敷地に山まで作ってしまうとは、驚きました。

 

建物は傷みが気になる箇所が所々ありますが、これだけ残る別邸建築と庭園、地域に寄与する景観は大変貴重かと思います。

 

小田原の近代別荘文化を伝える一つとしても、ぜひ長く残していって欲しいと思いました。

 

市では今後、催事や意見交換を通じて活用方法を検討していくとのことです。

6月21日(火)には、「お庭お掃除会&意見交換会」も開催されるようです。こちらのお申し込みは清閑亭(0465-22-2834)まで。
(そうこ・記)

 

【公開日】

木曜〜日曜日

午前11時〜午後3時

祝日を含む週の公開日は変更する可能性があります。

入場無料

 

【問い合わせ】

0465-33-1722(小田原市文化政策課)

https://www.city.odawara.kanagawa.jp/field/lifelong/culture/event/p20642.html

2016/06/15 11:15 | 歴史

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