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2016年08月23日(火)

森町文化講演会・「蟷螂で繋ぐ縁」

会場の森町文化会館会場の森町文化会館
 「ういろう」は、日本で650年、小田原に移住して500年の歴史を持つ老舗薬屋です。京都時代の外郎(ういろう)家は、室町幕府や朝廷の重要な役職を担い、公家たちと深く親交しました。外郎家の一族が、戦国時代の北条早雲に乞われて、京都から小田原へ移り住みました。代々の外郎家当主は文化への造詣が深く、地域の文化振興に尽力してきました。京都の外郎家は、京都祇園祭の「蟷螂山(とうろうやま)」を制作しました。
講演会の立て看板講演会の立て看板
蟷螂とはカマキリのことです。御所車の上に蟷螂が乗っている山で、蟷螂には「からくり」が仕込まれ、鎌を振るったり羽を広げたりして、祇園祭中でも人気の高い山鉾です。また、静岡県森町の山名神社山王祭には、「蟷螂舞」が伝わっています。山名神社境内の舞屋で、稚児が蟷螂になって舞います。これも京都から外郎家が伝えたと云われています。8月6日に、京都の祇園祭蟷螂山保存会、飯田山名神社、外郎家の三者が森町に集まり、「蟷螂で繋ぐ縁」と題した森町文化講演会が森町文化会館小ホールで開催されました。
森町・太田康雄市長の挨拶森町・太田康雄市長の挨拶
 今回の文化公演会は、外郎家が繋いだ蟷螂の縁で歴史を理解し、これからもその縁を大切に育てていこうとして、森町教育委員会が企画しました。外郎社長は、これまで互いに面識のなかった森町と蟷螂山保存会の間を仲介されました。小ホールは森町市民で満席となり、最初に森町の太田康雄市長の挨拶、続いて山名神社村松康彦宮司から挨拶がありました。
会場内の特設舞台で演じられた「蟷螂舞」会場内の特設舞台で演じられた「蟷螂舞」
『蟷螂』の舞
 講演会の最初は、会場内に設営された特設舞台での「蟷螂舞」でした。裃を着けた大人が囃子方で三方囲み、その真ん中で煌びやかな衣裳をまとった稚児が舞います。お囃子に合わせて、ゆったりとした動作の舞でした。
「蟷螂舞」で身体をかしげて威嚇のポーズをとる「蟷螂舞」で身体をかしげて威嚇のポーズをとる
 「蟷螂」の舞は、頭に蟷螂を形作ったかぶり物を乗せ、背中に羽根を背負っています。蟷螂の鎌には紐が繋がっていて、舞手が紐を引っ張ると、蟷螂は鎌を持ち上げて威嚇のポーズをとったり、羽を広げたりします。見ていても楽しい舞です。山名神社山王祭では、舞屋の舞台が高いので細かい動作が見えません。更に、蟷螂舞の最中に、八基の山車が境内になだれ込んで舞屋の周りを激しく走り回るので、舞をゆっくり見ていられる状況ではありません。今回、会場内で真近に蟷螂舞を見ると、鎌をもたげるときには舞手は身体を斜めにかしげて、いかにもカマキリが威嚇しているような動作を再現していることがよく分かりました。昔の人が昆虫の細かい動作までよく観察して、舞に再現していることに驚かされました。
蟷螂山保存会・本井常任理事の講演蟷螂山保存会・本井常任理事の講演
祇園祭蟷螂山保存会・本井氏の講演
 蟷螂舞の次は、蟷螂山保存会常任理事の本井元康氏による「祇園祭蟷螂山について」と題した講演でした。スライドを使って祇園祭の歴史や、洛中洛外図屏風に蟷螂山が描かれていることなどが紹介されました。

 実は、蟷螂山は117年間も途絶えていて、1981年(昭和56年)に再興されたのです。今からたった35年前のことでした。再興には、郷土史家で保存会会長であった津田(つだ)(きく)太朗(たろう)氏の尽力があったそうです。再興後もバブル経済の崩壊など、保存会の維持には並々ならない努力が続けられたことを話されました。祭りのひと時の興奮と感動の裏には、保存会の人々と町内会の人々の保存維持そして継承の努力が積み重ねられているのだ、ということがよく分かった講演でした。
 
パネルディスカッションパネルディスカッション
パネルディスカッション
 最後は、蟷螂の縁で繋がる三者によるパネルディスカッションでした。京都から祇園祭蟷螂山保存会の村木利高会長と本井元康常任理事、小田原から(株)ういろうの外郎武社長、地元森町からは森町教育委員会の北島恵介課長補佐が壇上に並びました。テーマは「京都と森町をつなぐ縁」です。伝統芸能を守り伝えていく難しさと苦労、そして住民の変化に柔軟に対応していく取り組み、などが議論されました。そして、外郎家が繋いだ蟷螂の縁を現代に、そして未来に繋いでいくために三者がこれからも積極的に取り組んでいくことを確認して、パネルディスカッションを終えました。
 
パネラー:村木会長(右)、本井常任理事(左)パネラー:村木会長(右)、本井常任理事(左)
 1階の展示コーナーには、山名神社の舞楽に用いられる衣裳の他、祇園祭の蟷螂山の写真やちまき、「ういろう」の紹介展示がされて、外郎家が繋いだ縁を分かり易く解説していました。
パネラー:外郎社長(右)、北島課長補佐(左)パネラー:外郎社長(右)、北島課長補佐(左)
文化の広がり
 京都と繋がっていた小田原の外郎家は、京都文化の伝達者でもありました。祇園祭の蟷螂山や遠州森町とのつながりもその一つです。森町が主催した今回の文化講演会は、小田原文化の持つ広がりを示してしていると云えましょう。
 
展示コーナーの蟷螂関連の紹介展示コーナーの蟷螂関連の紹介
 9月19日(月)には、小田原城址公園本丸広場の天守閣前特設ステージで、神奈川県主催の芸能フェスティバル「カナガワ リ・古典プロジェクト」が開催されます。その一環として、森町山名神社の「蟷螂舞」が上演される予定です。小田原市の文化が、広がりをもって交流していく良い機会となることでしょう。文化は地域を越え、県を越え、国境をこえて広がり、そして人々をつないでいきます。文化交流があってこそ、人間相互の理解が進むのではないかと思えた森町文化講演会でした。(深野 彰 記)

2016/08/23 15:39 | 歴史

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