来年3月の居住制限解除に先立って、つい先日、一部で準備のための宿泊ができるようになった浪江町ですが、駅周辺や中心市街地も含め、まだ人の気配がほとんど無い中、この日の式典は中心部からも近い浪江町地域スポーツセンターで行われました。もともとこの施設は、23年春にオープン予定の、市民集会施設も併設された大型施設でしたが、震災の発生によりオープン直前で使用ができなくなっていたもの。記念式典の開催に併せ、この日が実質的なオープンとなりました。とはいえ、周辺一帯がまだ居住制限区域であることから、式典会場には住民の姿はなく、各級議員や自治会関係者、諸団体の役職者などの参加で式典が行われました。
山本環境大臣や福島県副知事なども列席しての式典では、冒頭に60年を振り返る映像が映されました。栄えていた町内の様子、人々の暮らし、豊かな自然に支えられた漁業や農業、祭りでの賑わい、四季折々の美しい風景・・・。それらが震災で失われた深い悲しみと、それを取り戻そうと懸命の努力を積み重ねてきた中での苦悩、それでも前を向いて進んでいくことの決意を、馬場町長は式辞の中で切々と述べられました。
通常、このような式典では地域の子どもたちが壇上にあがって元気よく歌ったりしますが、住民のほとんどが全国各地に分散して避難している中、それは難しかったようで、祝いの太鼓をたたく小学生たちや、クラスで浪江の将来像を語り合う中学生たちによる、それぞれ映像でのメッセージが流されました。式典の結びは、浪江で伝承されている獅子舞。厄を払い福を招く舞を、地元の若い人たちが披露し、復興に向けての気勢を上げました。
福島第一原発に近づくにつれ、復興への歩みは困難を増していきます。南相馬がほぼ全域で避難解除になり、今度は浪江が一部解除へ、その次は大熊町へと、復旧・復興への前線が移動していくことになります。馬場町長と握手をした折、少しお痩せになった表情が気になりましたが、帰り際に、大熊町の渡辺町長が声をかけてくれました。「これからが大変ですね、お体には本当に気を付けてください」と声をかけると、「大丈夫ですよ。希望も見えてきましたから」と、笑顔で応じてくださいました。私たちにできることは何か。いろいろな思いを巡らせての帰途となりました。