小田原市

市長の日記

熊本地震 被災地訪問報告

 平成28年4月14日の前震、同16日の本震を中心に、千数百回を越える余震に今なお見舞われ続けている、熊本・大分地方。その中で、小田原と同じく歴史ある城下町である熊本市では、天守閣を始め広大な城跡遺構に甚大な被害が生じています。同じ城を持つ街として何か支援ができないかと、小田原からの支援の心を届けるため、去る5月18日、熊本市の大西市長を訪問させて頂きました。また、この機を捉え、特に被害のひどい益城町、そして熊本城跡内各所や文化ホール施設の被害状況を視察させて頂きました。以下、5月18日の行動記録も兼ね、被災地で見聞した状況につき報告します。

菊陽町周辺

 

 前日17日の夕方の便で熊本入りし、熊本市の北東に位置する菊陽町内に宿泊。翌朝、朝食前に宿舎周辺の住宅地や農村部を徒歩にて視察。宿舎の位置する河岸段丘上の一帯は新興住宅街で、ところどころにブルーシートでの養生が見られるものの、被害は限定的のようだ。


 一方、一段下がった、白川沿いに広がる古くからの農村地帯には、伝統的な瓦葺きの住宅が多く、その多くに瓦の崩落などが発生している模様で、ブルーシートが至る所にみられた。村内の神社では、鳥居や灯篭が倒壊。まだ修復作業は行われていない。
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 街道沿いの村落を抜けると広大な田園が広がっている。熊本地方が、阿蘇山からなだらかに展開する肥沃な農地を擁する、全国屈指の農産地帯であることを実感。幾つもの大規模農家で、ニンジンの収穫出荷作業が行われていた。


益城町(上陳・下陳付近)

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 この日は終日タクシーを借り上げ、被災地の状況に応じ、車での移動と徒歩での視察を繰り返す。
まずは、断層に近く被害が甚大であった益城町へ。空港あたりから森を抜けて小谷地区に入ってくると、手前までの地域の様子とは全く異なり、集落のいたるところで家屋の大規模損壊やブルーシートが見られる。一般車両通行止めとなっているところで車を降り、徒歩で上陣地区へ。


 道路沿いの急傾斜地が、コンクリートの吹付補強ごと大きく崩落。地崩れは周囲のいたるところに見えている。断層に近いところでは、木造家屋が激しく倒壊、瓦礫の片づけなどに人が集まって作業をされている。
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 水田や畑の中の農道を歩くと、舗装を切り裂くように断層が走っている。
 
  

 

 


 5月中旬であるが、水田は田植えの準備など一切されていない。おそらく無数の亀裂や、隆起などがあって、水平を保ち水を張ることができないと思われる。集落の外れに、顕著な断層の動きが露出していた。畑~農道~水田~麦畑~道路と、一直線に断層が走っているのがはっきりと見える。1.5mくらいの横ずれであろうか。断層の左右で、被害の差が生じているようにも見えた(北側がひどく、南側は軽微に見える)。

 

 

 
 

 上陣地区から、下陣地区へ。集落は完全に断水しているようで、消火栓用の配水管が道路上に仮設置されていた。上陣地区にあった断層の延長線上とは違う場所に、別の顕著な断層が走り、やはり道路を破壊し、畑が隆起している。断層帯に沿って、複数のズレが生じていることがわかる。

 
 
   

 

 ここまで歩き、そこからは車で移動しようとしたが、途中で断層による破壊から通行止めとなっており、迂回して益城町中心部へ向かう。車窓から、断層帯が走っていると思われる農村地帯を遠望する。田園の向こうに丘陵が立ち上がり、その山裾に展開している平田地区に大きな被害が出ている様子が見える。


益城町(災害廃棄物集積場)

 町の中心部が近づくと、家屋や石垣の激しい損壊が至る所に見えてくる。河川に近い道路などの陥没や隆起も著しい。避難所となっている総合体育館と、陸上競技場に張られたテント群が見え、その手前にある小学校跡地が、瓦礫や廃棄物の集積場となっている。

 
 
 

 

 町内各地から軽トラックや自家用車に廃材などを積み込んだ町民の車両が、長い列を作って搬入を待っている。防災服を着用、地図を持って歩いていた私たちを関係者だと思って「入り口はどこかね?」と訊ねる町民の方も。集積場内は、木材系、布団類、ガラス類、金属類など、種類ごとに分かれるよう、ボランティアと思しき人たちが車両誘導と仕分けに追われている。この日は気温が上がっており、日陰もない中、過酷な作業だ。
 この日の時点ではまだ広場を埋め尽くすほどではないが、町内に数多く存在する損壊した被災家屋などの片づけなどはまだほとんど手がついていない状況からすると、本格的な搬入はこれからで、相当量の災害廃棄物が持ち込まれることになると思われた。
 


益城町(総合体育館)

 町内で最大の避難所となっている総合体育館と陸上競技場には、多くの住民が避難生活を送ると共に、それを支えるべく全国から集結している諸団体の拠点などが展開している。
 競技場のグラウンドでは、インフィールドの部分全てに大型のテントがビッシリと張られており、避難されている皆さんがそれぞれに生活をされている。すぐ横のスペースには、健康管理などを気遣うため、諸団体による相談ブースのような一画もあり、またボランティア団体の皆さんが各テントを訪問して困りごとへの相談に廻っておられる。グラウンドだけでなく、芝生の園地のようなスペースにも、余すところなくテント類が張られている。テントの脇には洗濯物が干され、子どもたちの自転車なども並んでおり、生活の気配が濃い。

  
 

 総合体育館の裏手では、水をためる大きなタンクと接続する形で、蛇口が数十か所設置された洗濯用スペースが作られつつあった。避難生活の長期化のため、必要になる支援機能だ。体育館周辺には自衛隊が大規模に展開しており、炊飯場や風呂など、様々な支援機能を提供されている。そのほか、仮設郵便局や宅配コーナーなど、複数の生活利便機能が臨時拠点を設け、避難生活者を支えている。

 
 
 

 

 少し離れた駐車場には、仮設トイレが設けられている。全体で20基以上はあろうか。離れていても臭気は強い。ボランティアの皆さんが大勢で、白い防護服のようなものを着用し、清掃活動にあたっている。トイレの管理と、し尿処理は、大規模避難所で最大の課題だ。


 

 各地から支援に来られている諸団体が、体育館周辺で炊き出しのサービスを行ったり、健康管理のブースを設けたりと、様々に活動を行っておられる。
 その後の報道では、梅雨が近づくためグラウンドのテント村は撤収の方向であり、避難生活者の屋内への移動が急務となっているとのこと。全半壊した自宅に戻ることのできない数千の人たちの住まいの問題が、既に喫緊の課題となっている。


益城町(中心部)

 総合体育館周辺の道路は、復旧作業や各種支援活動を行う諸団体の車両が多数入っていること、加えて信号機が復旧していないことなどから、渋滞が続いているようだ。その道路を渡り、古くからの集落や住宅街である木山地区に足を踏み入れてみる。
 瓦葺きの古い農家と思しき住宅、木造家屋などが、軒並み激しく倒壊。なかには原形をとどめぬくらい潰れてしまった家屋や建物も少なくない。

 
 
  

 道沿いの石垣はことごとく崩れ、路肩が滑り落ちてしまっている。比較的新しく見える住宅についても、地盤が傾き、構造が歪み、建具や家具類が壊れ、近づくことすら危険な状態となっている。

 
 
 

 私たちが歩く横を、高齢の男性が私たちに軽く会釈をされながら、車で通りすぎ、目の前にある全壊状態の農家の敷地に入って行かれた。このお宅のご主人のようだ。なかで、やはり高齢のご婦人と話をされているが、どのように片づけるのか、これからどうするのか、途方に暮れ、力が抜けてしまっているように窺えた。言葉のかけようがない。
  

 この一画のなかに、益城町の文化会館が建っている。その周囲も軒並み大規模損壊であり、会館の駐車場にはボランティア活動の拠点が設けられており、若い人たちが集まって作業の相談をしておられた。会館の建物本体は、コンクリートの頑丈な箱のような構造体であるので、多少ヒビが見受けられたものの、大きな損壊は見られない。しかし、そこに連なって建てられている会議室や事務室の棟は、地盤の歪みによって構造の接続部分が引き離されてしまい、建物自体にも歪みが生じている。


 さらに、センターを支える地盤がゆがみ、あるいは法面ごと崩れており、足元が危うい状態になっている。地盤の崩れを修復すれば利用が再開できるのか、とても心配である。
  
 

 

 益城町のメインストリートであろう、県道28号線沿いの商店や飲食店なども、軒並み全半壊、あるいは建物危険度判定の赤い紙が貼られ、商店街としては壊滅に近い状態となっている。


 

 益城町役場も傾き、庁舎の4階に灯りはついていたものの、役所機能が果せる状態ではない。
 
 ここで車に乗り、28号線を熊本へと向かうが、沿道の被災はひどい。私が記憶する範囲では、新潟県中越地震の震源地であった川口町あたりの状況よりもひどく、むしろ阪神淡路大震災のときの被害状況に近いように感じた。復旧と復興には、相当の時間が必要となる。
 そんな中でも、使用できなくなった店舗の前で、各地からの応援者たちがマーケットを開いていたり、損壊を免れた比較的新しい美容室などは「営業しています」と札を出して再開していたりと、元気に動ける人たちが懸命に復興を目指している。
 全損壊の建物が数多くある一方、ほとんど被害を受けていない建物もその隣にあったりする。建物が受けた被害分布について、今後詳しい分析などが待たれるところであり、災害発生前にどのような準備ができるのか、復興への支援をさせて頂きつつ、被災地に学ばせて頂くことが必要である。


熊本市(市街地)

 

 益城町から熊本市の市街地に向かうにつれ、建物の被害はぐっと減ってくる。それでも、ところどころ、外観上は何の問題もなさそうな中層建築物などに、危険度判定の赤い紙が貼られている。中心部に近づいていくと、震災前の日常と変わらないであろう車や市電の交通、そして多くの市民の賑わいがあるように、外見的には見える。そんな中、中心部に位置する熊本城の姿が眼に入る。震災の被害を一身に受けたような、石垣の崩落などの惨状に、言葉を失う。市役所近くの老舗ホテルも大きな被害を受けたようで、外側からは分からないダメージが、様々な建物に及んでいるようだ。


熊本市(大西市長との面談)

 

 熊本城の隣に位置する熊本市役所に入る。入り口付近では、つい先ごろ始まった罹災証明の発行窓口が設けられ、多くの市民の皆さんで混雑している。来庁者の整理に当たっていたのは、相模原市からの派遣職員の皆さん。声を掛けると、政令市の相互応援として、一週間単位で職員が派遣されているとのこと。このように、災害に伴い発生する、市役所の日常業務以外の仕事を回すには、市外からの応援、とりわけ行政職員の応援が何より心強いであろう。私からも、ねぎらいの言葉をかけさせて頂いた。


 大西一史市長に時間を取っていただき、お見舞いの気持ちを伝えると共に今回の来訪の趣旨をお伝えしたうえで、5月1日から15日までの小田原城天守閣入場者が投じていただいた義援金約201万円の目録をお渡しする。お二人の副市長も同席いただいた中、30分ほど、被災状況、今後の見通しなどを伺った。市庁舎の眼前に事実としてある、激しく崩れた熊本城の被害、そして数多くの市民の皆さんの被災への対応、各種施設やインフラの修復・・・同じ市長として、その心労と今後への課題の膨大さに、気の利いた言葉などかけられない。

  
  

 大西市長からは、「小田原の皆さんの動きをニュースで見たとき、涙が出そうになりました。」「熊本が少し落ち着いたら、ぜひ小田原城を訪ねたい」とのお言葉。かつて、肥後藩と小田原藩の時代にたいへん繋がりが強かったという史実があるが、白煙を上げて瓦や石垣が崩れ落ちる熊本城の映像を見たとき、とっさに「何か支援をしなければ」と思ったのは、理屈ではなかった。時を越えてこのような形で支援させていただくことになったのは、やはりご縁だと感じずにはおられない。文化財の修復なども含め、何かお手伝いできることがあれば、遠慮なく声を掛けていただきたいとお話をさせていただいた。

文化ホール

 熊本城の入り口に、熊本市が建設したいわゆる文化ホール「市民会館シアーズホーム夢ホール」がある。この内部が受けた被害を見せていただいた。大ホールは収容人数2000人、熊本屈指の施設だが、このホールの天井が崩落し、客席と舞台に散乱している。天井は、客席から見れば軽い素材でできているかのように見えるが、実際には軽量鉄骨で組んだ枠組みに下地材が貼られ、その上にコンクリートを吹き付けて化粧してあるので、意外に重いものである。それが落下して客席を直撃し破壊していた。間近で見れば、もしこれが直接人にぶつかったなら、間違いなく大事故になると判る。

 
 
 

 現在は当面休館のため、ホワイエや通路は、各地からの救援物資の保管場所として使われている。私が見た場所には、他都市から送られた大量の毛布類が積み上げられていた。大きな空間を持つ文化ホールは、いざというときの重要な避難先であり、物資の保管場所にもなる以上、施設整備には災害対応という面を機能的にしっかりと想定しておく必要がある。

熊本城

 

 夢ホールで、熊本城総合管理事務所の河田所長と合流。熊本城の城跡内の被害についてご案内を頂く。至るところに現れる、石垣や櫓の激しい被害を目の当たりにしつつ、河田所長から様々なお話を聞かせていただいた。


 今回の震災の被害は、4月14日の「前震」の段階では数箇所の石垣崩落にとどまっていたものが、16日の「本震」によって一気に数十箇所に拡大したこと、また千回を超える余震によって石垣が揺さぶられ続けた結果、直近では震度2の余震で正面入り口付近の石垣が大規模に崩れるなど、わずかの揺れでも崩れてしまう状態になっている、とのこと。また、崩れてはいないものの、平時とは異なって孕み出している箇所、石積みが緩んで隙間が生じている箇所などは、城跡内に相当箇所あり、揺れが収まって危険性の調査が終わらねば、城跡内に人を入れることができない、とのこと。調査ができていない以上、復旧に向けた作業手順や工法、さらにはそれに要する期間や費用、態勢の準備についても、これから組み立てねばならない段階にあること・・・。いずれの報告も、私には返せる言葉がなかった。
 
 

 実際にくまなく史跡内を歩いてみると、石垣表面に積み上げられた巨石、その裏に篭められていた大量の「ぐり石」、上に櫓が載っていた場合は破壊されたその材などが、混然となって崩れ落ち積み重なっている。
 
 

倒壊こそ免れたものの、白壁がことごとく崩落した重要文化財の蔵、足元の石垣がごっそりと抜け落ちてしまった小天守、崩れて跡形もない櫓や回廊、登城路を完全にふさぐように両側から崩れている石垣、清正伝来の美しい武者返しの石垣に見える亀裂・・・。近年巨費を投じて建設された本丸御殿はさほど大きな被害がなかったようだが、全体としての被害はまさに想像を絶するものであった。
 
 
 

 
 
 

 

 今回の訪問には、小田原城天守閣の館長でもある諏訪間さんが同行してくれており、史跡が専門の学芸員でもある視点から解説をしてくれたが、崩れた石垣を積みなおすには、崩れた石の一つひとつに番号をふり、それらを広い場所に並べ、元の写真などと比べて場所を特定し、一つひとつ積み直すため、広大な場所と入念な検証、丁寧な作業が必要になるとのこと。また、崩れた場所だけでなく、その左右も広くつみ直さねばならないため、手を入れる面積は相当に広がることなど、復元の難しさを説明してくれた。
 


 

 河田所長は、大天守と小天守、そして宇土櫓の3つが並ぶ、熊本城でも最も美しい眺めの場所をご案内頂き、「本当なら、震災前の美しい姿を見ていただきたかったです・・・」とおっしゃられた。江戸期の小田原城がそうであったように、この国はどの地域にあっても、数十年に一度の震災や天災などで、多かれ少なかれ崩れることを繰り返してきた。小田原城も、本丸のぐるりの石垣は関東大震災のときに崩れたまま、その姿を私たちに見せることで、歴史の風雪や、自然の力を伝えてくれている。郷土の誇りであるお城は、美しく端正な姿であり続けてくれるに越したことはないが、そうでない姿のときも、長い歴史の中ではある。そのことを受け止め、時間を掛けて、一つずつ積み直していく。その覚悟をすることが、城をもつまちに暮らすものには必要なのではないか・・・。2時間近くご案内いただきながら、私の中ではそのような思いが生まれていた。
 小田原で、今回の熊本と同じ規模の揺れがあれば、関東大震災でほぼ全ての石垣が崩れたように、小田原城の石垣はもたないであろう。そのときのことを想像するのは恐ろしいが、そのとき、どのように受け止めることができるか?どんな対応ができるか?熊本への支援を今後もさせて頂きながら、一方で、私たちはその備えを今からしておく必要がある。
 


水前寺公園

 

 熊本市内の視察を終え、空港に戻る前に、水前寺公園を視察。震災後、池の水がすっかり涸れてしまったとの報道があったが、この日訪ねてみると、かなり水量は戻ってきているようだった。穏やかに晴れ上がった夕方の公園には、いつもそうだったのであろうか、近隣の市民の皆さんや、観光客の姿があり、何事もなかったかのようにすら感じる。
 震災発生から1ヶ月が経ち、日常がほぼ戻っている地域がある一方で、益城町、さらには西原村や南阿蘇村をはじめ、まだ深刻な状況の只中にいる地域もある。引き続き、被災地の情報に注意深く接しながら、今回頂いたご縁を大切に、支援を続けていかねばと、公園内の出水神社に祈りつつ、熊本市街を後にした。


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