広報小田原アーカイブ

広報小田原 1206

令和元年10月の一覧へ戻る

広報小田原 1206表示画像

広報小田原 1206

令和元年10月1日 発行

広報小田原 第1206号
令和元年10月1日発行

#01 〈特集〉今も、昔も、人の力
#02 小田原の歴史をつなぐ「人の力」
#03 受け継ぐ力
#04 混じり合う力
#05 創り出す力
#06 〈連載〉北条氏と小田原城
#07 〈連載〉小田原市の「働く場」。 これがわたしのお仕事です
#08 おだわら情報
#09 くらしのガイド おだわらいふ「お知らせ」
#10 くらしのガイド おだわらいふ「募集」
#11 くらしのガイド おだわらいふ「相談」
#12 くらしのガイド おだわらいふ「イベント」
#13 くらしのガイド おだわらいふ「こども」
#14 くらしのガイド おだわらいふ「スポーツ」
#15 くらしのガイド おだわらいふ「健康」
#16 10年先も100年先もずっと笑顔で暮らすため 「人の力」で持続可能なまちづくり


PDF版

テキスト版

====================
#01 〈特集〉今も、昔も、人の力
====================
豊富な地域資源に恵まれ、発展してきた小田原。
積み重ねた歴史の中には、いくつもの課題や試練があった。
しかし、いつだって、小田原は人の力で壁を乗り越えてきた。
目まぐるしく変わってゆく時代の中で、
今も変わらずに根づく、人の力がある。

9月1日現在 小田原市の人口 190,181人 81,728世帯
【WEBID】【ID】:市ホームページのサイト内検索に入力すると詳細を表示します。

====================
#02 小田原の歴史をつなぐ「人の力」
====================
人々が小田原市域に暮らし始めたのは、2万年前に遡る。
森里川海の自然、東海道沿いに位置する立地、温暖な気候。
恵まれた環境は、独自の文化やなりわいを生み出してきた。
さらに、戦国時代、関東を支配した北条氏が本拠地にしたことで、小田原は大都市になった。
一方で、北条氏の滅亡、酒匂川の氾濫、江戸の大火……。時代ごとに、試練や課題があった。
このまちが発展してきたのは、環境に恵まれたからというだけではない。
いつの時代も、まちを支えた「人」がいたのだ。

--------------------
1867 明治維新
--------------------
 江戸時代、城下町・宿場町として栄えてきた小田原だが、明治維新後、状況は一変した。小田原城は廃城となり、また小田原を県庁所在地とした足柄県も廃止され、神奈川県に編入されることになった。
 衰退気味な小田原に新たな活路を見いだそうと奔走したのは商人たちだった。
当時の県知事を通じ、伊藤博文など政界の大物に働きかけ、旅館や別荘地をあっせん。政治家、文学者、実業家……。さまざまな有力者が別荘や別邸を構え、新たなにぎわいを見せるようになった。

廃城となった小田原城
漁業の方法も改良。オシツケなどの深海魚も食べ、「何でも食べる人たち」と言われた。

1888年に御幸の浜に開業したリゾート型旅館「鷗盟館」。人々の活気が伝わる相撲興行。

--------------------
1923 関東大震災
--------------------
 9月1日、午前11時58分。突然、激しい音が耳をつんざいた。その瞬間、強い上下の揺れに見舞われた。世に言う関東大震災である。家屋は倒壊し、火災が発生。小田原町は「全滅の状態」であった。しかし、報徳の教えが息づいていた小田原のリーダーや商人たちは、食糧や衣服を提供。また、行政や民間団体が他府県に協力を仰いだことで大きな混乱は防がれた。

震災後の南町一丁目付近のようす

--------------------
1940 市制施行
--------------------
 震災や世界恐慌による不況に、危機感を抱いた小田原の商人たち。整備された鉄道網を生かし、町の振興につなげ、市制施行を実現するため、1933年に「小田原振興会」を結成した。工場誘致や御幸の浜の海水プールの建設などの観光振興……。行った事業は多岐にわたる。そして、1940年、小田原町は足柄町、大窪村、早川村、酒匂村の一部と合併し、「小田原市」となったのだ。

昭和初期、箱根駅伝ににぎわう街道

--------------------
1945 太平洋戦争終戦
--------------------
 戦争は小田原にも暗い影を落とした。いわゆる「十五年戦争」での小田原の戦死者は2,000人を越える。8月15日、「玉音放送」の数時間前にも空襲があり、市民が命を落とした。
 また、ミカンなどの果樹類は「不要不急」の作物とされ、大量伐採が命じられるという危機にも直面した。しかし、片浦の柑橘農家の人たちは、別の土地でイモやムギなどの生産に協力。そして、ミカン園の石垣沿いにサツマイモを植え、政府に出荷するなど、必死の工夫でミカンの木を守り抜いた。

遺骨や遺影が届けられた小田原駅
戦後、ミカンの栽培も再開

--------------------
1960 高度経済成長期へ
--------------------
 戦後、復興・再建の青写真を県内でいち早く描いた小田原市。柑橘をはじめとする農業は再び興隆し、町村合併、工場誘致が進められた。そうして迎えた高度経済成長期。商工業や観光の発展を目標とする「商工都市型」のまちづくりが進んだ。観光の切り札として考えられたのが小田原城天守閣の復興である。城を造る経費の不足分を補ったのは、市民による寄附金であった。
 所得は倍増し、市民一人一人が大衆消費社会を支えた時代であった。

寄附者の名前を、天守閣に使う瓦に残した
1964年、東京オリンピックの聖火ランナーにお堀端通りで声援を送る
1964年、初めて小田原駅ホームに入ってきた新幹線を迎える人々

--------------------
2019 人口減少の時代の中で
--------------------
 明治維新後の衰退気味な小田原に活力を取り戻すため、有力者と“混じり合い”活路を見いだした人。
 震災のさなか、“受け継がれた”報徳の教えを生かし、まちの混乱を防いだ人。
 交通網のよさを理由に、小田原に進出し、新たな価値を“創り出してきた”人。
 このまちには、ピンチを乗り切るため、さらにはピンチをチャンスに変えるために必要不可欠な「人の力」が根づき、そして広がりを見せてきた。
 今、日本全体が新たな難題を抱えている。「人口減少」である。それは小田原も例外ではない。人口は1999年の20万695人をピークに減少。20年経った今、19万人を割り込もうとしている。
 でも、きっと大丈夫。新たな時代に立ち向かうための「人の力」がこのまちにはある。

参考文献 (1950年、1954年)『小田原市報』小田原市、(1966年)『広報おだわら』小田原市、「小田原の歩み」編集プロジェクトチーム(1980年)『目で見る小田原の歩み』小田原市、(1999年)『小田原市史 通史編 近世』小田原市、(2001年)『小田原市史 通史編 近現代』小田原市、(2007年)『小田原市史ダイジェスト版 おだわらの歴史』小田原市立図書館

====================
#03 受け継ぐ力
====================
受け継がれる海の魅力
古くから海沿いの村で広く行われてきた小田原の漁業。海のなりわいを守っていく技や知恵を次の世代、そしてまた次の世代へと受け継いできた人がいる。

--------------------
全国屈指の若い漁師たち
--------------------
 34歳。これは小田原市漁業協同組合の定置網漁業者の平均年齢である。
 しかし、平成初頭、小田原漁港では漁業者の高齢化が進み、平均年齢は60歳代になっていた。潮の流れが突如速くなる「急潮」などにより、定置網が壊されたり流されたりすると、復旧に多額の費用がかかる。小田原でも、たびたび被害があった。収入の不安定さは仕事として敬遠される要因になった。
 そこで、小田原市漁業協同組合は市・県と協力し、平成9年度に急潮に強く、少人数で操業できる定置網を開発。また、翌々年から収入の安定を図るため、給料制を導入した。
 そして現在、さまざまな地域で、後継者や担い手の不足が叫ばれる中、小田原漁港は、全国でも屈指の「若い」漁場となった。
 小田原市漁業協同組合の漁労長補佐の込山豊志さんは、給料制が導入された直後に漁師になった。
 「おれが漁師になった頃は、60歳代や70歳代前半の漁師がほとんどだったんですよ。今は仕事の多くが機械化されているけれど、当時は人力。網を引っ張るときは、30人ほどの漁師が力と声を合わせたんだ。年配漁師は活気があって、元気で、圧倒されたなぁ」。
 体力、集中力、精神力。漁はハードな仕事である。だからこそ、当時の漁師たちは、小田原の海を担う、新たな人材づくりに奔走し、自分たちの技を受け継いできた。
 「70歳代前半の人の作業は、めちゃくちゃ速かったんですよ。網の結びとか魚の選別とか。人によってやり方もばらばらで、それが面白かったです。いろいろな人からやり方を教わったな。いまだに、あの人たちにはかなわないんじゃないかなって思いますね」。

--------------------
若えもんがこの網を守んだぞ
--------------------
 20年の時が流れ、込山さんは小田原の定置網漁業者の中で、上から3番めの古株になった。『受け継がれる』立場から、『受け継ぐ』立場になってきた。
 「若手には、けがをせず、手早く仕事をしてもらいたい。自分は引き締め役。気の緩みがけがにつながるから、必要であれば、注意することもある」。
 若手漁師はそんな込山さんのことを、どう思っているのであろうか。
 2年前に漁師となった小藤岬さんは、「教わるところが一番多い先輩」だという。小学生の頃、テレビで見て、漠然と憧れた漁師の世界は、驚きの連続だった。
 「込山さんたち、先輩漁師は、縄の縛り方や魚の選別の速さの次元が違う。魔法を使ってるんじゃないかって思う。びっくりしたのは、『これっ!』っていうマニュアルがないことですね。細かい技術は教わるだけじゃなく、盗んでいきたいです」。
 奇しくも、込山さんがベテラン漁師に感じていたことと同じことを、小藤さんは込山さんたちに感じていた。込山さんは「ほんと、頼りになる後輩ですよ」とはにかんだ。
 時を隔てても抱く共通の思いがある。一方、変わっていくこともある。以前は季節ごとに取れる魚が決まっていたが、最近は、取れる魚種も、時期も変わってきた。
 「水温が上昇している影響ですかね。網につく汚れも変わってきました。“変化”ということでいうと、仕事の機械化も進んできているので、仕事の効率化を意識しています。でも自分は昔の人に教わっているので、皆で声を出して力を合わせる方が好きなんです。声を合わせ、団結力を高めることも大切にしていきます。時代が変わる中で、変化に対応しながら、いいところを引き継いで、定置網漁業を守っていきます」と込山さんは言う。
 「定置網漁業を守る」。その決意は、先輩漁師に言われた言葉としても胸に残っている。
 「年配の人たちに教わりながら、『若えもんがこの網を守んだぞ』と言われてきた。小藤たちの時代にも引き継いでいきたい。そして、さらに若い子が入ってきて、小藤たちがその子に引き継いでいってくれたら、うれしいですね」。
 小藤さんは「漁師はもちろん、水産業に携わる若手がたくさんいる。10年も20年も続けて、自分たちの世代が引っ張っていけたらいい」と目を輝かせる。

今年38歳になる込山さん(左)と25歳の小藤さん(右)

--------------------
ウニ、港の夜市、新たな魅力 続々
--------------------
 小藤さんが言うように、今、小田原の港ではさまざまな若い力が躍動している。
 小田原市漁業協同組合の青年部では、「ウニ」の養殖にも取り組んでいる。相模湾などで取れるウニは身が詰まっていない。そのうえ、漁場の海藻を食べ尽くしてしまうため、「海の厄介者」とも呼ばれる。そこで今、ウニの養殖が注目されている。市内でも、養殖によりウニを地域の資源に変えようとしているのだ。エサは、市内のスーパーから譲り受けた、廃棄されるキャベツの外側の葉。また、ウニが鮮やかな色になるように、市内のミカン加工業者から提供を受けたミカンの皮を少しずつ与えた。そして、今年の7月に約400個を初出荷。
 青年部部長の古谷玄明さんは「今後の目標は、量より質。『このウニだったら買いたい!』と言ってもらえるウニの養殖を目指します」と意気込む。
 また、人々の価値観やライフスタイルも変わってきた。昨年、魚や海のさらなる魅力の向上を目指し、小田原漁港周辺で鮮魚、飲食、卸業を営む若手水産関係者が中心となり、「小田原地魚大作戦協議会」が設立された。
 「食生活が多様化してきて、『わざわざ魚を食べなくてもいい』と考える人が増えてきた。子どもの魚離れが進んでいることや、魚屋さんが減っていることに危機感がありました。『何をしたらよいか』は分からなかったが、まずは『動こう』と」。そう語るのは、協議会の副会長で、「株式会社鮑屋」で常務取締役を務める市川将史さんだ。
 どのような付加価値をつけると水産業全体が盛り上がるか。協議会で議論を交わした。
 そして、一つのキーワードにたどり着いた。「楽しさ」だ。「海と魚を中心にした“海なりわい”の中でも、『感じる・体験する』という分野は、まだ伸びしろがあります。『おいしい』に加え、『楽しい』を感じられる地域にしていこうと考えました」。
 小田原の港や魚の魅力を、楽しみながら知ってもらうため、市民や観光客を巻き込みながら、とろサバ棒など新商品の開発、漁港に近い通りの愛称募集などに取り組んできた。
 今年5月には協議会が中心となり、「港の夜市大作戦」を開催。初の夜の港をテーマにしたお祭りだ。漁船に乗り、景色や海風を楽しむ「漁船ナイトクルーズ」は大人気だった。夕暮れ時に乗船した子どもは「魚がいっぱいいるー!」と大興奮だった。

養殖中のウニ
新商品「とろサバ棒」をパクリ

--------------------
受け継ぐべきものは何か
--------------------
 「子どもが海や魚に興味を持ってくれるのは、やはりうれしい。小田原で取れる魚は、昔から変わらずおいしく、新鮮で、種類も豊富。私たちはその魅力的な魚に、さらに魅力をプラスしていく。それが新商品の開発であったり、皆が楽しめるお祭りの開催であったりします。これからも小売店や飲食業界、地域住民などが集まって、意見を交わしていきます」。
 市川さんが働く鮑屋は、1587年に創業した県内一番の老舗。受け継ぐことの大切さは、身に染みて感じている。「小田原の漁業者や水産業を営む人は『魚に対してプロでなくてはいけない』という意識が強いと感じる。そういった『愚直に魚のことを見続ける』という姿勢は、ずっと受け継がれてきたものだと思います」と力強く話す。
 今回、取材で出会った人たちは、口々に「小田原の海はすごいんだ」と言った。
 「小田原の海は急に深くなる。深海魚から浅瀬の魚まで、いろんな魚が取れる」「他の地域で魚を食べると、小田原の魚のおいしさに気づきますよね」「地元で取れた魚を地元で消費できる環境がある」。
 古くから続く小田原の漁場。そこには確かな価値が裏づけされるだけの理由がある。時代の流れをしなやかに受け止め、変化しながら、海の恵みは、次の世代に受け継がれていく。

小田原地魚大作戦協議会副会長の市川さん

--------------------
行政の取り組み ~受け継ぐ~
あなたが小田原の未来の担い手に
--------------------
おだわら市民学校
【問】生涯学習課 電話 0465-33-1882 【WEBID】 P27184
 小田原の今と未来のため、そして「持続可能な地域社会」の実現のためには、世代や立場を越えて、市民の皆さんが郷土を愛し、手を携えチカラを発揮することが求められます。
 「おだわら市民学校」は、皆で集い、ともに学び、実践へつなげる「人のチカラ」を育む“新たな学びの場”。座学と実習を交えて、「小田原の今」を学び、地域で活躍する人材を育てます。
 講師には、実際に市内の現場で活躍している人も名を連ね、教える側としておだわら市民学校を支えています。

おだわら市民学校
Odawara Citizen School

1年め基礎課程
おだわら学講座
小田原全体の魅力を学び、郷土愛を育みます。

2年め専門課程
自分が選択した分野の学びを深め、実践につなげます。

やりたいことが見つかる「学び」を
 講座を担当する指導員は、運営のお手伝いや、グループワークの進行、授業の振り返りなどを行っています。「担任の先生」のような気持ちを持って、仕事に取り組んでいます。
 「おだわら市民学校」は地域で活躍するための入口です。目標は、学びで終わるのではなく、卒業した後、主体的に活動してもらうこと。そのため、活動団体を紹介するなどの工夫をしています。
 強みを生かしてやってみたいことがある人、何歳になっても学ぶ気持ちを強く持つ人……。私たちも受講生の皆さんに刺激をもらっています。そんな皆さんと一緒に、「おだわら市民学校」を一歩一歩、進めていきたいと思います。

生涯学習課のおだわら市民学校スタッフ

学びで気づき、気づけば変わる
 昨年のおだわら学講座から参加し、専門課程は「サポートの必要な人を支える」に進みました。学びを通じて、「人とのつながり」「分野のつながり」など、「つながる」ことの大切さと創造の豊かさを実感しました。
 おだわら学講座で、特に印象に残ったのは、自然環境の回でした。専門課程で進んだ福祉の分野では、森林セラピーとして展開可能かもしれない。小田原の現状と課題を幅広く学んだことで「気づき」があり、意識・視点が「変わる」体験でした。
 誰もが支える側、支えられる側の両面を持っています。一人一人は微力かもしれないけれど、無力ではない。いざというとき、年代も背景も持ち味も違う仲間が、ゆるやかに、しなやかに、つながる可能性を感じています。

おだわら市民学校受講生の森田忍さん

====================
#04 混じり合う力
====================
共に導く、柑橘の明日
大正時代から小田原で積極的に作られてきた柑橘。「耕作放棄地の拡大」「鳥獣被害の増加」といった新たな課題に、地域外の視点やニーズを持った人と共に、課題解決に取り組んでいる人がいる。

--------------------
外の人と共に、課題を解決する風土
--------------------
 「連絡手段は電話ではなく、LINEにしましょう」
 「ドローンを使って、鳥獣のようすを撮影したいので、この日の夜は外出を控えてほしい」
 「農家さんや狩猟者と協力して新事業を行いたい」
 「事業を見届けるため、この地域に住みたい」
 若い大学生による、斬新な提案。そんな「刺激的な」提案を受け入れ、共に課題解決を目指した地域がある。片浦地区の北部に位置する石橋地域だ。
 「外の人と共に、課題を解決する」。石橋地域にとって、それは特別なことではなかった。
 遡れば、戦後、ミカンの生産量が増えた際には、繁忙期に東北や北陸から「援農者」と呼ばれる、収穫や仕分けを手伝ってくれる人々を呼び、共に作業した。
 オレンジの輸入自由化に伴い、ミカン農家が打撃を受けた際は、NPOと協力し、収益が高く、安全な国産レモンの栽培を推進。最近では企業や大学とも連携し、「片浦レモン」は一層の盛り上がりをみせている。
 そして、昨年度、増える鳥獣被害について、大学生とも地域が共に考え、実践に移した。

--------------------
刺激を伴う都会的で若い視点
--------------------
 「祖父の時代から、根っからのミカン農家。二十歳の頃からこの仕事一筋」と語るのは、石橋自治会長の鈴木裕章さんだ。
 「担い手がいないと、耕作放棄地が増えてくる。すると、田畑が荒れて、鳥獣被害も増える」。
 そうした中、平成28年度から、環境分野の地域課題の解決に向けた持続可能な仕組みを研究する事業がスタート。そして、石橋地域の鳥獣被害対策の研究について、慶應義塾大学から提案があった。
 「大学生が『都会から電車1本で、狩猟のできる場所に来られるっていうのは、一つのメリットなんじゃないか』なんて言うんだ。メリットだなんて考えたこともなかった。この地域にとっては大きな刺激になったよ」。
 都会目線、若者目線でのアイデアは、鈴木さんたちの連絡手段も変えることになった。
 「大学生にLINEのグループ機能を教えてもらってね。関係者でグループを作って、イノシシやサルの出現情報を共有したんだ。気軽に連絡が取れるから、情報共有も密になった」。
 多くの作物を食べ荒らすイノシシ。柵も越えてくるサル。諦めかけていた鳥獣被害に打つ手が見え、生産意欲を取り戻したという。
 大学生は鳥獣の動向を探る手段として、温度の撮影が可能なカメラを搭載したドローン空撮があることを、論文などから学んだ。調査を実施したいと考えた大学生は、安全確保のため、調査実施時には住民に外出しないよう説明会で協力を要請。地域は大学生を全面的にバックアップした。

 そして、現地調査を終え、大学生と地域で協力しながら、鳥獣被害に対する一つのモデル事業を考案し、試験的な運用まで行った。それが「わなオーナー制度」である。
 「わなによっては、毎日見回りが必要なものもある。そうしたら、大学生の一人、菅田悠介くんが『自分も見回りたいから、ここに住む』って言い出したんだよ。珍しい子だよね。でもすごくうれしかったな」。
 石橋地域では菅田さんを迎え入れるため、地域の神社の社務所を貸し、菅田さんは半年間住んだ。
 「授業の枠組みを超えて、地域に関わろうと思ったんです。地域の人は、僕が友達を連れてきたときも、『おお、よく来たね』って言ってくれるからうれしい。就職後も、自分のネットワークを生かしながら、石橋地域と関わっていきます」と菅田さんは話す。
 地域で農家を営む矢郷史郎さんも、大学生を家に泊めるなど、積極的に関わってきた。実は矢郷さんの出身も小田原ではない。
 「婿として僕がここに来たときも、地域の人はめちゃくちゃいい人だった。僕は大学生を友達だと思ってます。この地域に来てくれるだけでも、皆、喜んでいますよ」。
 地域全体で、若者を迎え入れる土壌があった。
 地域の農業が抱える課題に対して、「農家だけでも、自治会だけでも、解決できない」と鈴木さんは言う。「今後は、“佐奈田霊社”や“電車の撮影スポット”など、農業以外の魅力も使って、地域を活性化させたい。地域の人はもちろん、異なる視点を持つ人と一緒に考えることで、刺激になるし、新たな可能性の発見につながる」と展望を語る。

被害状況などを分かりやすく、手軽に共有できる
(左から)菅田さん、鈴木さん、矢郷さん。世代は違うが仲のよい3人

わなオーナー制度の仕組み
農家:鳥獣被害を減らしたい
オーナー:狩猟を実践する場所がない
猟師(学生) 協力関係 猟師仲間:狩猟者の裾野拡大やノウハウの継承ができる
 
農家:農業体験の提供(オーナー) + 設置場所の提供(猟師)
オーナー:見回り同行(農家)+わな設置などの費用(猟師(学生))
猟師(学生):狩猟・解体のレクチャー、体験(オーナー)+わな設置(農家)

--------------------
「仕事」ではなく「生きがい」として
--------------------
 「外の人」と混ざり合って、課題解決をしようとしているのは、石橋地域だけではない。早川地区では、耕作放棄地の解消につなげるため、農業従事者以外の人による農作物の栽培体験を行っている。農業がしやすい環境を作るため、県による農道の整備や、柑橘栽培の体験事業を通じて、風穴を見つけてきた。
 早川で農業を営む青木義隆さんは、「県が農業体験募集を行うと、定員はすぐにいっぱいになる。ただ、その多くは、横浜や川崎の人なんです。どうして小田原からの応募が少ないんだろう、関心を持ってもらえないのだろう、という問題意識がありました」。
 地元を巻き込んだ活動を模索していたある日、「一緒にやろうじゃないか」。声をかけてきたのは、高校時代の級友、市川公雄さんだった。
 当時、市川さんはシニアが健康的に暮らすための居場所をつくる組織の立ち上げを考えていた。退職後、職場の同僚や高校時代の仲間、7人と意気投合。平成27年に「SNOA(シニアネットワークおだわら&あしがらの略)」として活動を開始した。
 「青木さんに連れられて、早川の丘陵地に行ったときは驚いたな。60年以上も小田原に住んでいたのに、こんなに風光明媚な場所があることを知らなかった。でも、この美しいミカン畑が荒廃しつつあるという話も聞いたんです」。
 「何とかできないか」。そう考えたとき、「シニアの居場所づくり」と「ミカン畑の再生」が結びついた。こうして、SNOAが早川で手掛ける「みかん農園プロジェクト」は動き出した。
 まず、青木さんが地域の農業の現状や、ミカンの耕作について講義を行った。現在、SNOAの2代目代表を務める安藤和幸さんは、講義を聞き「ミカンを育てることは、子どもを育てることに似ている」と感じたという。そして、SNOAは青木さんが管理する農地でミカンの苗木を植栽。ミカンを育てることと、子育てが似ていることに着想を得て、自らが中心となって世話をするミカンの木を決めておく「里親制度」を導入した。
 青木さんは、SNOAのメンバーにミカンの栽培についてアドバイスをし、日頃からミカンの木の状態をチェック。「ミカンは野菜と違って、3年ほどの期間をかけて育てなくてはならない。また、初期は労力がかかるが、ある程度成長が安定すれば、1か月に1度くらいの管理で十分になります。もちろん、仕事にするには、もっと厳密な管理が必要になります。でも、自分たちの生きがいとして農地を生かしてもらうのに、ミカンの栽培はちょうどいいと思うんです」。

(左から)安藤さん、青木さん、市川さん。SNOAの活動は、「みかん農園プロジェクト」以外にも中高生への英語学習支援や、市や商工会議所、介護施設からの委託業務などさまざま

--------------------
広がってゆく混じり合い
--------------------
 「ミカン栽培を始めた当初、もしかしたら地域の人は、私たちが農業に関わることに違和感を覚えていたかもしれません。しかし、2年、3年と継続的に活動する中で、徐々にSNOAのことを認識してもらえているような気がします。青木さん以外の農家さんとのつながりも生まれ、作業する農地も増えています」と安藤さん。
 今年の夏には、果実の成長のために間引いた「青ミカン」がドレッシングの材料として使われた。当初7人が声を掛け合い始まった活動は、今や多くの人を巻き込み、広がりを見せている。
 8月25日。ミカン農園での作業日には、45人が集まった。その中にはSNOAの活動を新聞で知り、横浜から参加している夫婦もいた。
 「横浜から参加したいと、いきなり電話をかけたら、すぐに受け入れてくれてうれしかったです。参加してからちょうど1年。ミカンも、メンバーも、ここから見える眺めも、とても好きです」と笑った。
 また、プロジェクト参加者はSNOAのメンバーだけではない。青木さんはもちろん、関東学院大学や小田原短期大学のゼミの先生・学生、若手起業家も混ざり、農園の生かし方や地産地消について考えている。
 「景色もきれいな早川。自然の中で歩くオレンジ色のバージンロードは写真映えする!」。そんな関東学院大学生たちの発案で、11月にはミカン農園でのウエディングイベントが企画されている。
 青木さんは、「いろんな人と地域の農業のこれからについて、考え、実際に取り組めることがうれしいですね。来年からは新たに300坪の耕作放棄地を、ミカン農園としてSNOAの皆さんと活用していきます」と意気込む。
 地域の農業が抱える課題。万能薬はまだない。地域の人たちは「自分たちにできることは地道なこと」と言う。しかし、新たな視点やニーズを持った人と協力しあう柔軟性や積極性がある。そして、今、その混じり合いが、「地道なこと」を大きなうねりに変えようとしている。

横浜から参加している鹿内夫妻

--------------------
行政の取り組み ~混じり合う~
都心に住んでいるあなたの力を、小田原で生かす
--------------------
小田原市UIJターン就職応援合同説明会
【問】産業政策課 電話 0465-33-1514 【WEBID】 P27359
 都心に住んでいる若者向けに、小田原の企業などによる就職説明会を開催します。企業12社が参加。身につけた知識や経験を生かし、地域の企業で活躍しませんか。
 参加する12社の各企業のブースで個別説明を行い、採用面接にも応じます。ハローワーク小田原による就職相談窓口や、暮らしの情報、小田原市の紹介コーナーもあります。小田原での就職や移住を考えるお子さん、お孫さんなどにお知らせください。
※ハローワーク求人検索端末で、求人票を閲覧可能
日時 10月20日日曜日11時30分~14時30分
場所 ふるさと回帰支援センター(東京都千代田区有楽町2-10-1)
    東京交通会館4階 セミナーコーナーC・D(JR有楽町駅から徒歩約1分)
対象 市への就職・移住を希望する人(中学・高校卒業予定者を除く)
持ち物 ・履歴書
     ・雇用保険受給資格者証(雇用保険受給中の人)
     ・ハローワークカード(持っている人)
UIJターン就職とは
Uターン就職 都市部での就職・就学を経て、故郷に戻って就職をすること
Iターン就職 出身地に関わらず、地方で就職すること
Jターン就職 地方から大都市に就職・就学した人が、故郷近くの地方都市に就職すること

説明会のようす

====================
#05 創り出す力
====================
新しく芽生える、小田原の魅力
いつの時代も地域資源を生かしてなりわいにつなげてきた小田原の先人。加速する人口減少社会の中で、このまちに移住し、新たになりわいを創造しようとする人がいる。

--------------------
おもしろいまちの恵まれた出会い
--------------------
 平成25年、山口陽子さんは、新天地を探していた。
 「夫の仕事の関係で千葉市からの移住を考えていました。移住先で本格的な『米粉の料理教室』を始めたかったんです。料理教室を開くために自宅をリフォームできることが条件でした」。
 たまたま参加した「米粉食品指導員」の認定スクール。アレンジが効きやすい性質、米由来の癖のない味など、米粉が持つ可能性に魅了され、なりわいにしたいと考えるようになった。茅ヶ崎、鎌倉など、移住候補となるさまざまな地域を巡った。
 そして、山口さんが選んだ新天地、それが小田原だった。
 「教室に通う生徒のことを考えると、できればターミナル駅で、距離も歩ける範囲がよいと思っていました。いろいろな条件を出していくなかで、奇跡的に今の家が見つかりました。実は、それまで小田原のこと、全然知らなかったんです。小田原と言えば『箱根駅伝』の印象。だから最初、小田原中継所と国道1号を見て感動したな」。山口さんは当時を懐かしみ、いたずらっぽく笑う。
 家があるのは、幸地区。山口さんは、地域のことを「おもしろい」と言った。
 「『北条から続く500年の歴史』とか市民の皆さんは当たり前のこととして、話されるんですよね。500年昔のことを話せるまちってなかなかないと思うんです。地元で話されている『言い伝え』とかもたくさんある。本当におもしろいなって思います」。
 そんな山口さんには、本格的に米粉料理教室を開くに当たって、懸念材料があった。米粉の調達である。米粉は製粉が難しい。千葉市に住んでいた頃、米粉を使う際は、新潟県から調達していたが、送料などの費用が高くついた。解決の糸口になったのは、移住の相談をしていた地元の不動産屋さんだった。地域でお米屋さんを営む「志村屋米穀店」を紹介してくれたのだ。
 「少量からでも地元産の米粉を買えるのはラッキーでした。それに、志村さんがとても顔が広くて、いろいろな人と知り合うことができました。知り合いもほとんどいない小田原でしたが、最初の一人に恵まれて、人脈を広げ、地域にも入り込んでいけました」。
 念願だった米粉料理教室は、平成26年7月にオープンした。
 「最初に教室に参加してくれたのは、少し離れた市内に住んでいる人たち。その人たちが口コミで生徒さんを連れてきてくれたんです」。

小麦粉を使わずに米粉で作られたクッキー
「小田原を盛り上げるため、観光情報なども提供しています」と山口さん

--------------------
ビジネスとして続けたい訳
--------------------
 「教室で作った米粉料理を人にあげたい。買えたらいいのに」。
 料理教室の生徒の言葉をきっかけに、おととし10月、米粉を使ったパンなどを売る「こめこめこ」をオープンした。料理教室のある自宅からほど近い「かまぼこ通り」に店を構えた。当初は、地域の人のためのお店になればいいと考えていた。
 ある日、「こめこめこ」に一人の来客があった。
 「グルテンフリーのパンはありますか?」
 グルテンとは小麦に含まれる物質である。そして、グルテンは小麦アレルギーの原因でもある。しかし、グルテンフリー、つまり小麦を一切使わない、米粉100%のパンはおいしく作ることがとても難しい。店を立ち上げたときは用意できなかった。
 「日に日に問い合わせは増えていきました。小麦アレルギーのお客さんから『どうしても、パンを食べたい!』と言われたけれど、作ることができなくて、断り続けました。心苦しかったです」。
 それから山口さんは、おいしいグルテンフリーのパン作りに没頭した。「必要としてくれている人の期待に応えたい」。それがエネルギーだった。そして、開店から1年、グルテンフリーのパンを完成させた。現在、店頭に並ぶパンには、グルテンが2割含まれている。しかし、予約をすれば、グルテンフリーのパンを用意することができるようになった。
 パンを食べたい小麦アレルギーの人。健康志向で米粉を求める人。米粉の味が好きな人。今、「こめこめこ」には、おいしい米粉のパンを求め、地域だけでなく、平塚や横浜、遠方から多くのお客さんが来る。
 山口さんは、「パン屋さんというほどのパンの種類はない。毎日、4種類くらい」と笑った。「それでも」と続ける。「うちみたいなパン屋さんがないと、パンを食べられない人たちがいる。大きなパン屋さんと違う価値が、そこにあるかな。そういう人たちの『駆け込み寺』であり続けたいです。だからこそ、教室もお店も趣味の延長線上ではなく、なりわいとして、ビジネスとして、継続的にやっていけるようにしたい」。
 小田原から米粉の魅力をビジネスとして発信する。起業家としての強い信念がみなぎる。

--------------------
旅行帰りのバスが運んだ運命の場所
--------------------
 山口さんのように、小田原をなりわいの拠点に選ぶ人がいる。
 おととし、小田原に移住した、たなかきょおこさんもその一人だ。
 たなかさんにとって小田原は、箱根旅行の帰り、バスの終点として、たまたま降りたまちだった。
 「子どもと一緒に城址公園と御幸の浜に行ったんです。海が近くて、なんかいいまちだなって思いました。その後、もう一度遊びに来ました」。
 程なくして、「新宿のど真ん中」から引っ越すことになった、たなかさん。頭に浮かんだのは、2回しか訪れたことのない小田原だった。
 「『海が近いこと』『新幹線も通っているアクセスのよさ』。それが決め手でした」。
 小田原に住み、2年。「新鮮でおいしい農作物や海鮮が、安く簡単に手に入ること」「海だけではなく、山の自然もたくさんあるところ」「近隣の市町に観光地や絶景があること」。好きなところは続々と増えている。
 たなかさんの職業はイラストレーター。明るく、やわらかいタッチが特徴的だ。小田原の町並みも多く描いている。
 「最初は自分が気に入ったところを好きに描いていました。だんだんと、まだ知られていない魅力を描いていきたいと意識するようになってきています」。
 たなかさんはまちの絵を制作する際に意識することがある。“人”を入れることだ。
 「絵を描くとき、最後に人を入れます。生活している感じが見えるように。まちが『生きている』ように見えるように。小田原って別荘とか、古い建物が、観光スポットや文化財としてだけではなく、まちの至る所に点在して、人々の生活に溶け込んでいる。そこが本当に好きなんです」。

松永記念館(老欅荘)
--------------------
絵がつないだ人と人
--------------------
 移住当初、知り合いは誰もいなかった。しかし、絵を描くことで多くの人との出会いがあった。
 「絵を描かせてもらうときに、いろいろな人と親しくなりました。皆さん喜んでくれた。好意的に受け入れてくれてありがたいです。『小田原のよさを再確認できた』と個展で感想を書いてくれた市民のかたもいました。正直、ここまで喜んでもらえるとは思ってなかったです」。
 変わり続ける町並み。描いてきた作品の中には、閉店してしまったお店もある。しかし、たなかさんの作品として、世に残り、新たな人々の感動を生むだろう。
 2年、小田原に住み、地域のお祭りなどに参加して、知り合いも増えている。今、たなかさんは「もっと小田原に関わっていけたら」と感じている。
 「例えば、小田原の会社とコラボして、仕事ができたらいいな。小田原はミカンとか、レモンとか『いいもの』がいっぱいある。それにかわいいパッケージをつけて売れば、もっと『いいもの』になると思う。そういったことのお手伝いをしたいです」。
 たなかさんは小田原で可能性をさらに広げようとしている。
 さまざまな人が混じり合い、力を合わせ、受け継いできた小田原の力。『おもしろい』『いいもの』として、山口さんやたなかさんの瞳に映っていた。その土壌の中で小田原に新たな魅力が芽吹いていく。

「清閑邸は特に好きな場所です」と語るたなかさん

--------------------
行政の取り組み ~創り出す~
あなただけの小田原ライフを見つけるために
--------------------
移住のオーダーメイド型サポート 【問】広報広聴課 電話 0465-33-1268
 子育て環境、教育のこと、住まいのこと、買い物事情、仕事のこと……。小田原に移住を考えている人々が気になることは十人十色です。
 市では、皆さんの疑問に応えるため、小田原市の暮らしに興味がある人、実際に移住を検討している人を対象に、小田原暮らしの紹介を行うオーダーメイド型のサポートを行っています。気になる施設などにも、実際にご案内。要望に応じて、先輩移住者の話を聞く場も用意します。

 移住希望者から「山も海もあるなんて、『ぜいたく』ですね」と言われたことが印象に残っています。小田原市で生まれ育った私が「当たり前」と思っていたことに、大きな価値があるのだなと気づかされます。
 「小田原を好きになって、移住する」。そういった人々を増やすため、小田原の魅力発信や、移住支援に努めています。そして、移住者と、もともと小田原に住んでいた市民が一緒になり、小田原を盛り上げていけるとうれしいです。
広報広聴課  浅岡龍馬

一緒にまちの魅力を発信しよう
Instagramの市公式アカウント「@odawalab」では、生きるチカラが湧いてくるような小田原の写真に「#小田原のチカラ」をつけて毎日投稿しています。市外の皆さんに小田原の魅力を知ってもらうためには、皆さんの発信が大きな力になります。あなたが「小田原のチカラ」を感じる写真もぜひ投稿してください。
@odawalabもフォローしてね!

移住のオーダーメイド型サポートについて、詳しくはこちら

--------------------
“編集後記“
--------------------
 今回「、受け継ぐ「」混じり合う「」創り出す」という切り口で行った取材。昭和以前の古い写真を提供してくれた人、幼児教室にボランティアとして東京から参加していた大学生、歴史的建造物で市民が集うイベントを開催している人々……。記事中で深く扱いきれなかった「受け継ぐ」「混じり合う」「創り出す」がたくさんありました。そして、その3要素は、独立しているわけではありません。受け継がれてきたものがある中で、混じり合いは起こり、新たな創造が生まれていました。
 激動の時代の中、変化は恐れず、人のつながりや思いは絶やさない。それこそが小田原の強さなのだと感じました。
広報広聴課 鶴井真人

 取材していく中で「、特別なことをしている訳ではない」と皆さんが言いました。しかし、話を聞くと、外から見た私には、一人一人が力強く、「特別」に見えました。何気ない、一人一人が日常で取り組んでいること、昔から続いてきたこと。
 それが結びつき、小田原を支える力となっている。
 そして、いつまでもみんなが笑顔で暮らせるように、このかけがえのない「人の力」がいつまでも続くように。一人一人が、身近なことを意識することが大切だと感じました。
広報広聴課 山浦雅史

====================
#06 〈連載〉北条氏と小田原城
====================
・企画 北条早雲公顕彰五百年事業実行委員会(【問】観光課 電話 0465-33-1521)
・執筆 小田原市経済部副部長 諏訪間順
戦国大名小田原北条氏の本城であった小田原は、関東の首府として政治・経済・文化の中心でした。今年は北条早雲こと伊勢宗瑞が亡くなって500年という節目の年。
北条氏と小田原城を知る、全3回の連載です。
今号では、初代伊勢宗瑞の小田原城はどこにあったのかに迫ります。

伊勢宗瑞の小田原城はどこにあったのか。
 伊勢宗瑞(北条早雲)の小田原城はどこにあったのか。その問いに多くの市民は、現在の小田原高校の一帯、八幡山古郭だと答えるでしょう。小田原高校校歌には「覇者の古城の跡に立つ」とあり、八幡山こそが、宗瑞が大森氏から奪い、小田原城を築いた場所だと考えられていました。しかし、そのことを伝える文書などがないので、確実なことは分かりません。
 では、発掘調査から考えてみることにしましょう。八幡山古郭では、小田原高校改築に伴う発掘などが複数地点で行われ、堀や井戸、道路や方形竪穴など多くの遺構が検出されています。実は、これらの遺構はいずれも年代的には、宗瑞亡き後の16世紀後半と考えられるものばかりで、宗瑞時代はおろか、氏康時代の遺跡の存在も確認できていません。では、どこに宗瑞時代の遺跡があるのかというと、御用米曲輪や銅門周辺など、二の丸一帯と欄干橋町遺跡などの東海道近くに集中していることが明らかになっています。宗瑞が城を構えた条件は、小田原宿や関所の管理を行いやすい位置で、かつ、要害(城)となりうる高台の地形を兼ねた場所であろうと考えられます。その条件を備えているのは、現在の本丸と二の丸一帯であり、宗瑞の小田原城は、そこに位置した可能性が高いことを、発掘された初期小田原城の遺跡の存在が裏づけていると考えられます。

小田原城八幡山古郭東曲輪から見た本丸

--------------------
小田原城天守閣特別展 伊勢宗瑞の時代
--------------------
【問】小田原城総合管理事務所 電話 0465-23-1373

 今年は、伊勢宗瑞の没後五百年にあたります。これを記念し、「伊勢宗瑞」にスポットを当てた展示をします。
期      間 10月12日土曜日~12月10日火曜日
開 館 時 間 9時00分~17時00分(最終入館16時30分)
場      所 小田原城天守閣4階企画展示室(城内6-1)
主な展示資料 興国寺城出土遺物(沼津市教育委員会)
韮山城跡・堀越御所跡出土遺物(伊豆の国市教育委員会)
史跡鉢形城跡出土遺物(鉢形城歴史館)
相国寺旧境内出土遺物(同志社大学歴史資料館)

シンポジウム開催!
最新の研究結果などから伊勢宗瑞をより詳しく知るためのシンポジウムも開催します。
●伊勢宗瑞の伊豆進出
日時 12月1日日曜日
    13時00分~17時00分(開場12時00分)
場所 市民会館小ホール(本町1-5-12)
講師 家永遵嗣さん(学習院大学)
    齋藤慎一さん(江戸東京博物館)
    望月保宏さん(静岡古城研究会)
定員 300人・申込先着順

●伊勢宗瑞の小田原進出
日時 12月15日日曜日
    13時00分~17時00分(開場12時00分)
場所 市民会館小ホール(本町1-5-12)
講師 黒田基樹さん(駿河台大学)
    金子浩之さん(伊東市教育委員会)
    長塚孝さん(馬の博物館)
定員 300人・申込先着順

申し込み 住所、氏名、連絡先をファクス、メール、電話または申込フォームで
FAX 0465-22-0776  Eメール odawara-castle@city.odawara.kanagawa.jp
申込フォーム https://hojosoun.com/2019/12/01

====================
#07 〈連載〉小田原市の「働く場」。 これがわたしのお仕事です
====================
市内にある事業所の持つ魅力に、迫ります。
vol.3日本新薬株式会社

今回紹介してもらうのは、入社11年め 山地 誠さんです!
小田原とわたし
料理が好きなので、新鮮な食材が豊富にあっていいですね。片浦レモンを使った料理を作るなど、小田原の食材をたんのうしています。ラーメンもおいしくて、いろいろなお店を食べ歩いています。
お仕事紹介
 日本新薬は研究開発型の製薬企業で、医療用医薬品や機能食品の製造・販売をしています。
 小田原総合製剤工場では、主力製品である血液がん治療剤や肺高血圧症治療剤をはじめ、高品質で特徴のある、信頼性の高い医薬品を数多く製造しています。
 私は製造企画課に所属していて、新たな製品の導入や、工場全体の「見える化」と進捗管理など、工場運営に関わる幅広い仕事をしています。そういった業務の中で、新しい取り組みが軌道に乗っていったときに達成感を感じます。
 職場はとてもアットホームな雰囲気で、休憩時間には社員みんなに笑顔があふれています。

企業名 日本新薬株式会社 小田原総合製剤工場
所在地 桑原676-1

ここがすごい! 「社員に優しい職場」
2017年に完成した新棟は、国内最大級を誇る最新鋭の製造設備を備えています。医薬品製造は、きめ細かい複雑な仕事ですし、業界の環境も目まぐるしく変わってきているので、最新鋭の設備で業務の効率化を図っています。そのため、夜勤はなく、残業もほとんどない、社員に優しい環境になっています。会社として社員を大切にしていて、すごく働きやすいですね。余談ですが、京都本社の社会人野球チームは、毎年のように全国大会に出場するほど強いです!

====================
#08 おだわら情報
====================
--------------------
10月1日から 消費税率が引き上げられました
--------------------
【WEBID】 P27750 【問】市税総務課 電話 0465-33-1341
10月1日から、消費税・地方消費税の税率が10%に引き上げられ、公共料金や一部の公共施設の使用料が改定されました。

政府広報
2019年10月1日、消費税・地方消費税の税率は10%へ。
※10%のうち2.2%は地方消費税です。
?税率引上げは社会保障制度を次世代に引き継ぎ、みんなが安心できる社会にするために必要です。
?引上げ分は、すべての世代を対象とする社会保障のために使われます。
?家計と景気、両方の視点から対策を実施します。
政府広報 消費税 検索

公共料金・公共施設の使用料の改定
●水道料金・下水道使用料
【問】水道局営業課 電話 0465-41-1202 下水道総務課 電話 0465-33-1616
  水道料金と下水道使用料の消費税率が、10%になりました。ただし10月1日より前から継続して使用している場合は、原則として11月に検針を行った分までは、旧税率(8%)が適用されます。詳しくは、水道局料金センター(電話 0465-41-1211)までお問い合わせください。
また、県営水道の水道料金については、神奈川県営水道お客さまコールセンター(電話 0570-005959)へお問い合わせください。

●公共施設の使用料
一部の公共施設では、10月1日から消費税率引き上げ分を反映した使用料に改定しました。各施設の窓口やホームページで確認してください。

小田原市立病院 【WEBID】 P27836 【問】医事課 電話 0465-34-3175
消費税率引き上げに伴い、診断書料などを改定しました。

軽減税率制度が実施されます
「酒類・外食を除く飲食料品」や「定期購読契約が締結された週2回以上発行される新聞」には、軽減税率(8%)が適用されます。

軽減税率の対象となる飲食料品の範囲
飲食料品(食品表示法に規定する食品)=人の飲用または食用に供されるもの
酒類(軽減税率対象外)
テイクアウト・宅配等(軽減税率対象)
外食(軽減税率対象外)
ケータリング等(軽減税率対象外)
有料老人ホーム等で行う飲食料品の提供(軽減税率対象)
一体資産※(軽減税率対象・軽減税率対象外)
例:紅茶(食品)とカップ(食品以外のもの)が一緒になっているギフトセット
※一定の一体資産は、飲食料品に含まれます。
医薬品・医薬部外品等(軽減税率対象外)
国税庁ちらし「令和元年10月1日から消費税の軽減税率制度が実施されます」を基に作成
軽減税率制度についての詳しい情報は、国税庁ホームページ(http://www.nta.go.jp/)内の特設サイト「消費税の軽減税率制度について」をご覧ください。

事業者の方へ
消費税率引き上げで困ったときは
消費税率引き上げでは、消費税の転嫁拒否(買いたたき、減額)など、消費税に関連する形での安売り宣伝や広告が禁止されます。
転嫁拒否や転嫁阻害表示などで困ったときは、下記の窓口にご相談ください。
●消費税価格転嫁等総合相談センター
・フリーダイヤル(IP電話を含む固定電話からかける場合) 電話 0120-200-040
・ナビダイヤル(有料) 電話 0570-200-123
受付時間 9時00分~17時00分(土・日曜日、祝日は除く)

--------------------
「少人数」だからできるたくさんのこと
片浦小学校 令和2年度児童を募集
--------------------
【WEBID】 P11264 【問】教育指導課 電話 0465-33-1684 片浦小学校 電話 0465-29-0250
  片浦小学校は、平成24年4月から「小規模特認校」として、一定の条件のもと、市内全域から通学できる学校になりました。
全校児童は95人※。学年の垣根を越えて、皆が仲良くなれる学校です。その子に応じたきめ細やかな学習指導を行える、一人一人に行き届く先生の目があり、恵まれた自然環境と、温かな人間関係の中で生活できます。
※平成31年4月5日現在

募集人数
1年生8人(令和2年4月1日時点の学年)
※多数抽選(兄・姉が在学している場合は、優先枠有り)

入学の条件
・保護者・児童ともに、市内に居住している。
・小規模特認校の教育活動、PTA活動に賛同している。
・通学は、保護者の責任と負担で行う。
・卒業まで通学する。
・小規模特認校での就学、通常級での学習や活動ができる。

手続きの流れ
学校公開日
10月28日月曜日・29日火曜日、11月23日祝日
※入学希望者は、この日程のいずれかで見学してください。日程が合わない場合は、片浦小学校にお問い合わせください。
※10月28日月曜日15時00分~16時30分は、学校説明会を開きます。

面談
11月1日金曜日~29日金曜日

申請書の提出(面談終了後)
11月1日金曜日~12月2日月曜日
※教育指導課に直接提出
※申請書は教育指導課、片浦小学校で配布。市ホームページからダウンロードもできます。

--------------------
尊徳翁の命日にちなみ
第61回 尊徳祭
--------------------
【WEBID】 P27744 【問】尊徳記念館 電話 0465-36-2381
二宮尊徳翁の命日である10月20日前後に、毎年開催している「尊徳祭」。尊徳翁の教えを日々の暮らしや社会活動に生かす機会となるように、体験型の催しとなっています。
日時 10月19日土曜日・20日日曜日9時00分~17時00分
場所 尊徳記念館

【19日土曜日】
12時10分~12時50分  オープニングコンサート(栢山混声合唱団)
12時30分~15時00分  こども報徳市(「報徳楽校」で栽培・収穫した農産物の販売)
13時00分~14時20分  開会式・「二宮金次郎とわたし」(小学生による作文発表)
14時30分~16時00分  映画「二宮金次郎」~監督が描きたかった金次郎像~
(映画監督の五十嵐匠氏による講演)
申込 生涯学習センターけやき(電話 0465-33-1882)に電話で
【20日日曜日】
8時00分~正午   二宮金次郎柴刈りウォーク(尊徳翁が柴刈りで歩いた道を散策)
申込 尊徳記念館に電話で
10時00分~11時30分  『報徳記』を読もう(尊徳翁の伝記を読み、その功績を学ぶ)
申込 尊徳記念館に電話で
10時00分~11時30分  琴演奏会(つぼみの会)
10時30分~15時00分  報徳市(栢山の農産物などを販売)
11時30分~12時45分  柴刈りウォーク歓迎セレモニー(報徳太鼓の会)
13時00分~13時30分  大型スクリーン紙芝居「二宮金次郎物語」(二宮尊徳いろりクラブ)
13時30分~15時30分  アトラクション(さざなみ会、小田原謡曲連合会、相模人形芝居下中座)
※両日とも、尊徳生家の特別公開といろり燻蒸、展示室の無料開放を実施します。また、地域の小学生の尊徳学習の成果展示などを行います。

====================
#09 くらしのガイド おだわらいふ「お知らせ」
====================
--------------------
令和元年度9月補正予算の概要
--------------------
【ID】P26542 財政課 電話 0465-33-3313
一般会計補正予算
(6億7,124万7千円追加)
●SDGs普及啓発事業費の計上
●小田原駅東口図書館・子育て支援施設整備事業費の計上
●道路・河川・農道等維持管理費の増額
●サブアリーナ屋根改修工事請負費の計上
競輪事業特別会計補正予算
(944万7千円追加)
●施設現況等調査事業費の計上
この結果、全会計の予算額は、1,612億894万2千円となりました。
【寄附者一覧】(敬省略)
●ふるさと文化基金寄附金(10万円)
・(一社)茶道裏千家淡交会小田原支部
●市民ホール整備基金寄附金
(合計11万1,574円)
・山吹流寿三翁会
・小田原カラオケ連合会 ・匿名
●防災対策基金寄附金
(合計15万2,267円)
・月島テクノメンテサービス(株)
・(公社)小田原青年会議所
●社会福祉基金寄附金
(合計44万3,504円)
・小田原盆栽愛好会
・愛光電気(株)
・故 富田一美 遺族 遠藤多加子
●ふるさとみどり基金寄附金
(合計22万4,928円)
・小田原庭園業組合
・あいおいニッセイ同和損害保険(株)
●奨学基金寄附金(50万円)
・匿名

--------------------
10月は食品ロス削減月間
--------------------
【ID】P23961 環境政策課 電話 0465-33-1471
食べられるのに捨てられてしまう食べ物「食品ロス」は、平成28年度に全国で約643万トンも発生しています。できることから取り組んで、食品ロスを減らしましょう。
・食材は使いきれる分だけ買う
・料理は食べられる分だけ作る
・食材の保存方法を検討する
・保存した食べ物を忘れないように、冷蔵庫の中の配置方法を工夫する
・外食するときは食べきれる分だけ注文し、残ってしまったら持ち帰ることができるかお店に確認してみる

--------------------
読書週間リーフレット
--------------------
【ID】P13581 かもめ図書館 電話 0465-49-7800
市立図書館 電話 0465-24-1055
小学生と中学・高校生向けの、おすすめの本を紹介するリーフレットを配布します。
【期】10月20日日曜日~11月9日土曜日
【場】市内の図書館、図書室、図書コーナー
※市ホームページにも掲載

--------------------
最低賃金の改定
--------------------
神奈川労働局賃金室 電話 045-211-7354
10月1日から、県最低賃金は、時間額1,011円に改定(28円引き上げ)されました。県内のアルバイト・パートを含む全ての労働者に適用されます。
【関】産業政策課

--------------------
地域包括支援センターの土曜開所
--------------------
【ID】P03387 高齢介護課 電話 0465-33-1864
平日にセンターに来所することが難しい人が利用しやすくなるよう、10月から、土曜日も各センターの窓口を開所します。
※平日と異なり、一部対応ができない業務があります。

--------------------
市立病院救命救急センターの増床工事
--------------------
【ID】P27735 経営管理課 電話 0465-34-3175
よりよい医療環境を提供するため、救命救急センター病棟の増床工事を行います。工事期間中は、当院病棟の一部が使用できない他、騒音・振動が発生する日があります。ご理解とご協力をお願いします。
【期】11月上旬~令和2年3月上旬頃

--------------------
早川臨時観光案内所がオープン
--------------------
【ID】P27866 観光


ページトップ