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2016年06月23日(木)

市民会館へ行ってアートを見よう!

服を作る女服を作る女
 この6月末日で、市民会館の本館の4・5・6階の会議室が閉鎖される予定です。UMECOもできて、市民が利用できる会議室が増加したこともありますが、やはり老朽化が理由でしょう。市民にとっては懐かしい本館会議室ですが、防災上の観点からも致し方がないことでしょう。
その市民会館を訪れたことがある人ならば知っているはずなのですが、恐らく、多くの市民は意識もせずに通り過ぎている場所があります。それは、各階に飾ってある絵画の掲示されている場所です。本館のエレベーターホールから各階のホールまで、改めてみると随分と飾られています。ほとんどの来館者は眺めることもなく、その前を通り過ぎていきます。言われなければ、そこに絵画が飾ってあることすら覚えていないかもしれません。

市民会館所蔵のアート作品

 市民会館に飾られている絵画の作者は、小田原にゆかりのある画家たちばかりです。4階から6階までの会議室が閉鎖になると、それらの絵画がどうなってしまうのか、ちょっと気がかりです。そして、それらの絵画の作者がどのような画家であったのかも忘れ去られてしまうのではないか、と云うこともまた気になりました。そこで、美術好きの集まりである「OMP(おだわら ミュージアム プロジェクト)」では、市民会館にある絵画のデータ整理や保存修復をする活動を始めました。その活動の中で、改めて市民会館に飾られている絵画の素晴らしさに気付きました。その中の何点かをご紹介しましょう。

「服を作る女」

 市民会館掲示の絵画の中で私が最も魅了された作品は、本館6階ロビーに展示されている門松茂夫氏の「服を作る女」です。布を身体に巻き付けて鏡を見る女性を描いています。魅力の第一は、その色彩にあります。水色と黄色の斑点がちりばめられた布地の鮮やかな色彩にまず目がいきました。また、女性像の確かな存在感も魅力です。ぐっと前に踏み出した太い左脛と、足の甲に腱が浮き出るほど踏ん張っている右足は、がっしりと上半身を支えています。左腕は布端を持って身体に巻き付けて、左肩は大きく落ちています。不自然な姿勢でありながら安定感あるポーズは、これらのダイナミックな身体表現によるのでしょう。女性が布生地だけで服をイメージしようと没頭している姿が、観る者を引きつけます。
 この絵は、市の管理台帳によると、昭和12年(1937)の二科展入選作と記載されています。二科展を主催する二科会は、大正3年(1914)に文部省主催の官展である「文展」から分離して、在野の美術団体として活動しました。有島生馬や梅原龍三郎など新進気鋭の洋画家たちが参加しました。設立主旨からも分かるように独立・進取の気風を持つ二科展は、若手画家の登竜門とされ、新しい作風を志す若手の活躍の場を提供していました。戦前の美術界へ新風を吹き込んでいた二科展に入選したこの門松氏の作品は、制作から80年を経た現在にあっても、その若々し輝きを失っていないように思います。
 一方で、本作品の展示の場所は問題があります。本館6階ロビーの西側の窓際にあるので、西日が当たってしまうのです。額はガラス付であるので汚れの対策にはなっていますが、退色の問題を抱える展示です。会議室閉鎖後は、適切な保存を願いたいと思います。
中国の女中国の女
「中国の女」

 もう一つ、とても気になる作品が市民会館にあります。本館2階の特別室に展示してある「中国の女」と題された作品です。特別室なので、通常は来館者の目に触れることのない作品です。モデルは中国大陸南西部の山岳少数民族の女性でしょうか。左右に長く下がる髪飾りや繊細な刺繍のある髪結、黒色の被り物と上着など、いかにも民族衣装です。整った横顔が前を凝視している立ち姿は、凛としたこの女性の品格までも表わしているようです。

 この作品の作者は不詳です。左下に落款(らっかん)はあるのですが、判読できません。落款印は、囍の間に羊がある文字です。囍も羊も中国では目出度い漢字ですから、作者は中国人画家なのかもしれません。作者は不明ですが、出所は記録されています。昭和41年(1966)に、山崎元幹(やまざき もとき)氏が、小田原市へ寄贈されました。
山崎氏は明治22年(1889)福岡県生れの一高から東京帝大と進んだエリートで、大正5年(1916)満鉄へ入社しました。大正10年(1921)には欧米へ留学しています。帰国後、社長室文書課長や総務部次長などを歴任し、昭和7年(1932)に理事へ就任しました。昭和17年(1942)に満鉄副総裁となり、終戦直前の昭和20年(1945)に満鉄総裁まで上り詰めました。そして、満鉄の最後の総裁として終戦を迎えのですた。しかし、すぐには帰国できず、ソ連軍の指揮下で南満州鉄道の運営業務を継続するために抑留されてしまいました。昭和22年(1947)に帰国した後は、小田原に居住し隠棲し、昭和46年(1971)に小田原で亡くなりました。
 このような経歴の山崎氏が保持していた本作品は、山崎氏が戦前中国に居住していた頃に入手したのかもしれません。
本作品には、残念ながら中央部に大きな水シミがあり、左右下部にもあります。これらのシミが、いつ、どのような原因で付いたか不明です。現在は、使用頻度が多くない特別室に掲げられており、窓からの日光は厚手のカーテンで遮られて、保存環境は悪くはありません。しかし、何らかの補修をしなければ、色落ちなどの劣化が進む懸念があることも確かでしょう。

市民会館のアート鑑賞の最後のチャンス

 紹介した2点以外にも、風景画や静物画などの魅力的な作品が多数あります。市民会館の絵画は小田原のアートの歴史の貴重な遺産です。OMPでは、絵画の補修作業などにも取り組もうと計画をしています。それらの活動を通して、小田原の持つアートの魅力を掘り起こしていきたいと思っています。
 6月末には4階から6階までの会議室が閉鎖になりますので、これらの階に飾られている絵画を観賞する時間は、もうあまり残されていません。これを機会に、小田原ゆかりの画家たちの素晴らしい作品を観賞しに、市民会館を訪れて見ませんか。絵画の前に立ち止まって眺めて見れば、こんな身近なところに素晴らしいアート作品があることを再発見して、きっと小田原の文化を誇りに思うことができるでしょう。(深野 彰 記)
 

2016/06/23 12:02 | 美術

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