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2016年07月19日(火)

アウトリーチ事業・狂言「柿山伏」

会場の全景。児童の後は父母席会場の全景。児童の後は父母席
「アウトリーチ」と聞いても、まだ多くの方には馴染みがないでしょう。小学生の保護者の方であれば、ご存知かもしれません。アウトリーチを直訳すると「手を伸ばす」ですが、転じて、「援助が必要な所への出張や派遣」という意味があります。そこから、芸術文化の分野では、音楽やアートや演劇などの芸術家が通常の活動会場を飛び出して、観客の生活の場に出向いて働きかけをすることを云います。具体的には、学校や公共施設などで芸術普及活動を行うことです。学校でのアウトリーチは、日ごろ芸術文化に接する機会が少ない子どもたちに、プロの芸術家による本物の演奏や演技を観てもらおうとする試みです。そして、ただおとなしくかしこまって観るだけでなく、プロの指導の下で演技や演奏を自ら体験する機会も設けられていることも、アウトリーチの特徴と云えます。

小田原市文化部文化政策課では、このアウトリーチ事業を数年前から積極的に取り組んでいます。平成27年度には、アウトリーチを24件実施しました。平成28年度も引き続き、多くのアウトリーチ事業を計画していて、その実施を進めています。前々からアウトリーチ事業の現場を訪れてみたいと思っていたところ、小学校で「狂言」のアウトリーチがあると聞いて、取材を申し込みました。今回は、アウトリーチ事業の現場からのレポートです。
 
■矢作小学校のアウトリーチ■
小田原市立矢作小学校小田原市立矢作小学校
6月27日(月)に実施された狂言のアウトリーチ事業の会場は、小田原市立矢作(やはぎ)小学校の体育館でした。矢作小学校は、小田原市の東南に位置し、小田原循環器病院の裏手にあります。

当日は、梅雨の晴れ間で強い日差しが眩しいほどでしたが、幸い体育館の中はヒンヤリとしていました。矢作小学校の体育館は、ちょっと変わった作りです。長方形の体育館の長辺側に舞台があり、横長の舞台を正面にして、子どもたちは横に広がり、より舞台に近づいた席で鑑賞することができるのです。迫力ある演技の息遣いさえも感じることができるでしょう。
開演時間5分前には、子どもたちは体育館へ移動して、床に座って整列していました。今回のアウトリーチの対象は、5・6年生全員です。もうこの学年となれば、騒ぐこともなく静かに開演を待っていました。子どもたちの後には参加する保護者のためにパイプ椅子が用意され、一緒に鑑賞していました。
■狂言「柿山伏」■
山伏が現れます山伏が現れます
いよいよ開演です。恐らく多くの子どもたちは、狂言を観るのは初めてのことでしょう。いきなり「柿山伏」の鑑賞となりました。
 
 修行をして故郷へ帰る途中の山伏が歩いてきます。山伏は何も食べていないので、お腹がとても空いていました。すると、柿の木があるのを見つけ、山伏は、他人のものだと知りながら、舞台上手(向かって右側)で柿の木に登る動作をして、柿を食べる仕草をします。そこへ、柿の木の持ち主が現れます。柿主は山伏の姿を見つけ、からかってやろうと思います。山伏は修行の結果、「法力(ほうりき)」という超能力を身に付けられるとされています。柿主に見つかってしまったと分かった山伏は、柿主が「猿?」と云えば、猿の鳴き声をします。山伏は法力で柿主をだませたと思っています。更に、「トンビ?、トンビなら飛ぶだろう」と柿主が云うので、山伏は柿の木から飛び降りるのですが、当然空に舞うことは出来ず地面に落ちて、したたかに腰を打ってしまいます。
上手に柿の木に登った山伏、下手に持ち主上手に柿の木に登った山伏、下手に持ち主
柿主の前で落ちてしまった山伏は、逆に開き直って、痛い、痛い、お前のせいで怪我したのだから、家まで背負って治療しろ、と要求します。柿主は、柿泥棒のくせに謝って失せろ、と言って去ろうとしますが、山伏は、背後から法力を掛けて、柿主を引き戻してしまいます。金縛りにあった柿主は、山伏を背負います。しかし、結局、柿主は山伏を背中から振り落として、去ってしまうのです。山伏の法力など、初めから効いていなかったのです。
子どもたちにとって、台詞(せりふ)を聞き取ることはちょっと難しかったかもしれませんが、仕草の軽妙な動きが笑いを誘っていました。
 
■お話■
お話する山本東次郎師お話する山本東次郎師
狂言を観た後に、山本東次郎師による狂言の解説がありました。

 お話は、狂言とは何か、「柿山伏」の解説、狂言師の基本動作から狂言を通じて日本の文化などで、子どもたちにも分かり易く語り掛けられました。例えば、全てを語らず点だけを伝え、後は観客の想像で点を線で結んでもらう、と云った古典芸能の特徴でした。

 
正座をして所作の話を聞く正座をして所作の話を聞く
舞台上をするすると動き回り、表情豊かに語られるそのお姿は、それだけで、狂言の舞台を観ているようです。山本東次郎師の語り口は、速くもなく遅くもないペースで、はっきりとしていて、とても聞きやすいお話でした。話の内容だけでなく、このような語り口を聴くことができただけでも、日本語の「語り」の美しさを知る良い機会となったように思いました。
■体験 あいさつ■
次は、いよいよ実体験です。子どもたちは体育館の床に正座します。その姿勢のまま、基本の所作(動き)の説明を受けます。かまえ、立ち居、歩く、掛ける・ねじる、走る、の動作の説明を聴いた後、実際に身体で体験します。
正座をして、床に手をつき、頭を下げてあいさつをします。狂言師の先生が、「今日、家に帰ったら、こうして『ただいま帰りました』とあいさつして下さい」と言われると、会場中に笑いが起きました。
みんなで「歩き」の稽古みんなで「歩き」の稽古
歩きは、先生の狂言師が、手を(もも)に沿えて摺り足で滑るように歩いて見せます。次に全員で、先生の動きを真似して歩きます。若手の狂言師の先生数人が、子どもたちの中に入ってくれました。その動作を見ながら、子どもたちは実践しました。日頃の歩くペースとは全く異なる歩き方に、戸惑う子どももいましたが、みなさん歩くことに集中していました。たかが歩くことなのですが、歩きだけに集中するということ自体が、子どもたちにとって貴重な体験だったのではないかと思いました。
一列になって「走り」の稽古一列になって「走り」の稽古
そして、「走る」です。狂言師の先生が、体育館を対角に走ります。歩くときと同じ姿勢なのですが、その足の運びの速いこと! まるで車輪をクルクル回すハツカネズミの足の運びようです。子どもたちは、一列になって「走り」を体験します。さすがに、この動作は子どもたちには難しかったようです。つい、何時もの調子で走ってしまう子もいましたが、どの子もとても楽しそうに「走り」を体験していました。
そして、基本の「声を出す」も体験しました。狂言で使われる「笑う」「泣く」などの発声を子どもたちもやってみます。実際声を出してみると、簡単ではありません。声を出すということも基本として学ばなければならない演技なのだ、と理解できたのではないでしょうか。
 
■小舞■
山本東次郎師の「小舞」山本東次郎師の「小舞」
狂言アウトリーチの最後は、山本東次郎師による「小舞」です。黒紋付きに紺袴の出で立ちで、扇を手にして舞います。
狂言を演じるためには、基本となる技を身に付けねばなりません。(うたい)、舞、語りです。それらをこの小舞を通じて修得鍛錬していくのです。子どもたちも体験した正しい姿勢と基本動作を厳しく身に覚えさせねば、舞にはなりません。山本東次郎師による小舞は、流れるような動きでありながら、一つ一つの切れの良い動作に厳しい緊張感を感じました。これらも、日頃の稽古で身に付けられた型を鍛錬した賜物でしょう。

山本東次郎師は、重要無形文化財各個指定保持者、いわゆる「人間国宝」です。そのような日本を代表する狂言師の舞を真近に観る機会は、アウトリーチだからこそ可能となる体験でしょう。狂言のアウトリーチは、各小学校からも希望が多いと聞きました。矢作小学校での狂言アウトリーチ事業は、子どもたちに古典芸能そのものを知る機会となるだけでなく、古典芸能とは、日頃の日常生活を通じて身に付く美しい所作(しょさ)や型が基本にあり、そこに日本の伝統的古典芸能「狂言」から日本文化を学ぶ機会となったように思いました。
体育館での鑑賞の後、狂言師の先生方は、各教室で子どもたちと給食の時間を一緒に過ごすとのことでした。いつもと同じ給食でも、きっと豊かな時が流れていたのではないかと、子どもたちに聞いてみたいです。
人間国宝の演技を観る機会は、大人になっても、そうあるものではありません。アウトリーチ事業は、子どもたちが本物に触れる体験を通して、豊かな感性を育てる貴重な機会であると感じました。(深野 彰 記)
 

2016/07/19 10:00 | 芸術

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