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2021年08月06日(金)

小田原市民会館閉館記念事業ラストデイ(前編)

写真1:市民会館閉館記念事業ラストデイのチラシ写真1:市民会館閉館記念事業ラストデイのチラシ
 7月31日、ついに小田原市民会館は59年の歴史に幕を下ろした。この市民会館の最後の日は、一部を除き全館オープンとなって、どの部屋も自由に出入りできた。そして、館内各所に思い出のメッセージを描ける壁が用意されて、来場された市民が次々と言葉やイラストを記していた。本館2階の展示室では、「小田原市民会館閉館記念事業ラストデイ」の一環として、市民会館思い出アーカイブ隊による「市民会館アーカイブ展」が開催された(写真1)。終日アーカイブ隊が展示資料の説明に立った。
1.思い出アーカイブ展
 一昨年秋に結成された「市民会館思い出アーカイブ隊」は、市民会館の半世紀以上に亘る活動の歴史の記録を掘り起こす活動に取り組んできた。アーカイブ隊メンバーは小田原文化レポーターなどの市民である。アーカイブ隊は、市民の記憶の中に残っているだけの市民会館の諸資料を発掘して、誰でも見ることのできる形で遺すことをめざした。アーカイブ展はその活動成果の展示であった。
写真2:アーカイブ展を見る来場者写真2:アーカイブ展を見る来場者
 展示室入口右側の壁には、大ホールの建築的魅力とホワイエにある壁画の謎についての資料を展示した。反時計回りに進むと、市民会館開館時の写真、本館の結婚式場などの資料が並ぶ(写真2)。家族連れで訪れたていたお婆さんが、机に並べられた両家名の看板などを見ながら懐かしそうに「私はここで結婚式を挙げたのよ」と、お孫さんに説明していた。市民会館は市民の人生の大切な時間を刻んできたのだなあ、と改めて市民会館への市民の想いを感じた。
 コーナーを廻ると、1962年の開館当時から音楽イベントを主催していた「労音(勤労者音楽協議会)」が開催した、市民会館でのコンサートなどのリストである。市民会館大ホールの完成前は、労音主催のイベントは小中学校の講堂を会場に、多くの著名音楽家が出演していた。このことが市民たちの本格的音楽ホール建設を求める大きな動きとなったのである。労音の活動は、池田隊員が調べ上げて長大な年表を作成した。
写真3:ポスターを熱心に撮影する来場者写真3:ポスターを熱心に撮影する来場者
 労音の活動が衰退した後は、「シャム猫カンパニー」が、売り出し中の若いミュージシャンを次々と呼び寄せた。尾崎豊なども来ていたことに驚かされる。続いて、色鮮やかに並ぶのが、大ホールで開催されたコンサートのポスターである。これらのポスターは人気があり、懐かしがる年配者だけでなく、若いファンも熱心にカメラを構えていた(写真3)。市民会館が最も華やいでいた時代の忘れ形見である。
写真4:ドリフのビデオを見る子ども写真4:ドリフのビデオを見る子ども
 次のコーナーでは、市民会館で延べ10回もの収録が行われたドリフターズの「8時だヨ!全員集合」のビデオが流された。諸星隊員は、「8時だヨ!全員集合」が公開録画の情報収集に奔走した。ドリフのビデオを見ていた母親と五年生くらいの男の子がいたので、お母さんに「ドリフを見ていたのはお母さんの世代で、お子さんは知らないでしょうね・・」と声を掛けた。すると、「いえ、この子はドリフの大フアンなんですよ」と、答えが返ってきた。「エッ!」と驚くと、「一度、ユーチューブで見せたら、それ以来すっかりハマってしまって・・・」とニコニコして説明された。「ユーチューブかあ・・・」と、虚を突かれた。時代は変わっている。その時代の盛り上がりだけではなく、過去から現在まで、そして未来までもが伝わっていく時代になったのだと、この親子との会話で実感した。
写真5:歌舞伎上演のポスター写真5:歌舞伎上演のポスター
 市民会館で上演された歌舞伎のポスターや歌舞伎役者たちの色紙の展示には、大きなスペースが必要だった(写真5)。それだけ歌舞伎公演は、盛んだった。机の上には歌舞伎公演のパンフレットが並べられた(写真4)。市民会館の開館当時の小田原市長は、鈴木十郎氏であった。鈴木市長は歌舞伎座支配人の経歴があり、松竹と太いパイプがあった。大ホールのこけら落としには、当時の歌舞伎俳優が多数馳せ参じた。開館の大ホールでは、毎年歌舞伎公演が開催されてきた。地方でこれほどまで歌舞伎公演が盛んである都市は珍しく、小田原では鈴木市長が繫いだ縁が、今でもしっかりと引き継がれている。
(深野彰 記)

【後編に続く】

2021/08/06 08:56 | 歴史

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