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2021年08月11日(水)

小田原市民会館閉館記念事業ラストデイ(後編)

写真6:大ホール壁画の説明会写真6:大ホール壁画の説明会
2.大ホール壁画に深まる謎

 アーカイブ隊発足の背景には、「そもそも「市民会館はなぜ建てられたのか?」と云う素朴な疑問があった。それを探るためには、当時の小田原市が置かれていた社会状況や、文化的背景を探る必要があった。手分けして「広報おだわら」の調査を手始めに、本館4階や屋上ペントハウス、大ホール中継室などに保管されていたポスターやカタログなどの資料を引っ張り出して調べ上げた。これらの作業は、まさしく市民会館の歴史の発掘作業であった。
写真7:7月18日神奈川新聞の記事写真7:7月18日神奈川新聞の記事
 市民会館には、アーカイブ隊が「七不思議」と呼ぶ「謎」がある。本館1階のエレベーターホールのヒグマのはく製は、北海道で撃たれた記録は残っているが、それが何故小田原に来たのか、その由来が謎である。この熊さんは、閉館後に神奈川県立生命の星・地球博物館へ引き取られることが決まっている。来場者からは「この熊はどうなるの?」と心配されたが、行先を伝えると皆さん安堵されていた。
写真8:大ホール壁画の展示写真8:大ホール壁画の展示
 もう一つ市民会館の謎が、大ホールの1階と2階にホワイエに描かれた壁画である。「おだわら・ミュージアム・プロジェクト」の調査で、作者は「西村保史郎」と云う画家であることは分かった。しかし、小田原に縁のない画家が、なぜ市民会館正面の壁に抽象画を描いたのかは謎のままに残っている。7月7日のオープンデイに壁画説明会を開催した(写真6)。この日には新聞社の取材もあり、タウンニュースや神奈川新聞に取り上げられた(写真7)。アーカイブ展では、謎は謎として調査結果を展示した(写真8)。新聞に載ったためか、ラストデイに大ホール壁画を見たいという来場者が多かったが、この日は別のイベントがあって大ホールには一般来場者が入れなかったのは、ちょっと残念であった。
 現時点では、壁画は大ホール解体時に同時に消える運命にある。諸星隊員が大学教授などへ調査と保存方法について相談を進めている。先日来られた美術史専門の大学関係者は、劇場でのこのような壁画は見たことがないと仰っていた。貴重な作品であるから、全面保存は無理でも、部分の保存はできないだろうか。少なくとも学術的記録は、きちんと残しておく必要はあるだろう。
3.さよなら市民会館
写真9:「北条茶房」でのビオラ演奏写真9:「北条茶房」でのビオラ演奏
 閉館前日の7月30日は、本館2階にある「北条茶房」の最終日であった。「だるま」から引き継いで市民会館来場者へ食事を提供してきた。天丼と天せいろは、大盛りの天ぷらが評判だった。最後の日に、ビオラ奏者の神馬さんがミニコンサートを開いて、これまでの営業に感謝を表した(写真9)。
写真10:UFOシャンデリアと思い出写真10:UFOシャンデリアと思い出
 市民会館最後の日は、朝から次々と市民が訪れた。来場者はカメラを構えて、建物の隅々まで撮影していた。そして、壁に思い出と感謝の言葉を書き記していた。それぞれの部屋は、色とりどりのイラストと文字に溢れていた。本館6階第7会議室は、結婚式の披露宴会場として使用されたので、天井に豪華なシャンデリアが下がっている。ラストデイで、シャンデリアには光が灯っていた(写真10)。光り輝くシャンデリアは、まるで映画「未知との遭遇」のUFOが舞い降りたようだ。市民にとって市民会館とは、日常生活から離れた別世界との遭遇の場であったのだろう。
写真11:最後の大ホール・ステージ写真11:最後の大ホール・ステージ
 18時からは、大ホールで小田原出身のチェロ奏者・白井彩さんによる「さよならコンサート」が開催された。コロナ禍で座席数が制限される中でも、多くの市民が大ホールに響くチェロの音色に最後の想いを巡らした(写真10)。コンサート終了後に市民たちが舞台に上がって記念写真を撮った。最後の思い出つくりであった。
写真12:逆光にかすむ小田原城写真12:逆光にかすむ小田原城
 日が西に傾いてきた頃、最上階まで上った。眼下の大ホール屋根の先に、箱根の山並みを背景にして逆光にかすむ小田原城が見えた。この風景も最後である。市民会館は、沈みゆく夕日の逆光の中で、静かにその生涯を閉じた。
 ラストデイのTVK取材時に、「市民会館を三の丸ホールにどう引き継いでいますか?」と質問された。ラストデイのアーカイブ展へ来場された市民との会話を思い出しながら、「市民会館は建物であると同時に、市民自身が、出会いと、喜びと、思い出を作る『場』だった。アーカイブ展で、それがよく伝わってきた。三の丸ホールもまた、そのような『市民の場』であって欲しいと願います」と答えた。
 小田原市民会館には、まだまだ貴重な資料や物品が手つかずに遺されている。アーカイブ隊は、小田原の文化遺産資源の鉱脈を掘り起こしてきた。掘り出された資源を再評価し活用していく取り組みは、まだ続けなければならないだろう。大ホール壁画の謎も、諦めずに追い求めていきたいと思う。
(深野彰 記)

2021/08/11 17:49 | 歴史

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