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2022年04月24日(日)

小田原ふるさと大使 林英哲コンサート

2022年4月9日、三の丸ホールでは、また一つ、記憶に残る開館記念事業が行われました。
小田原ふるさと大使の林英哲さんのコンサートです。

 晴れた空の向こうに小田原城を望み、眼下にはお堀端通りの桜並木に囲まれた三の丸ホールに、このソロ太鼓音楽と言うジャンルを切り開き、世界的な地位に高めた林英哲さんの魂の響きが、大ホールの隅々まで満たされました。
 大型の和太鼓の雄渾の響きと、バチさばきによる乾いた鼓の音、そこに透徹に澄み切った鈴(りん)の輝き、それに加えてマイクを活用した尺八と三味線の組み合わせは、コンサートホールの音響の試金石とも言えるものです。これらの全てが音の渦となってホール全体に響き渡り、林英哲さんの祈りの世界に昇華して、林英哲さんからも、最後の挨拶の時に、素晴らしいホールとお褒めの言葉をいただきました。まさに三の丸ホールの開館を祝うモニュメントとしてのコンサートでした。
1.林英哲さんの歩み(注1)
 2022年2月2日に古希(70歳)を迎えたこの世界的に稀有な巨人は、お寺に生まれ育ちました。子供の頃本堂にある様々な音の出る仏具で遊んでいたそうです。その後、ビートルズとベンチャーズ聞いてバンドを作り、もともと美大を志望しており、日本中が学生運動で沸騰していた1970年に、アーティストの横尾忠則さんに憧れて、その講義を受けに佐渡島に行きました。
 結局会えなかったものの、佐渡に職人塾のような大学を作ろう、その資金稼ぎのために日本の芸能を世界中で公演しようと誘われ、「鬼太鼓座(おんでこ座)」の創設メンバーとなりました。そしてボストンでの世界的に有名な指揮者である小澤征爾さんとの出会いから、1976年に石井真木さん作曲の和太鼓作品「モノクローム」を携えて海外に飛躍して行きます。 
 その後林英哲さんは独立され、前人未踏のソロ和太鼓演奏の世界を切り開いて行かれます。ヨーロッパ、特にフランスのナントで開催されるクラシック音楽の祭典「ラ・フォルジュルネ」に、2016年から4年連続で招かれました。林英哲さんは、ヨーロッパでは、日本の伝統芸術だからではなくオリジナリティーを認められていると語っておられます。そのステージは、太鼓の演奏技術の凄さは当然として、背中を見せている林英哲さんの筋肉の躍動も一体化した“美”を極めた世界でした。若い頃、横尾忠則さんに惹かれ美大を目指していた林英哲さんの美学が、神への祈りにつながる様式美に高められたとも言えるでしょう。因みに高名なヴァイオリニストのアイザック・スターンさんは、ボストンで演奏を聴いたときに「音楽が筋肉をも鍛えるとは!」と驚嘆したそうです。
2.林英哲さんと小田原
 林英哲さんは、「小田原北条太鼓」の創設に関わり、委嘱曲も作曲され、現在も名誉顧問として指導に関わっているなど、小田原には大変深いご縁があり、2012年から小田原ふるさと大使をされています。
 さらに、今回も活躍した「鈴:りん」は、小田原鋳物の伝統を活かして「砂張:さはり」の素材として柏木美術鋳物研究所で造られています。
 加えて、先に述べた世界に羽ばたくきっかけとなる作品「モノクローム」を1970年に作曲された石井真木さんは、有名な舞踏家石井漠氏の三男ですが、小田原を拠点に全日本合唱連盟理事長などで活躍され、三の丸ホールのスタジオに寄贈のピアノを遺された作曲家石井歓先生の弟さんです。
3.これぞ林英哲さんの世界
 当日の舞台の設定は、中央に櫓を組み大きな和太鼓を据えて、奏者の林英哲さんは観客に背中を向け、諸肌脱いで肩の筋肉を盛り上がらせて大太鼓を叩く、このスタイルの中に、林英哲さんの美学が集約されています。日本音楽特有の呼吸と鼓動の中で、動と静の狭間で打ち続けられる和太鼓の魂の響きにより、奏者もそしてそれを聞く私達も無我の境地に辿り着き、神への祈りとでも言うべき世界に導かれます。林英哲さんは、2021年から今年に掛けてのコンサートのタイトルを、未来の見えないコロナの中で希望につながる「絶世の未来へ」と名付けられました。(注2)今回のコンサートの冒頭に演奏されたご自身の作曲による「祈夜:きや」~「曙光:しょうこう」では、ソロの太鼓に、ご自身のサンスクリットから発想した「音声」に、小田原鋳物の伝統を活かした柏木美術鋳物研究所の「鈴:りん」を組み合わせ、音で厄をはらい、人々の祈りと未来への希望を託しました。(注3)そして、三味線の上妻宏光さん、尺八の藤原道山さんと、邦楽のジャンルを飛び越えて世界的に活躍されている当代一流のお二人を迎え、手勢の英哲風雲の会の4人の和太鼓奏者達を従え、林英哲ワールドに三の丸ホールを染め上げました。
 さて、70歳を超えて、若い演奏者を率いる演奏の技術、そしてそれを支えるこの筋肉の美しさを保つには、どれほどストイックな日々を過ごされるのでしょうか?会場に満たされる響きと、目前に展開する肉体の美しさが渾然一体として、三の丸ホールに祈りの世界が降臨するその場に居合わせた至福を感じる瞬間でした。
 最後の演奏曲は、2004年の自作、“劇鼓「レオナール われに羽賜べ」”で、画家の藤田嗣二を主人公として、ヨーロッパと日本の文化の葛藤に自身の苦悩を重ね合わせ、ソロ和太鼓と言う様式を創案、確立し世界中を旅した林英哲美学の集大成として演奏されました。
 三の丸ホール全体が一つになる地響きのようなアンコールに応えて、八丈島の伝承をもとに林英哲さんが作詞をした「太鼓打つ子ら」がしみじみと唱われました。(注1)
(しげじい 記)
参考文献
(注1)あしたの太鼓打ちへ 増補新装版 林英哲 羽鳥書店 2017年10月20日
(注2)絶世の未来へ 林英哲 企画・制作:遙(ハル)英哲太鼓の会 2021年11月8日取材
(注3)小田原ふるさと大使 コンサート 林英哲 会場配布パンフレット

2022/04/24 10:52 | 伝統芸能

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