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2015年01月13日(火)

彫刻家親松英治さんのアトリエを訪ねる=おだわらミュージアムプロジェクト

■10メートルの聖母子像■
10メートルの木彫り聖母子像、昨年11月の末ギャラリー新九郎の木下泰徳さんの案内で、彫刻家親松英治(おやまつえいじ)さんのアトリエを、6人のメンバーで訪ねた。主催は、おだわらミュージアムプロジェクト。小田急江ノ島線善行駅から小高い丘のみその台へ向かう。親松さんのアトリエは聖園(みその)女学院の広大な敷地のなかにあった。学校あり修道院あり林あり畑あり…構内を遠足のような気分で歩いていると自転車で通りかかった男性、それが我々一行を迎えに来てくれた親松さんだった。畑の向こうに建つ屋根を突き抜けた塔のあるちょっと古びた建物。あ!あれがマリア様の彫像があるアトリエだと期待感が広がる。
■神性と母性が迫ってくる聖母子■
案内されて観音開きのアーチ扉を入ると、まず楠の原木を木口に切って彫り上げながら積み上げた3メートルの聖母マリア像の裳裾部分があった。台座の脇をぐるりと廻って見上げると、そこに6メートルの聖母子像。裳裾と併せると10メートル近くになる。天窓の光が聖母マリアの顔を美しく照らす。その手に抱かれた幼子イエスは、あどけなさの上に救世主となる力強さを重ねる。聖母マリアと幼子イエスの聖母子像は西洋の絵画やイコンにしばしば登場し、宗教画としての敬虔さが常に強調されるが、この聖母子像は神性と母性が同時に迫ってくる。芸術作品としての存在感がある。木像の柔らかさも観る人を包みこんでくるように感じる。木材は小田原の山口製材さんの楠。原木を輪状に切って滑車で吊り上げ、彫り上げた部分の下に順番に重ね、形を合わせて更に彫り進むという。入念な設計図もある。すべてお1人の工夫と作業とのこと。まだ鑿の跡が残る。梯子や滑車に先生のお仕事ぶりが重なる。
■キリシタン殉教者のために制作を決意■
親松さんは、想を得てから30年、自費と自力で聖母子像を彫り上げてきた。1981年のヨハネ・パウロ2世ローマ教皇の訪日のときに祝福をお願いしたとき、日本のキリシタン殉教者のため生涯をかけてマリア像を制作しようと、決意されたという。いま完成に近づきつつある。今年2015年は、かつて江戸幕府の禁教下にあって長崎浦上の数十人の信徒が、フランス人神父に信仰を告白したと伝えられる信徒発見から150年の節目となる年。1865年3月17日、この信徒発見は宗教史上の奇跡といわれる。親松さんの聖母子像は、今年初夏の完成を待ってカトリック長崎教区に寄贈されることになっているのこと。この記念すべき年に「長崎の教会群」の世界遺産登録とフランシスコ・ローマ教皇の来日が実現すれば、親松さんの聖母子像制作の想いがまさに実ることになる。
■アトリエ:生きて語り合う彫像たち■
親松さんのアトリエ(親松さんは倉庫だと謙遜されるが)、第43回日展で総理大臣賞受賞の、春の稲妻に打たれ驚いた馬が足を跳ね上げる様を表現した「春雷」の原形をはじめ(写真はマリアホールに展示の日展受賞作:写真提供 えのぽ)、ところ狭しと彫刻の群像が並ぶ。個人的な感想かも知れないが、整然とした美術展で鑑賞するより、ここではどの作品もあたかも命があるように感じる。置かれているというよりそこへ歩いて行ったようにみえる。そして、彫像どうしが語り合っている。

若い女性像の吹く笛の音色に聞きいっている裸婦像たち。生身の人間が会話をしたり音楽を聞いたりいる場面よりも、むしろ彫刻の固定した表情や姿に新鮮さを見出すのは何故だろうか。像は留まっているにも拘わらず、そこには動いている時間がある。彫刻に限らず絵画も書も写真も、また具象であれ抽象であれ、流れる時間のある瞬間を切り取った表現ともいえる美術の愛でられる所以が、そこにあるのかも知れない。

■おだわらミュージアムプロジェクト■
「おだわらミュージアムプロジェクト」は、小田原にも美術館を建てたいという有志が2011年に立ち上げたグループ。現在のコアメンバーは7人で、定期的な会合で方策を議論している。このマリア像見学会のほかにも、近隣公立美術館の視察や長谷川潾二郎展(松永記念館)の開催等を実施してきた。今後は小田原市の美術品収蔵庫の拡充を目指す活動を行う予定とのこと。(ゆきぐま記)         
 
□おだわらミュージアムプロジェクト事務局
小田原市栄町2-13-3 伊勢治書店本店3F
ギャラリー新九郎 木下泰徳 電話 0465-21-3386
□資料:長崎新聞 2013.3.17
□写真「春雷」提供:えのぽ (えのしま・ふじさわ・ポータルサイト) 2103.8.22
 

2015/01/13 10:06 | 美術

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