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2016年09月07日(水)

地域文化の所在を知る

写真1 身近にある小田原の史跡(川東版)第2版写真1 身近にある小田原の史跡(川東版)第2版

~身近にある小田原の史跡(川東版)及び(川西版)の紹介~


 私は運動を兼ねてよく自宅周辺を巡り歩きます。
 常々現在の国道1号線沿いには社寺が多いと感じており、簡単ないわれを知ることが出来ないかと思っておりました。
 そんな時に偶然、「身近にある小田原の史跡(川東版)第2版 編集・発行 小田原市教育委員会」(写真1参照)、「身近にある小田原の史跡(川西版)編集・発行 小田原市教育委員会」」(写真2参照)(以下、「小田原の史跡」と言います)という資料を発見しました。
 

写真2 身近にある小田原の史跡(川西版)写真2 身近にある小田原の史跡(川西版)
 これら「小田原の史跡」は、初版が平成14年に編集・出版されて、小田原図書館及び小田原かもめ図書館にありますが、川西版の販売用は払底しており購入できない状態にあります。
 
 「小田原の史跡」作製の経緯は、主に「新編相模国風土記稿」及び第2次世界大戦以前のもので地域にゆかりがあるものとし、旧小田原町の史跡は研究資料などが多いため、対象外としているとのことです。
 
 改めて私の居住地区を参照すべく「小田原の史跡(川東版)第2版」の酒匂地区を探してみました。史跡の記載項目は22項目を挙げ示しています。知らなかった歴史的な事項についていくつかご紹介してみたいと思います。
 
写真3 渡し場の記念碑に見る徒歩制度の差し絵図写真3 渡し場の記念碑に見る徒歩制度の差し絵図
(1)酒匂川の渡しは「徒渉制度」。

 酒匂川を舟で渡る「渡し」は、江戸時代にて徒歩で渡る「川越し」の徒渉制度に変わり、名主等が詰める川合所にて請負、川越し人足が運台で渡した模様であります。
 この「徒渉制度」については、旧渡し場に残されました記念碑の挿絵(写真3)からもその事実が読み取れます。
 
(2)湘南随一の避暑地の先駆け

 海岸の松の植林地を利用して貸別荘、旅館、料亭として松濤園が開設され湘南随一の避暑地として開園されました。貸別荘は皇室などの長期静養にも利用され、これを契機に酒匂に別荘が次々と設けられるようになりました。
 
 
 
写真4 酒匂地区の史跡の地図上の表記写真4 酒匂地区の史跡の地図上の表記
(3)酒匂大道に別荘が開設されました

 現在の国道1号線から酒匂神社や小田原市保健センター及びその先に通じる道を酒匂大道と言っていましたが、この道に沿って平岡煕は数千坪の別荘「三望園」を設け、富士山を望む釣り堀(現在は養魚場)を開いていたとの記述があります。その他実業家、医師、外交官、貿易商、大学学長が別荘を建てたとのことです。
 
(4)百たたき刑場後

 この地区には、江戸時代の名主の裁量で見せしめの刑として百たたきの罰を与えた場所も郷村自治の史跡が珍しく示されています。
 
 これらの「小田原の史跡」から、酒匂地区は人々の往来は結構多かったと推測されますし、結構豊かな生活拠点となっていたことでしょう。これからもこの豊かさは続くことを期待いたします。
 その他、地図(写真4参照)上に位置を示して神社等の概略説明が掲載されています。健康と地域巡りの目標としてみてはいかがでしょうか。(ひろし君記)

2016/09/07 09:36 | 歴史

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