令和2年度おだわら市民学校教養課程「郷土の魅力を知り伝える」第9回を実施しました
第9回目【12月17日(木)】
「小田原藩と城下町 ~小田原藩史について~」
おだわら市民学校教養課程「郷土の魅力を知り伝える」の第9回は、尊徳記念館学芸員の坂井飛鳥主事に「小田原藩と城下町」についてお話を伺いました。
城下町としての小田原の発展は、小田原城を本拠地と定めた小田原北条氏の2代目氏綱の時代から始まり、発展の中心となったのは、松原神社の門前町である宮前町であるとの説明がありました。続いて町人地のことに触れ、城下町を「通り町」といわれた9町と「脇町」と呼ばれた10町、合わせて19町で編成し、特に通り町9町は東海道上の町であり、宿場町「小田原宿」の中心部分であったとのお話がありました。
次に、小田原宿が東海道最大級の宿場として発展した様子や、やがて大火・地震・富士山噴火など数々の災害に見舞われ、変貌、疲弊する様子、その後明治4年(1871)廃藩置県により小田原藩は消滅し、「小田原県」が設置され、明治8年「小田原町」が誕生、新しい城下町として神奈川県西部の中心都市となっていったことなどを伺いました。
受講生は、城下町小田原の変遷を学び、改めて郷土の歴史に興味と関心を寄せていました。
城下町としての小田原の発展は、小田原城を本拠地と定めた小田原北条氏の2代目氏綱の時代から始まり、発展の中心となったのは、松原神社の門前町である宮前町であるとの説明がありました。続いて町人地のことに触れ、城下町を「通り町」といわれた9町と「脇町」と呼ばれた10町、合わせて19町で編成し、特に通り町9町は東海道上の町であり、宿場町「小田原宿」の中心部分であったとのお話がありました。
次に、小田原宿が東海道最大級の宿場として発展した様子や、やがて大火・地震・富士山噴火など数々の災害に見舞われ、変貌、疲弊する様子、その後明治4年(1871)廃藩置県により小田原藩は消滅し、「小田原県」が設置され、明治8年「小田原町」が誕生、新しい城下町として神奈川県西部の中心都市となっていったことなどを伺いました。
受講生は、城下町小田原の変遷を学び、改めて郷土の歴史に興味と関心を寄せていました。
あいさつをする受講生
講師:尊徳記念館学芸員 坂井 飛鳥主事
受講風景
おだわら市民学校
「おだわら市民学校」は、皆で集い、ともに学び、実践へ繋げる「人のチカラ」を育む”新たな学びの場“です。
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:生涯学習課 生涯学習センターけやき
電話番号:0465-33-1881