小田原市

浮世絵の曽我物語

曽我物語と浮世絵3(解説 岩崎宗純)
浮世絵の曽我物語

浮世絵

 曽我物語が浮世絵に取り上げられるようになるのは、歌舞伎において初代団十郎が江戸の荒事に五郎時致を登場させ、自ら演じ、人気を博したことと関係がある。

 初代団十郎がはじめて江戸中村座で荒事を演じたのは、延宝元年(1673)9月のことであった。だしものは、「四天王稚立(おさなだち)」で坂田公時を演じた。団十郎は、紅と墨とで顔に極端なメーキャップを施す隈取(くまどり)をして、大柄な童子格子の衣装に丸ぐけ帯・斧を持ってあらわれ、大江山の場で大立廻りを演じ絶賛を博したのであった。


 団十郎の演じる荒事は、新興の武士の都江戸において民衆に圧倒的に支持された。武士の権威が民衆を見下すこの地では、旗本奴という武士たちが狼籍を恩いのままにしていた。これに対する防衛策として町奴(まちやっこ)という侠客が生まれ、両者は激しく対立した。団十郎の荒事は、このような荒々しい江戸市民社会の中で、武士権力に対峙する江戸市民の心意気を背景に生み出されていったのである。

 初演で好評を得た団十郎は、延宝二年(1675)五月の山村座で「勝関誉曽我(かちどきほまれのそが)」に出演し、曽我五郎時致の型を創り出した。以後団十郎は、「古今兄弟兵(つはもの)曽我」「兵根元曽我」「大日本鉄界仙人」などで曽我五郎を自作自演し、荒事としての曽我五郎を歌舞伎の中に定着させていった。

 歌舞伎の世界では、その後、代々の団十郎が演じる五郎時致の荒事と、和事を演じる十郎祐成の役が好対照となり、曽我歌舞伎は格別の人気狂言になっていった。

 元禄のころ上方では「盆曽我」といって七月に曽我物が上演された。これは御霊信仰の対象として祀られた兄弟の魂を慰めるという意味があったと思われる。江戸では、宝永六年(1709)正月に、山村座・中村座・市村座の各座が曽我狂言を上演し、いずれも大当りを取ったことから、江戸各座の初春狂言は必ず曽我物が演じられるようになった。

 元緑期の歌舞伎世界、特に曽我狂言を浮世絵に取り上げたのは、初期鳥居派、鳥居清元(きよもと)・清信(きよのぶ)・清倍(きよます)の浮世絵師たちである。鳥居派の初代清元については、今まで作品も画歴も不明の点が多かったが、京都から下って江戸難波町に住み、元禄二年(1690)市村座の看板絵を描いて好評を博し、ついで各座の看板絵を描くようになったという。鳥居派の事実上の創始者は清元の子清信であった。清信は父とともに江戸に下るが、元禄末父が没すると、父が開拓した歌舞伎との結びつきを引き継いだ。清信は江戸に下ると、菱川師宣の画風に私淑し、その影響を受けつつも独自の様式を確立していった。その頃の江戸は初代団十郎が演じる荒事が評判になっていた。清信の画風はこの豪放な荒事をどのように浮世絵の世界で表現するかという点で最もふさわしいものであった。

 その画風というのは、豪放さを表現する「瓢箪(ひょうたん)足」であり、血管が浮き出るような肉体描写、描線に肥痩の差をつけた闊達な「みみずがき」と呼ばれる表現方法などであった。清信はこのような画法で、「兵根元曽我」、「曽我暦開」その他の曽我五郎をつぎつぎと浮世絵に描いていった。

 清信は、清倍の弟とも息子ともいわれているが、今日では長男という説が強い。清倍も「曽我狂言図」や「万東一寿曽我」「竹抜き五郎(上図)」など、曽我狂言を画題とした浮世絵を多く描いている。清倍の画風は清信に比べて巧みで、軟味があり、清信によって開拓された鳥居派の画風は清倍によってより華やかに開花したといってもよかろう。

 曽我物語は、江戸時代「一富士、二鷹、三茄子」と言われるように、二大仇討物語のナンバーワンとして民衆の人気を得ていった。この物語を題材とした曽我狂言は歌舞伎の人気狂言であった。従って曽我物を画題とした浮世絵(役者絵)には、江戸時代を通じて数多くの浮世絵師が彩管をふるい、その作品は枚挙にいとまがない。

 江戸後期になると、曽我物語は歌舞伎絵とは別に「武者絵」「物語絵」の画題として取り上げられるようになった。幕未の動乱期、揺れ動く時代の中で、かつての動乱期、源平争乱や戦国動乱の主人公たちに民衆の眼が注がれ始めるようになったのである。

 浮世絵のこの分野での第一人者は歌川国芳(くによし)であった。国芳は、初代歌川豊国の門人で、はじめは役者絵などを描いていたが人気がでず、文政末年に発表した「水滸伝(すいこでん)豪傑錦絵」シリーズで一躍注目され、以後「武者絵の国芳」と騷がれるようになった。「武者絵」の中でも曽我兄弟の仇討ちを描いた作品は数多い。本展示でも紹介しているように、国芳とその門人たちは、さまざまな視点からこの物語を取り上げ描いている。また、国芳一門以外の幕未の浮世絵師たちも、曽我物語には強い関心を持ち、広重・国貞などが曽我兄弟を主人公とした「武者絵」を描いており、曽我兄弟の仇討ち物語がいかに江戸の民衆の心を深くとらえていたことか、本展示を通じて知ることができよう。
(岩崎宗純)

天明元年 曽我祭役者番付

天明元年 曽我祭役者番付

参考文献

『曽我物語』(日本吉典文学大系)
角川源義『語り物文芸の発生』
立木望隆『曽我兄弟物語』
『歌舞伎絵大成・元禄期』
『日本版画美術全集 二』
西山松之助『市川団十郎』
吉田映二『浮世絵事典 全三巻』

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