小田原市

技人

【相模人形芝居 下中座】 岸 忠義

ほんと、根気ですね。一年二年で諦(あきら)めてちゃ
なんにもできないですね。

淡路島をルーツとする人形芝居は、その興行によって全国に広がり、地方では、主に農家の跡取りの娯楽として各地に定着した。
神奈川県内には15座の人形芝居があったが、人形のカシラの構造や人形の操作方法など類似している点が多く、これらの人形芝居は総称して相模人形芝居と呼ばれている。厚木の林座、長谷座、小田原の下中座、それから昭和30年代に復興した平塚の前鳥座、南足柄の足柄座の5座は今も実演を続けている。


小田原の人形芝居は、酒匂川がもたらす豊かな農耕経済と、箱根道・大山道の流通経済に支えられてきた。田島に興った遊楽連という座名の人形芝居は、明治末期に廃座となったが、小竹の人形芝居は300年近くの歴史を持ち、村の青年たちによって守られてきた。

カシラ(老女形)

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カシラ(老女形)。相模人形芝居のカシラは文楽に比べてやや小ぶり。


東京の人形芝居も、たびたびこの地で興業していたが、その人形遣いの名手だった西川伊左衛門が、東京の人形芝居の衰退によって、明治41年、小竹に定住した。その伊左衛門から指導を受けたことにより、相模人形芝居は少々荒っぽいが、おおらかな東京の人形芝居の面影を今も残している。


昭和28年、初代座長・小澤彌太郎の時代に、神奈川県無形文化財に指定され、座名を「下中座」と命名、昭和55年、二代目座長・小澤孝蔵の時代に、国無形民俗文化財に指定された。順風満帆のように見えたこの下中座にも、昭和40年頃から後継者不足と座員の高齢化により、一時期、他の座より応援を頼まないと芝居もできない難しい時代があったが、三代目座長・岸忠義さんの知恵と熱意によって見事に復活した。もう無我夢中でしたと当時を振り返る岸さんに、その秘訣を伺ってみた。

― 岸さんは生まれも育ちも小竹ですか?
 

私はね、大正15年7月18日に、隣の二宮町で生まれました。それというのは小竹はね、われわれ祖先の宅地だったんですけど、父親がちょっと外に出て働きをしたために、僕が二宮町で生まれて、それから終戦のときにここに戻ってきて住むようになったんです。


― 前座長の小澤孝蔵氏が、岸さんの役場での人柄や仕事ぶりを見ていて、次の座長にと白羽の矢を立てられたそうですが、岸さんと下中座とはどのような関係でしたか?


人形遣いでもなきゃなんでもないんですけども、前座長が県だとか市に補助金をもらう申請書とか、一年が終わると決算報告書だとか、農家のかただからそういうのは苦手なんですよね。昭和46年に小田原市と橘町が合併して、僕が橘支所長として残ったわけですよ。それから補助金の申請と、決算報告書を頼むよと言われ「そんなことは材料さえ持ってきてくれれば訳ないよ」って、昭和46年から20年近くお手伝いしたのがきっかけかも知れないですね。
 

― 人形遣いでない座長としての迷いはなかったですか?
 

最初はね、何をどうしたらいいのか、かいもく見当がつかないんですよ。今の副座長の林さんが前座長の小澤孝蔵師匠の弟子みたいなもので、僕が座長になるよりも20年も前に教えを請うて、相模人形芝居の研究をしていたわけです。それがたまたま僕が座長になって、1、2か月の間に下中座の座員としてお手伝いしてくれることになったんです。副座長の林さんが技術担当になってくれて、人形遣いでもない僕が座長になれたのもそこなんです。
 

― 岸さんより以前の座長さんは、岸さんと同じように人形遣いでもなければ三味線でも太夫でもないのですか?
 

人形遣いです。人形遣いで、初代も二代目も西川伊左衛門の直弟子なんです。江戸系操法の技術をマスターした人なんです。それで僕が座長になって、小澤孝蔵師匠の技術を映像で残そうと、一番最初に手がけたのがそれなんです。

舞台挨拶をする岸忠義氏

舞台挨拶をする岸忠義氏

― 以前の記録は、あまり残って無いんですか?


僕になってからのものは全部残してるんですが、昔は農家のかたばかりですからね、資料というものがほとんど残ってないんですよ。そんなことがあるもんで、きゅうきょ「相模人形芝居下中座の歩み」という冊子を3年ほどかけて作ったんです。


今では映像があるのと同時に、下中座では副座長の林さんが、江戸系操法を確実に伝えるために、前座長の小澤孝蔵氏についての記録を、演技台本として活字にしたんです。それを稽古用に座員に渡してあるんですが、これがあることによって変化しないんですよね。口伝ですと、どうしても年代別に変化が起きるんですよ。

 

― 人形遣いではなかったから、かえって良かったところはあるのですね。

 

外から見るという立場に立ったのがね。それで、座長を引き受けるときに、僕は人形遣いはしませんよ、技術指導は前座長の小澤さん、あなたがやりなさいよという条件で。というのは、僕が人形を遣い始めると、上手くなりたくなって周りが見えなくなってしまうので、それよりも(運営に)徹した方がいいなと思ったんです。

 

― 座長になられてから、カシラを増やされたとか?


今93体かな。それっていうのはね、こういうことなんですよ。昔からあるカシラと衣装を使って、それで皆さんにお芝居を見ていただく。そのうちに、お芝居通のかたが見にこられることがあるんですよ。そうするとね「このカシラにこの衣装はおかしいんじゃないの?」「紋が違うんじゃないの?」って言われるんです。それを改善しようと、市から補助金もらってカシラを一つ作ろうじゃないの、衣装を役柄にあった衣装に直して、紋をこういうふうにしようといって注文する。注文もカシラは文楽より一割小さくしてくださいよって、江戸系操法を維持するために、学者の意見を添えて注文するわけです。それを何回も繰り返していくうちに、自然に増えていったわけです。

伽羅先代萩 政岡忠義の段(小田原市制70周年記念事業公演より)

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伽羅先代萩 政岡忠義の段  小田原市制70周年記念事業公演より

― 岸さんが座長になられた頃の下中座は、どのような状態でしたか?

 

座員は年配の女性が6人と、前座長だけでしたね。6人じゃ人形が2体出ればそれでいっぱいで、小道具を渡したり補佐する人が足りないんですからね。だから何かお芝居をやろうとしても、他の座から手伝ってもらわないとお芝居できないんですよ。


小澤孝蔵師匠が後継者育成事業のために、昭和40年代から50年代に橘町だとか小田原市で人形教室を3、4回やっていて、募集すると10人前後の人たちは集まるんですけども、それが終了してからのフォローがうまくいかなかったのが一つと、それから昔気質ですから、その人たちと一緒に公演をした場合、自分の得意な演目なんかやるようになると「おい、その人形よこせ」って自分でやっちゃって、一生懸命勉強してた人の演技を取っちゃうわけですよ。それじゃ今まで一生懸命勉強してた人が駄目になるから、副座長の林さんにもお手伝いしてくれるんなら、教えるからには自分で取るなって僕が条件をつけたんです。僕は、それは後継者を育成する意味で大事なことなんで、頼むよとお願いしたら、副座長も納得してくれて、それはありがたいと思っています。

― 座員の募集には、かなり敷居を低くされた、と伺っていますが?

 

昭和28年に県の指定を受けるまでの間は、小竹の住民だけでやってたんです。僕が座長を受けた時には、もう消滅する寸前でした。それで「経験や試験、地域にこだわらずに募集しようよ」、ということにしたんです。そしたら、それが面白いからって、三大新聞の神奈川版にバンと出たわけです。そのおかげで、県内の遠い所の人でも、本当に人形を愛する人たちが、面白くてやりたいって集まってきてくれたんです。

 

―  今、座員は何名ですか?

 

33名かな。今、年配者は平成3年に募集したときの人が多いですね。それから、20歳代は二宮高校出身者が多い。橘中学を出て、すぐに下中座に入って
きたものも中にはおりますね。

― 座の中には人形遣いのかた以外に、太夫や三味線のかたはいらっしゃるのですか?

 

太夫さんはおります。今から10年ちょっと前に、中央公民館(現:生涯学習センターけやき)のホールで、立ち見まで出た自主公演があったんです。その時の館長さんが、人形遣いは育ってきたんだから、太夫や三味線もやったらどうかといわれたんですが、現在の状況では難しいから、ちょっと先に延ばしてくれよとお願いしたんだけども、それじゃ中央公民館の方で、太夫の研修をしてもいいか?ってことで、義太夫教室が公民館の事業としてスタートしたんです。

下中座の演技台本

下中座の演技台本


それに座員が2、3名参加したんですけども、現在も2人続けていて、6つか7つの演目ができるまでになっています。それから2、3年後に、三味線教室をやりたいからって三味線を用意したりして、竹本土佐子師匠のところに通い始めたけど、三味線の方はどうもうまくいきそうにないですね。

相模人形芝居の様子

相模人形芝居は3人遣い。カシラを左手で操り右手で人形の右手を操る主遣い、左手を操る左遣い、足を操る足遣いによって1体の人形を操る。

― 橘中学でも後継者を育てていらっしゃるようですが、中学生に教えるというご苦労はありましたか?

 
中学校は大変でした。二宮高校から座員になる人が増えてきたからいいにしても、少し前までは学区が別でしたから、二宮高校から下中座に入ってくる人は、二宮・大磯・平塚の人が多いんですね。それじゃ地元の人にもっと座員になってもらわなきゃいけないからってことで、橘中学校で何とかできないかなぁって、手を付け始めたのが平成5、6年頃なんです。

 

その頃に学習発表会なんかあった時は、人形を持っていって生徒さんに体験学習してもらう、何かの折に生徒さんにお芝居を見てもらう。お芝居を見てもらうと「あぁいいなぁ、すごいなぁっ」て感嘆して見てはくれるんだけども、さあ自分でやるとなると興味が湧いてこない。その後の反応が全然ない。7、8年続けたんですけども、本当に浄瑠璃そのものに親しみを持ってもらうのは、難しいんじゃないかな。だとするならば、土地の民話の『足柄山の金太郎さん』を題材とした新しい義太夫を創って、新しい人形を作ってこれを中学生にぶつけたらどうだろうということでね、約7、8年苦労したあげくそこに到達して、足柄山の金太郎さんを題材にした「怪童丸物語 足柄山の段」を創ったのが、平成14年なんですよね。

稽古風景

稽古風景

― それは、完全に下中座のオリジナルですか?

 

そう、オリジナルです。それが平成14年11月に、おおむね目鼻が付いたんで、校長先生の所に座り込んで「これがもう来年の3月にできあがるんで、何とか先生、できねえかなぁ」って相談した時に、「じゃあ相模人形クラブ同好会でよければ立ち上げましょう」と言ってくれて、それで15人くらいの人形クラブができたんです。


新作っていうのは、通常、一回公演したらそのままお蔵入りすることが多いそうですが、橘中学校では繰り返しやってくれているということに、原作者が作者冥利に尽きるから、その続きを創りましょうよと向こうから言ってくれて、それが今、二宮高校でやっている下賀茂神社の段なんです。それが軌道に乗り始めたから、ということで、金太郎の幼少期→青年期→成人期と一連の物語を、橘中学→二宮高校→下中座でやるのを現在制作中なんです。あと2、3年後には下中座の自主公演で半日かけて中学→高校→下中座という順で、やろうと計画してるんです。
 

中学で少年期をやり、二宮高校で京都の活躍の場面、最後の場面を下中座でと、そういうふうに生徒が順調に育ってくれれば、という欲張りな話をしているんです。これがね、今、下中座では、この怪童丸物語がメインかなって思ってますけどね。

― 今、下中座では維持管理のために会費とか取ってられるんですか?
 

会費は取っていません。公演の謝礼で賄っています。国はねぇ、修繕やなんかするときには補助はくれますけど、運営費はくれません。県や市からは運営費は出ますが充分ではないので、だから座員は全部ボランティアですよ。それでね、申し訳ないから何とかしなきゃっていうんですけども、座長、習い事をすれば、月謝は必ず払わなきゃいけねぇんだよと、我々がね、足代だとか、弁当代だとか、月謝のつもりですから気にしなくていいですよって、座員が言ってくれるんです。いやーこっちはありがたいですよ

下中座記念碑

下中座記念碑


― カシラや衣装、舞台装置の管理に気を使われていることって何かありますか?

 

舞台装置などの大道具類は、大型なので場所をとっちゃって保管が大変なんですよ。それから、人形と衣装は、温度や湿気に影響されやすいので、保管には気を使っています。今は、大道具類と人形、衣装とは別々に保管していますが、何年か先には、一緒に保管したいと思っています。一度にそこまで持っていくのは難しいですが、今後も、市と相談してやっていきたいですね。

 

― 何かこれからの抱負があればお聞かせいただけますか?

 

今ね、僕の願いは、できるだけここ近いうちにバトンタッチすることです。僕もねもう高齢ですから、その段取りを、座員に働きかけているんです。だから、遠大な目標というよりも、現在は、それが大切ですね。

下中座のみなさん

下中座のみなさん

岸忠義  略歴
1926年 中郡二宮町生まれ
1943年 神奈川県立平塚農業学校卒業
1945年 群馬県沼田東部四十一部隊入隊
1948年 下中村役場勤務
1953年 (小竹・林・長谷の3座が相模人形芝居として神奈川県無形文化財に指定される)
1971年 初代橘支所長就任
1972年 相模人形芝居連合会(小竹・林・長谷の3座)が国無形民俗文化財に選択される)
1987年 小田原市役所を定年退職

       小田原市長より市政功労賞授与

       相模人形芝居下中座座長就任

       小田原民俗芸能保存協会理事就任
1988年 神奈川県民俗芸能保存協会常任理事就任
1991年 神奈川県民俗芸能保存協会副会長就任
1993年 小田原民俗芸能保存協会副会長就任
1997年 橘文化協会会長就任
2000年 市制60周年にあたり芸術文化向上の功績につき小田原市長より感謝状授与
2004年 小田原民俗芸能保存協会会長就任
2009年 伝統文化活性化の功績につき公益法人伝統文化活性化協会長より表彰状授与
2010年 相模人形芝居普及の功績につき小田原市長より市民功労賞授与

「技人」
温暖な気候と豊かな資源、そして地理的な条件に恵まれたまち・小田原には、いにしえよりさまざまな「なりわい」が発達し、歴史と文化を彩り、人々の暮らしを豊かなものにしてきた「智恵」が今に伝えられています。本シリーズは、その姿と生きざまを多くの人に知っていただき、地域の豊かな文化を再構築するきっかけとなれば、との願いが込められています。

 

発行:地域資源発掘発信事業実行委員会
・小田原二世会
・小田原箱根商工会議所青年部
・小田原商店街連合会青年部
・.小田原青年会議所
・特定非営利活動法人 おだわらシネストピア
・特定非営利活動法人 小田原まちづくり応援団
・小田原市
編集:相模アーカイブス委員会
写真・文:林 久雄
問い合わせ:小田原市広報広聴室(0465-33-1261)

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