小田原市

北条五代観光推進協議会

北条氏五代100年の歴史

北条五代とその一族

家系図

早雲の足跡

早雲の足跡

北条氏の支配領域

支配領域図

北条氏と主な武将の生没年

北条氏の主な生没年

北条五代年表

1432

(永享4)

早雲、荏原荘(岡山県井原市)に生まれる。(88歳説)

1456

(康正2)

  〃  (64歳説) 

1464

(寛正5)

早雲、この頃、8代将軍足利義政の弟 義視の近侍となる。

1467

(応仁1)

早雲、応仁の乱で、足利義視に従い伊勢に下る、と伝えられている。

1468

(応仁2)

早雲、この頃、今川家に請われ駿河に下向する、と伝えられている。

1471

(文明3)

早雲、法泉寺(岡山県井原市)造営に当たり禁制を出す。

1483

(文明15) 

早雲、9代将軍足利義尚の申次衆となる。
早雲、建仁寺と大徳寺に参禅する。

1487

(長享1)

早雲、興国寺(静岡県沼津市)城主となる。

1493

(明応2)

早雲、堀越御所の足利茶々丸を攻めて伊豆を平定、韮山城(静岡県伊豆の国市)に移る。

1496

(明応5)

早雲、この年以降に大森氏から小田原城(神奈川県小田原市)を奪う。

1516

(永正13) 

早雲、新井城に三浦義同、義意父子を滅ぼす。 

 1518

(永正15)

早雲、家督を氏綱に譲る。氏綱、2代当主となる。
氏綱、初めて虎朱印状を発給する。

1519

(永正16) 

早雲、韮山城で没する。 

1521

(大永1) 

氏綱、早雲の遺言により早雲寺(神奈川県箱根町)を創建する。 

1523

(大永3)

氏綱、伊勢から北条に改姓する。
 

1538

(天文7)

氏綱・氏康、第一次国府台合戦で足利義明・里見義堯に勝利する。

1541

(天文10)

氏綱、没する。氏康、3代当主となる。

1546

(天文15) 

氏康、河越夜戦で足利晴氏・山内上杉憲政・扇谷上杉朝定に勝利する。

1560

(永禄3)

氏康、家督を氏政に譲る。氏政、4代当主となる。

1561

(永禄4)

氏政、上杉謙信の小田原攻めを退ける。 

1564

(永禄7)

氏政、第二次国府台の戦いで里見義弘に勝利する。

1569

(永禄12)

氏政、武田信玄の小田原攻めを退ける。
氏照・氏邦、退却する武田軍と三増峠で戦うが破れる。 

1571

(元亀2)

氏康、没する。

1580

(天正8) 

氏政、家督を氏直に譲る。氏直、5代当主となる。

1590

(天正18) 

豊臣秀吉の小田原攻めにより、山中城(静岡県三島市)落城、鉢形城(埼玉県寄居町)開城、八王子城(東京都八王子市)落城、韮山城開城。
秀吉、石垣山一夜城(神奈川県小田原市)を築城し本陣とする。

小田原城開城。氏政・氏照、切腹。氏直、高野山に追放される。 

1591

(天正19) 

氏直、没する。

虎朱印

虎朱印

虎朱印

「祿壽應穩(禄寿応穏)」の文字の上に虎を据えた印。戦国大名北条氏の権威を象徴する印で、当主の発給する文書に押印されました。初見は永正15年(1518)の氏綱が発給した文書。以後、氏康・氏政・氏直と代々使用されました。

禄(財産)と寿(生命)が応(まさ)に穏やかであるように。人々が平和で暮らすという願いが込められていると言われます。 



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経済部:観光課 観光振興係

電話番号:0465-33-1521


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