1964年(昭和39年)の東京パラリンピックで活躍した箱根療養所の選手たち

本市では、2020年東京オリンピック・パラリンピック大会に向けた取組を進めていますが、今から約50年前、1964年(昭和39年)に開催された東京パラリンピックに多くの選手を送り出した「箱根療養所」(現在の箱根病院)についてご紹介します。
 

箱根療養所

箱根療養所は、日露戦争により手足を失った傷病兵を収容するために1907年(明治40年)に設立された国立の保護施設「廃兵院」が起源です。1936年(昭和11年)に名称を「傷兵院」と改め、東京から小田原へ移転。1940年(昭和15年)に、傷兵院に脊髄損傷専門の「傷痍軍人箱根療養所」が併設されたのが「箱根療養所」の始まりです。

戦後は一般にも開放され、箱根療養所は国立療養所箱根病院、独立行政法人国立病院機構箱根病院と改称。戦傷病者は、平成18年には3床まで減少し、平成20年には不在となりました。
 

選手たちの活躍

療養生活の中で、身体機能向上や社会復帰などを目指して入所者が行ったことのひとつが運動でした。様々なスポーツに取り組んだことにより、東京パラリンピックの日本代表選手54人のうち19名の選手を、箱根療養所から送り出す結果につながりました。

箱根療養所から出場した青野繁夫 選手は、東京パラリンピックの選手団の代表を務め、開会式で選手宣誓も行いました。

東京パラリンピックでは、当時の競技種目であった卓球、水泳、フェンシング、重量挙げ、洋弓などで銀メダル4個、銅メダル3個の獲得や入賞を果たすなど、選手たちは大活躍しました。

戦争遺跡として貴重となっている箱根療養所旧本館(現在の箱根病院)は、東京パラリンピックにゆかりのある施設でもあり、このような場所が本市にあるということを、2020年東京オリンピック・パラリンピックを機に多くの方に知っていただければと思います。

 

最終更新日:2017年11月07日


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