斑鳩町との交流

平成29年7月22日、法隆寺のある奈良県・斑鳩(いかるが)町にて、「法隆寺ゆかりの都市文化交流協定」締結式が行われました。
奈良時代、法隆寺を支えた「食封(じきふ:律令制における俸禄の一種で、そこからの租税や産品などが直接支給される)」であった、兵庫県・姫路市、朝来(あさご)市、群馬県・高崎市、小田原市と、斑鳩町との間で、食封のご縁によって交流を深めていくことを謳う協定です。
法隆寺境内の社務所大広間にて、法隆寺大野玄妙管長と、中宮寺門跡の立ち合いの元、協定書に調印がされました。

法隆寺の食封ゆかりの交流については、平成22年にヒルトン小田原にて、大野管長と市長が対談を行った際に管長からご提案いただいたことから、平成24年2月11日に斑鳩町と小田原市との間で先に交流協定を締結。以来、相互に行き来し、文化講演会や市民レベルでの交流が進められてきました。この間、当時の小城利重・斑鳩町長が各市町をお訪ねして経緯を説明、快諾を得られて、本市としては継続となるこの協定締結に至ったものです。

斑鳩町とは?

奈良県生駒郡斑鳩町。面積14.27平方キロメートル、人口約2万8千人の町ですが、年間100万人もの観光客が訪れる日本有数の観光都市です。聖徳太子により建立された法隆寺をはじめ、法輪寺、法起寺、中宮寺などの古代寺院や藤ノ木古墳といった重要な遺跡が数多く残されており、「法隆寺地域の仏教建造物」は、世界最古の木造建築物としてユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されています。

斑鳩町位置図

◆ 1400年の時を越え、再び結ばれた斑鳩(いかるが)と小田原 ◆

 

斑鳩町と小田原市のつながりは、奈良時代にさかのぼります。法隆寺の食封(じきふ)(※)として、小田原から法隆寺に物資や労役を提供していたことが当時の史料に記されており、かつて斑鳩と小田原の間で人や文化の交流が盛んに行われていたと考えられています。
平成22年、法隆寺の大野玄妙管長が小田原を訪問された際に市長と対談し、「古くからのご縁を大切にしましょう」と話されたことから、文化交流協定を締結し、両市町間での交流展の開催や観光行事への参加を通じて交流を深めてきました。

 

(※)食封:古代の律令制に基づく俸禄制度の一つ。皇族や寺院に俸禄として一定地域の住民の戸を与え、そこから得られる租税を収納し、収入とすることができる制度。

法隆寺ゆかりの都市文化交流協定

聖徳太子が斑鳩の地で国の礎を築き、当時の先進文化の粋をもって建立した「法隆寺」は、千四百年の時を経て、今にその姿を伝えています。
奈良時代の法隆寺の様子を記した古文書には、法隆寺の「食封」として、現在の姫路市、朝来市、小田原市、高崎市の四市の地域が記述され、古代から法隆寺とのゆかりがあったことを知ることができます。
この四市と一町には、それぞれの地域で先人たちの築き上げてきた歴史と文化があります。これらはその地域を理解する上で欠かすことのできない資産であり、そこに暮らす人たちの誇りと愛着を育む重要な要素となっています。
この法隆寺の「食封」の縁(えにし)を契機として、斑鳩町とそれぞれの四都市との間で、歴史的・文化的資産を活用した交流を図り、それぞれの都市のの魅力と活力を高めていきます。

1 古(いにしえ)の縁(えにし)を新たな交流の起点として、永らく後世の世代まで引き継いでいくことをお互いに自覚し、住民意識の高揚を図ります。
2 地域資源である歴史的・文化的資産を活用した交流を図り、それぞれの都市との親善を深め、地域の発展をめざします。

平成29年7月22日
          兵庫県姫路市長 石見 利勝
          兵庫県朝来市長 多次 勝昭
          神奈川県小田原市長 加藤 憲一
          群馬県高崎市長 富岡 賢治
          奈良県生駒郡斑鳩町長 小城 利重

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化政策課 文化交流係

電話番号:0465-33-1703

この情報についてのご意見・ご感想をお聞かせください!

このページの情報は分かりやすかったですか?

※システム上、いただいたご意見・ご感想に対する回答はできません。
回答が必要な内容に関しましては、お問い合わせ先の担当課まで直接お願いいたします。
※住所・電話番号等の個人情報については記入しないようお願いいたします。
※文字化けの原因となる、丸付き数字などの機種依存文字や半角カタカナは記入しないようお願いいたします。

ページトップ