小田原市

第16章 児童のために

 定五郎は公共に対する奉仕の念を何かの形で現わし、それを生涯の記念にしたいという念願をかねてから抱いていた。そのために必要な米貨5万ドルはすでに用意してあった。それを何処へ寄附するかについてはいろいろな方面が考えられるのであったが、矢作児童遊園地を作ってみて、結局は自分の生れた郷土小田原市へ寄附することが最もふさわしく、また意義も深いという結論に達した。
 「市に5万ドル寄附したいが、それで子供の勉強のための施設を作ってもらいたい」
という意向が鈴木小田原市長に伝えられたのは、それから間もなくのことである。
 鈴木市長はその厚意に非常に感激して、早速首脳部と協議した結果、児童福祉センターと図書館とを作るという案を示した。
 定五郎は子供の頃、貧しかったため勉強する機会を与えられなかった当時のことを思い浮べた。人間はどんな苦境にあってもそれをきり拓いて行く努力がなければならない。しかし、勉強したくても貧しさのためにそれができないということは何としても残念なことだ。しかも、そういう子供は今でも大勢いるのである。定五郎は自分の子供の頃にひきくらべて、市民の人たち特に貧しい子供たちが、誰でも自由に勉強したり、楽しんだりする所ができるならば、こんな喜ばしいことはないと思い、心から賛意を表した。
 こうして話はまとまったが、定五郎には事前にアメリカへ行って処理してこなければならないことがある。また鈴木市長はアメリカ国務省の招待を受けて、10月5日羽田を出発、2ヵ月にわたるアメリカ視察の旅に出ることになっているので、その寄附はお互いに帰国してからということになった。が、アメリカに国籍のある定五郎の寄附を、ちょうどアメリカへ旅立とうとする市長が受けることになったのは、何かしら特別な意味が籠っているようであった。
 翌、1958年(昭和33年)5月29日の午前11時、定五郎は星崎茂、佐藤銛光、飯山正芳の三名と共に市長を訪問し、正式に寄附の申し込みをした。

     寄附申込書
   一 金米弗五万ドル
     小田原市児童福祉センター・図書館の建設資金として
     寄附いたします
      昭和33年5月29日
                      星﨑定五郎
    小田原市長どの

 鈴木市長は感激を新たにして、この寄附申込書を受けた。各新聞は大々的にこれを報道し、市民はひとしく感謝の意を表した。

鈴木十郎市長(当時)と

鈴木十郎市長(当時)と

 市は寄附を受けると直ちに表彰方の手続きをとったが、定五郎は8月30日附をもって紺綬褒章ならびに木杯一組を賜って表彰され、9月10日県庁で矢柴副知事からをの伝達を受けた。またこの報を受けた日本図書館協会も直ちに会長金森徳次郎名をもって感謝状を贈った。
 市では原助役を事務局長として星崎記念館建設事務局を組織し、寄附金1800万円に市費1285万円を加え、さらに500万円の県補助金も得て、総額3585万円の予算をもって工事に着手した。


完成したばかりの頃の星崎記念館

完成したばかりの頃の星崎記念館

 完成したばかりの頃の星崎記念館
 その工事現場を時々訪れる定五郎の顔は明るく輝いている。定五郎はこの寄附が市民に喜ばれていることに満足するというよりは、むしろ自分の心が大勢の人々のカによってより一層磨きあげられていることに、限りない感謝を覚えているのである。
 寄附をすませた定五郎は年の暮近く、鈴木ていを連れてロスアンゼルスヘ行き、新年の一月十九日にていと正式に結婚した。この三年間何くれとなく面倒を見てくれたていに、茶のみ友達として余生を托すことが最も似つかわしいと考えたからであった。
 そして1月29日熱海へ帰ってくると、今度こそ本当につつましく、静かな隠せい生活に入ったのである。
 定五郎翁は現在81才の高齢であるが、頼の色つやもよく、声も若々しくて、どう見ても六十代にしか見えない。厚い眼鏡の奥の眼を細めて笑う、その温容に接すると、この翁が苦闘につぐ苦闘を経て来た人とは思えないくらいである。
 「わたしは誠実と『ステップ・パイ・ステップ』ということを生活の信条として、それでずっとやってきました」
という定五郎翁の口調もおだやかである。
 この信条に貫かれた翁の生活には、いわゆるはなばなしさというものはどこにも見受けられない。その代り、分をわきまえて着実に前進するという堅実さにおいては何者も追随を許さぬものがある。しかも生来の勤勉努力はその推進カとなって、ついに今日の大をなさしめたと言えるのである。
 定五郎翁のこうした奮闘生活を辿ってみる時、それと、「至誠、勤労、分度、推譲」を説いた郷土の偉人二宮尊徳の思想と業績とに、きわめて多くの相似点のあることに誰しも気づかれるであろう。
 翁が青年時代に成田成願寺の住職三輪円龍師から、しばしば二宮尊徳の話を開いたことを思い合わせれば、尊徳の「積小為大」と翁の「ステップ・パイ・ステップ」との間に、何の関係もなかったとは考えられないのである。
 ともあれ移民の先駆者として20才で渡米し、あらゆる困苦に打ちかって、ついに在米邦人中屈指の豪商となった定五郎翁の経歴は、そのまま青少年教育の生きた教材ということができよう。
 われわれは定五郎翁を大きな誇りとすると共に、その長寿を心から祈るのである。


最終更新日:2011年04月01日

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