三代豊国(二代広重)

二代広重

二代広重(ひろしげ)
文政9年〜明治2年(1826〜69)

作画期 弘化年間〜明治2年(1844〜69)
画号 重宣 一幽斎 一立斎 立斎 喜斎 立祥
 
本姓鈴木氏、安政6年初代広重の養女辰の婿となる。
重宣を名乗っていた初期の時代は、初代の画風を模した風景画・美人画を描く。
慶応元年師の家を出、喜斎立祥と改名、横浜で輸出用茶箱に貼付する版画を描く。
 
(解説:岩崎宗純)

曽我八景自筆鏡

三代豊国と二代広重の双筆による曽我物の揃物である。三代豊国が曽我歌舞伎を演じた役者の役者絵を、二代広重が曽我物語の舞台となった西相模・裾野地方の風景を描いている。また、それぞれの絵には俳句が添えられている。

 
三代豊国は幕末一番の人気絵師であったが、弘化年間以後は乱筆に傾き、画風は類型化していった。本揃物に描かれた役者絵もその難をまぬがれない。また、二代広重の風景画も初代の筆致・構図を模したもので画質は劣る。なお、本揃物において三代豊国は「喜翁」を号している。豊国が「喜翁」を号するのは文久2年(1862)以降と言われているが、本揃物の改印は、「改と酉十二」の一印、即ち文久元年十二月印であり、三代豊国が「喜翁」を号するようになったのは文久元年以降となろう。
 
版元 魚屋栄吉
五郎時致・箱根権現

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五郎時致・箱根権現

十郎祐成・曽我中村

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少将・けはい坂

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虎御前・大いそ

虎御前・大いそ

工藤左衛門・すそ野

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小林朝比奈・朝比奈切通

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八幡三郎・赤沢やま

八幡三郎・赤沢やま

近江小源太・柏ヶ崎

近江小源太・柏ヶ崎

三代豊国(1786-1864)
二代広重(1826-69)
「曽我八景自筆鏡」
大判錦絵八枚揃
(各)29.2cm×26.0cm
文久元年(1861)


※(「五郎時致・箱根権現」以外の詳細画面はホームページでは提供していません)

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