小田原市

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石橋山古戦場・佐奈田霊社

石橋山古戦場

 平安時代の末期、地方には私有地である荘園が増え、律令制度は徐々に崩壊していきました。荘園を開発した地方の豪族すなわち武士たちは、東国の武蔵・相模に多く、小田原地方では曽我氏、大友氏、小早川氏、中村氏、河村氏、松田氏などの一族がいました。
 西国の武士を従えた桓武平氏は、保元の乱(1156)、平治の乱(1159)における貴族の内部争いを利用して勢力を広げ政権を握り、これに対し東国武士に信望のあった清和源氏は、治承4年(1180)高倉宮以仁王の平氏追討の令旨を掲げて、源頼朝が伊豆で挙兵しました。
 伊豆・相模の武将の援軍を得て300余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を平氏方大庭景親の軍勢3,000余騎に、後方を伊東祐親の300騎に挟まれ大苦戦となりました。これが「石橋山の合戦」です。
 頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野五郎景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、10倍を超える敵の軍勢に頼朝方は敗れ、箱根山中に逃れた後、真鶴から海路安房(千葉県)へ向かったのでありました。

佐奈田霊社

 石橋山の合戦で、頼朝方の佐奈田与一義忠は敵将の俣野五郎景久を組み伏せたが、与一の刀は血糊がこびりついて抜けず、その間に敵の長尾新六に討ち取られてしまいました。
 その与一の遺骸を葬ったのが与一塚で、その傍らには、佐奈田霊社が建っています。この霊社は、与一が景久と組み討ち中、味方からの問いかけに対し「たん」がからんで声が出ず、そうこうしているうちに、敵に討たれてしまったという伝承にちなんで、たん、咳、ぜんそく、声に霊験があるとして知られます。このため、芸能関係者の参詣も数多くあります。
 与一が俣野五郎景久を組み伏せた畑が、今でも「ねじり畑」として残っていますが、戦の後この畑の作物はみなねじれてしまうということからこの名になったといわれています。

交通

小田原駅から石名坂行きバス 石橋下車 徒歩10分

詳しいお問い合わせ

佐奈田霊社        TEL:0465-22-8554
小田原市文化財課    TEL:0465-33-1717
小田原市観光課     TEL:0465-33-1521

 

与一塚

 

佐奈田霊社

最終更新日:2016年04月28日

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電話番号:0465-33-1717


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