新・北条五代記

梅の枝のせん定作業

梅の枝のせん定作業

小田原に梅が急速に増加したのは、日露戦争後の明治40年(1907年)以降である。
需要の増加と戦争記念事業として苗が配布されるなどがその原因で、集団的に栽培されたのは、小田原城付近の小峰、谷津、下曽我等であるが、小峰が住宅地となってその姿を消した。
品種は、明治時代は白加賀、紅加賀、豊後、青軸、養老、紅梅などであったが、現在は、白加賀、杉田、十郎、曙などがその中心となっている。

識別子 ODA20120219
年代 1974(昭和49)年
地域 川東北部地域
撮影場所 小田原市 曽我梅林
カテゴリ 産業・観光
自然・環境
関連キーワード 梅干し剪定せん定農業

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