史跡 ・田島及び羽根尾横穴古墳
田島及び羽根尾横穴古墳(市指定 昭和53年3月4日)
【所在】羽根尾・田島
【形状等】
田島横穴墓群は、現在までに32基確認されていますが、史跡として指定されているのは、そのうちの11基です。これらの横穴墓は、丘陵の南面・西面に口を開く形で存在し、いずれも道路改修工事や畑地造成工事などの際に発見されています。
また、羽根尾横穴墓群は、約160基が発見されていますが、そのうち羽根尾才ノ神の1基を指定しています。この横穴墓は、すでに、羨門(入口)や羨道(通路)を失い、玄室(遺体を安置する場所)が残っているばかりですが、天井部に人家の棟木に相当する形の掘り込みがあるなど、比較的古い形式に属しています。
【概説】
田島の横穴募群は、古くは天和元年(1681)に発見されており(2基)、ここに弁天様が祀られていたことから、田島弁天山横穴墓群とも呼ばれています。その後、昭和32年(1957)に、田島史談会によって調査が行われるまでに全部で12基の横穴墓が発見されましたが、そのうちの1基は埋め戻されているため、田島横穴群のうち、弁天山横穴群11基が史跡となっています。
小田原市域における古墳時代の墳墓には、久野丘陵の円墳群と大磯丘陵の麓に点在する横穴墓群などが知られています。この横穴墓群は、市内では曽我付近から下曽我、田島、国府津、橘へと続き、久野丘陵の円墳群とともに、学術的にも貴重な遺跡です。また、昭和32年に12号古墳から出土した須恵器の自然釉壷や長頚瓶、11号古墳から出土した畿内産の土師器坏などは、相模地方における貴重な資料であり、小田原市郷土文化館で展示されています。
羽根尾横穴墓も、田島横穴古墳と同様に、曽我、田島、国府津から橘地区を経て、二宮町、大磯町そして平塚市域に至るまでの大磯丘陵のふもとを取り巻いて多数点在しています。
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