小田原市

史跡 ・稲葉一族の墓所と鉄牛和尚の寿塔

稲葉一族の墓所と鉄牛和尚の寿塔(市指定 昭和36年3月30日)

所有

稲葉一族の墓所 入生田467/鉄牛和尚の寿塔 入生田454

所在

小田原市入生田303 紹太寺 

形状・概説

稲葉一族の墓所

墓所は、入生田の旧東海道から約700m入った長興山(標高209m)の中腹にあって、360段の石段を登った先にあります。

この墓所は、東西約20m、南北約9mの長方形で、三面を低い石垣で山際を区切り、正面は南を向いていて、石段を登ると正面に3m近い堂々とした8基の墓石が横に並んでいます。

墓石は、正面向かって左から、稲葉美濃守正則、稲葉丹後守正勝の正室、稲葉丹後守正勝、春日局(正勝の母)、稲葉美濃守正則の正室、稲葉丹後守正通の後室、稲葉美濃守正則の長兄、塚田木工助正家の墓および供養塔となっています。

墓および供養塔の型は、美濃守正則だけ位牌型で、そのほかは五輪塔です。

塚田正家は、丹後守正勝の近臣で、正勝の一周忌に殉死したので、その忠節をたたえ、藩主の墓地に葬られました。

 

平成26年7月に倒木により損壊したため、立ち入り禁止となっています。

墓所の周りの斜面には依然として倒木の可能性がある樹木があり、復旧のめどは立っていません。

鉄牛和尚の寿塔

塔の高さは、2.65mあって、二重基壇の上に反花座と請花座を造り、その上に円形板状の塔身が立っています。

鉄牛和尚は、長興山紹太寺の開山(寺を開いた僧)第一祖で、はじめ臨済宗の京都大徳寺の大龍和尚に参禅し、後に黄檗宗の本山宇治万福寺の隠元禅師に師事しましたが、寛文9年(1669)長興山開発のため、稲葉正則に招かれ小田原に来て、紹太寺の開山となりました。元禄13年(1700)8月に死去しましたが、正徳2年(1712)の13回忌に朝廷から生前の功績をたたえられ、大慈普応禅師の称号を賜わった高僧です。

寿塔は、貞享4年(1687)に鉄牛和尚の長寿を祝福して、その門人で紹太寺二世であった超宗和尚が建立しました。

 

稲葉氏は、寛永9年(1632)から貞享2年(1685)まで、正勝・正則・正通の三代約50年間、小田原城主でした。正則は、寛永12年(1635)に父母の追福のため、菩提寺を城下の山角町(南町)に建立しましたが、寛文9年(1669)に入生田に移しました。これが、長興山紹太寺です。この寺は、黄檗宗の巨刹(大きい寺)でしたが、幕末の火災で堂塔が焼失し、荒廃しました。しかし、稲葉一族の墓と寿塔は、当時の姿をそのまま残しており、稲葉氏城主時代の繁栄と紹太寺の盛況をしのぶ貴重な遺跡です。

稲葉一族の墓所の位置図

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鉄牛和尚の寿塔の位置図

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 からの 

最終更新日:2015年08月26日

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