史跡 ・北条氏政・氏照の墓所

北条氏政・氏照の墓所(市指定 昭和32年3月30日)

所有

城山3−7−23 永久寺

所在

栄町2−7−8

形状

墓地内に五輪塔が大(高115cm)・中(高73cm)・小(高67cm)・生害石1個(長115cm、幅78cmー氏政・氏照がこの石上で自害したと伝わっています)・笠塔婆型墓碑1基・石燈篭などがありますが、すべて江戸時代に造られたものです。 

概説

北条氏政は、北条氏第4代の領主。氏照は、氏政の弟で八王子をはじめ5つの城主でした。天正18年(1590)に豊臣秀吉が、北条氏を攻略した際に、時の城主氏直は高野山に追放され、父氏政、その弟氏照の両人は責任を負って自刃しました。自刃の場所は、城下の田村阿安斎邸(南町)で、遺骸は北条氏の氏寺であった伝心庵に埋葬されました。北条氏滅亡後、大久保氏の時代になって伝心庵は寺町(中町)に移され、その跡に永久寺を建立したので、この墓所は永久寺の所有となりました。

なお、この墓所は永く放置されてあったものを、稲葉氏が小田原在城の頃、北条氏追福のため、作り直したものです。それも関東大震災で埋没し、行方不明となりましたが、翌年、地元の有志によって復興されました。

大きい方の五輪塔は、北条氏政夫人の墓と伝えられていますが、確証はありません。

 

稲葉氏が建立した笠塔婆型墓碑には、氏政・氏照の法号(戒名)が次のとおり刻まれています。

 

「滋雲院殿勝岩傑公大居士  天正十八庚寅年七月十一日 北條相模守氏政」

 

「青□院殿透岳關公大居士  北條陸奥守氏照  天正十八庚寅年七月十一日」

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