史跡・石垣山 (いしがきやま)

史跡石垣山指定地リスト PDF形式 :101.5KB
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概説
天正18年(1590)の小田原合戦に際し、豊臣秀吉が小田原城攻略のため築いた城で、「石垣山一夜城」の名でも親しまれています。
石垣で築かれた近世城郭で、箱根外輪山の一角から派生する標高250m前後の尾根上に立地しています。
城は天守台のある本丸、二の丸(厩曲輪)、三の丸、南曲輪、西曲輪、井戸曲輪のほか腰曲輪などの複数の曲輪で構成されており、要所要所に虎口や櫓台の跡も認められて、安土・桃山時代の城郭の特徴をよく示しています。
石垣は、余り加工をしない自然石を使って積み上げる「野面積み」で、城郭石垣としては古い技法です。
特に井戸曲輪の石垣は残りもよく、圧巻です。
また、天守台跡等で多量の瓦が出土しており、天守や櫓が存在したようです。
なお瓦の中には「辛卯八月日」「天正十九年」とへら書きされたものもあり、小田原合戦後も短期間ながら城の造営が続けられたと考えられています。
石垣山城は、その後は使用や改修の形跡がなく、豊臣秀吉が築城した当時の姿をよく伝えており貴重です。
石垣で築かれた近世城郭で、箱根外輪山の一角から派生する標高250m前後の尾根上に立地しています。
城は天守台のある本丸、二の丸(厩曲輪)、三の丸、南曲輪、西曲輪、井戸曲輪のほか腰曲輪などの複数の曲輪で構成されており、要所要所に虎口や櫓台の跡も認められて、安土・桃山時代の城郭の特徴をよく示しています。
石垣は、余り加工をしない自然石を使って積み上げる「野面積み」で、城郭石垣としては古い技法です。
特に井戸曲輪の石垣は残りもよく、圧巻です。
また、天守台跡等で多量の瓦が出土しており、天守や櫓が存在したようです。
なお瓦の中には「辛卯八月日」「天正十九年」とへら書きされたものもあり、小田原合戦後も短期間ながら城の造営が続けられたと考えられています。
石垣山城は、その後は使用や改修の形跡がなく、豊臣秀吉が築城した当時の姿をよく伝えており貴重です。
アクセス
鉄道 | JR早川駅から石垣山農道を経て徒歩約50分 箱根登山線入生田駅から徒歩約60分 |
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バス | 小田原宿観光回遊バス「うめまる号」(年末年始を除く土・日・祝日運行) 「一夜城歴史公園(ヨロイヅカファーム)」下車 JR早川駅から 箱根登山バス「石名坂行」乗車 「紀伊宮下」下車徒歩約25分 |
車 | ・西湘バイパスを湘南方面から 西湘バイパス「小田原IC」で降り、国道1号「山王橋」交差点左折、国道1号を道なり箱根方面へ約2.9km先「板橋」交差点左折、約350m先「ターンパイク入口」交差点左折、約260m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し道なり約1.8km ・小田原厚木道路から 小田原厚木道路「小田原西IC」で降り国道135号方面へ約860m先の新幹線高架手前を右折、約70m先を右折し、道なり約1.8km |
地図
関連情報リンク
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課 史跡整備係
電話番号:0465-33-1718