歴史資料・小田原城絵図(おだわらじょうえず) 11点
市指定 昭和56年3月30日
総説
現在伝わっている小田原城を描いた絵図は、小田原城が築かれたとされる大森氏の時期から戦国時代の北条氏の時期までは存在せず、すべて江戸時代以降のものですが、江戸時代の小田原城の移り変わりが分かり大変貴重なものです。このため、市内に所在する城絵図のうち代表的なもの11点を指定しています。
城絵図は、総構(そうがまえ)以内の城下町まで描いた絵図(城下町図)と三の丸以内を描いた絵図(城内図)に分けられます。
近世城郭の姿を最初に伝える「正保図(しょうほうず)」と、城下の屋敷割りを平面的に描いた「松原図(まつばらず)」系の二つの城下町図が稲葉氏の時代に描かれました。その後、これらの特徴をあわせ持った「貞享図(じょうきょうず)」系の城下町図も描かれ、改修を経て近世城郭として完成した小田原城の姿を表現しています。
後期大久保氏時代には、「貞享図」系の城下町図の藩士名などを改めた「元禄図(げんろくず)」系の城下町図が描かれ、この城下町図は、その後多くの派生図を生むことになります。特に、災害による修築のため、これをもとに城内部分だけを描いた「享保図(きょうほうず)」系の城内図や、江戸中期以降、藩士が個人的に所蔵するために写した絵図など、多くの絵図が伝わっています。
幕末になると、これらの城下町図・城内図は、細密に描写された大型の城下町図である「文久図(ぶんきゅうず)」として集大成されます。
城絵図は、総構(そうがまえ)以内の城下町まで描いた絵図(城下町図)と三の丸以内を描いた絵図(城内図)に分けられます。
近世城郭の姿を最初に伝える「正保図(しょうほうず)」と、城下の屋敷割りを平面的に描いた「松原図(まつばらず)」系の二つの城下町図が稲葉氏の時代に描かれました。その後、これらの特徴をあわせ持った「貞享図(じょうきょうず)」系の城下町図も描かれ、改修を経て近世城郭として完成した小田原城の姿を表現しています。
後期大久保氏時代には、「貞享図」系の城下町図の藩士名などを改めた「元禄図(げんろくず)」系の城下町図が描かれ、この城下町図は、その後多くの派生図を生むことになります。特に、災害による修築のため、これをもとに城内部分だけを描いた「享保図(きょうほうず)」系の城内図や、江戸中期以降、藩士が個人的に所蔵するために写した絵図など、多くの絵図が伝わっています。
幕末になると、これらの城下町図・城内図は、細密に描写された大型の城下町図である「文久図(ぶんきゅうず)」として集大成されます。
◆城絵図作成年代と分類
年代 |
城下町図 |
城内図 |
1614〜1632頃 | ●加藤図 | |
1644〜1654頃 | 正保図 | |
1660 | 万治図(稲葉神社図、●片岡写図) | |
1680〜1683 | ●松原図 | |
1672 | 寛文図(●春日氏図) | |
1675 | 延宝図 | |
1680〜1687頃 | 国立公文書館図 | |
1689 | 元禄図 | |
1702〜1703 | 宮内庁図 | |
1703頃 | 国会図書館図 | |
1700年代 | 原氏図 | |
1734 | ●享保図 | |
1736〜1742 | 仮称元文図 | |
1751〜1763頃 | ●豊田図 | |
1823 | 文政図(●加藤氏図) | |
1827頃 | ●天保図 | |
1845 | ●弘化図 | |
1853 | 嘉永6年修復伺図 | |
1853〜1867頃 | ●文久図 | |
1870年代 | ●明治図 | |
参考 | ||
1890〜1900年代 | 明治公図(二の丸以内) | |
1890〜1900年代 | 弘化図系印刷図 | |
1922 | 御用邸図(大正11年) |
注:●市指定の絵図
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化財課
電話番号:0465-33-1717