歴史資料・二宮尊徳関係資料 3,872点 (にのみやそんとくかんけいしりょう)

県指定 昭和56年2月10日ほか
所在 小田原市尊徳記念館
報徳二宮神社
報徳博物館
内訳 昭和56年2月10日指定 404点
昭和62年2月20日指定 1,359点
平成7年2月14日指定   2,109点

概説

二宮尊徳(正しくは「たかのり」。通称金次郎)は、生涯を通して農村復興に力を注いだことで有名です。
二宮尊徳関係資料

二宮尊徳関係資料

尊徳は没落していた家を青年期に再興した後、小田原藩の家老服部家の財政立て直しを成功させたほか、利子を付けない貸付を行う五常講(ごじょうこう)を生活に苦しむ藩士のために始めるなど、成果を上げました。

これらの業績は藩主大久保忠真にも認められ、やがて、大久保家の分家である宇津家の桜町領(現栃木県真岡市)の復興を命じられます。尊徳は文政6年(1823)に一家で移住し、復興に着手。様々な困難を乗り越え、天保2年(1831)に復興を成し遂げました。
以降も「報徳仕法」(ほうとくしほう)と呼ばれる独自の方法で、北関東各地の復興に力を尽くし、天保13年(1842)には、幕臣に取り立てられています。

その後、嘉永6年(1853)に日光神領(にっこうしんりょう)の復興の命を受け、事業に取り組みますが、病に倒れ、安政3年(1856)10月20日、今市(現栃木県日光市)で70歳の生涯を閉じました。

本資料は、尊徳自身が行った桜町や小田原での仕法関係をはじめ、その人柄や業績に関するもののほか、尊徳の子孫や後継者達に関する資料も多数含まれています。

この情報に関するお問い合わせ先

文化部:文化財課

電話番号:0465-33-1717

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