記者発表 資料
記者発表 資料
| 発信日 | 2012 年 01 月 26 日 | 公開日 | 2012 年 01 月 30 日 |
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| 担当課 | 文化部:文化財課 | 電話番号 | 33-1715 |
| 事業名称 | 小田原城三の丸から堀が発見されました |
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| サブタイトル | |
| 事業内容 | この度、小田原城三の丸にあたる幸田口跡第Ⅶ地点から石垣を伴う江戸時代の堀と、戦国時代の障子堀が発見されました。 (1) 遺跡の名称:小田原城三の丸幸田口跡(こうだぐちあと)第Ⅶ地点 (2) 場 所:小田原市栄町一丁目 (3) 調査原因:マンション新築に伴う本格調査 (4) 調査期間:平成23年11月1日から平成24年1月27日まで 調査地は、小田原城三の丸の北側虎口(こぐち:城の出入り口)にあたる幸田口門の南側に位置し、道路を隔てた南側には二の丸蓮池があります。発掘調査では、江戸時代の石垣を伴う1号堀と戦国時代の障子堀である2号堀のほか、戦国時代~江戸時代の石垣1・溝11・礎石23・井戸1・砂利敷遺構3・硬化面1・竪穴状遺構2・石組水路1・土坑17・ピット43・石敷遺構1が発見されました。 1号堀は、南北方向に延びており、堀に沿って玉石積みの石垣が構築されていましたが、石垣は地震によって崩れたと推定される状況でした。堀底は調査区外に位置するため、確認できませんでした。また、1号堀は、本地点の東側で過去に行われた2箇所の発掘調査でも発見されており、これらのデータを総合すると堀の幅は約20mとなる大きな堀と考えられます。構築された時期は、16世紀末~17世紀前半と推定されますが、この時期の城絵図である『相州小田原古絵図』(「加藤図」1614~31年頃)に1号堀は描かれていません。 2号堀は、東西方向に延びていますが、調査されたのは堀の北半部になります。1号堀に壊されていることから2号堀が古い時期に構築されたことがわかります。堀底には、堀を仕切るように掘り残された堀障子と呼ばれる施設が田の畦のように十字に設けられていました。これまで小田原城で発見された障子堀は、堀障子が1列に並ぶ単列の形態が主体でしたが、今回発見された堀障子が十字に設けられた複列の形態は、平成20年に調査された小田原城八幡山古郭西曲輪西堀(県立小田原高校敷地内)に次いで2例目と、大変珍しいもので、堀の幅も大きいと推定されます。2号堀の時期は、出土したかわらけの年代から、1570~80年代の小田原北条時代と推定されます。 今回の調査での成果としては、1号堀に玉石積みの石垣が発見されたこと、障子堀の形態である2号堀が二の丸蓮池に沿って発見されたことが挙げられます。1・2号堀は、いずれの城絵図にも描かれていない堀であり、どのように展開しているのか明確ではありません。1号堀は、幸田口門の虎口を形成する堀と推定されることから、16世紀末~17世紀前半の幸田口門の様子は城絵図に見られる状況と大きく異なっていた可能性が指摘できます。また、障子堀である2号堀の発見は、これまで十分に分かっていなかった戦国時代小田原城の低地部の縄張り(曲輪の配置)を解明する手掛かりとなる貴重な資料となります。 ※発掘調査は1月27日(金)に終了し、1月30日(月)から現地を埋め戻す予定です。 ※調査成果については、今年の秋に開催する「平成24年小田原市遺跡調査発表会」で広く一般の皆様に公表する予定です。 |
| 添付資料1 | 2号堀(西から) |
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| 添付資料2 | 2号堀(北から) |
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