戦後、太平洋ベルト地帯に存在する農地には、宅地開発と工業開発の波が押し寄せた。
加えて、稲作技術の進歩が毎年米の増収を生み、余剰米対策としての減反政策などに対処して、農業にも多様化が見られるようになった。
特に、この地域は、近郊都市農業といわれる施設園芸が盛んである。温室、ビニールハウスなどの利用によって、果菜類、イチゴ、切り花等が栽培され、栽培面積が少ない割に収益の高いことから、将来性のある農業と見られている。
また、明治末期から栽培されてきた足柄梨は、太平洋戦争中に食糧増産のため伐採されたが、長十郎種を中心に戦後はいちじるしく復興し、栽培方法も改良が進んでいる。