明治時代になると、わが国でも陸上競技、漕艇、蹴球、庭球、野球などが相次いで輸入されたが、小田原地方でも明治28年(1895年)に、日清戦争戦勝記念として小田原~箱根間の「徒競走」が行われている。
また、軟式庭球は、明治35年(1902年)に創立された神奈川県立第2中学校(現県立小田原高等学校)で、校庭に10面のテニスコートを設け、全校生徒がこれを楽しんだという記録が残されており、明治42年(1907年)には町役場職員、学校教員等を会員として小田原庭球会が誕生し、小田原地方の庭球の礎が築かれたのである。