平治の乱(1159年)によって敗れた源義朝の子頼朝は平家方に捕らえられたが、池禅尼の助命によって、翌永暦元年(1160年)伊豆国蛭ヶ小島に流されてきた。治承4年(1180年)8月17日、源頼朝は以仁王の平家追討の論旨をかかげ、北条時政の援けを得て伊豆の目代山木兼隆を夜討ちにかけ、源氏再興の旗揚げをした。そして、近隣諸豪の援軍を得て鎌倉に向かう途中の8月23日夜、石橋山で平家方の大庭景勝の軍勢3,000余騎の急襲にあった。これが「石橋山合戦」である。頼朝勢は北条時政の親子及び土肥実平などわずか300余騎でこれを迎え撃った。