奈良県斑鳩町との交流
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斑鳩町について
斑鳩町は奈良盆地の西北部から矢田丘陵の南端に位置し、南には大和川、東には富雄川、西には竜田川が流れ、水と緑の豊かな自然がまちの風景に溶け込んでいます。
斑鳩町の歴史は古く、聖徳太子が飛鳥から斑鳩宮に移ってきたことで斑鳩の地は一躍脚光を浴びました。中世以降、斑鳩は太子信仰の中心地となり、集落の成立に大きな影響を与えました。近世に入り、法隆寺の門前や龍田村(明治25年から龍田町)は、市や宿場町として栄え、その後、明治の廃藩置県を経て、昭和22年2月11日、龍田町、法隆寺村、富郷村が合併して現在の斑鳩町が誕生しました。
斑鳩町は、世界文化遺産法隆寺をはじめとする寺社や文化財、藤ノ木古墳などの豊かな歴史文化と自然に恵まれているうえに、JR法隆寺駅から大阪へは約40分、奈良へは約12分と近く、また国道25号が町の中心部を東西に走っており、電車や車での移動は大変便利な町でもあります。(斑鳩町ホームページより)
交流の背景
奈良県斑鳩町と小田原市のつながりは奈良時代にさかのぼり、法隆寺を支えた「食封(じきふ)」として、小田原から物資や労役が提供されていたことが史料に記されています。こうした歴史的な縁を背景に、平成22年に法隆寺の大野玄妙管長が小田原市を訪問し、市長との対談の中で交流の提案がなされたことを契機として、平成24年に斑鳩町と小田原市の間で交流協定が締結され、文化講演会や交流事業などが進められてきました。
その後、関係自治体への働きかけを経て、平成29年7月22日には法隆寺境内において、姫路市、朝来市、高崎市を加えた「法隆寺ゆかりの都市文化交流協定」が締結され、食封のご縁を通じた広域的な文化交流が推進されています。
※食封(じきふ):古代の律令制に基づく俸禄制度の一つ。皇族や寺院に俸禄として一定地域の住民の戸を与え、そこから得られる租税を収納し、収入とすることができる制度。
法隆寺ゆかりの都市文化交流協定
聖徳太子が斑鳩の地で国の礎を築き、当時の先進文化の粋をもって建立した「法隆寺」は、千四百年の時を経て、今にその姿を伝えています。
奈良時代の法隆寺の様子を記した古文書には、法隆寺の「食封」として、現在の姫路市、朝来市、小田原市、高崎市の四市の地域が記述され、古代から法隆寺とのゆかりがあったことを知ることができます。
この四市と一町には、それぞれの地域で先人たちの築き上げてきた歴史と文化があります。これらはその地域を理解する上で欠かすことのできない資産であり、そこに暮らす人たちの誇りと愛着を育む重要な要素となっています。
この法隆寺の「食封」の縁(えにし)を契機として、斑鳩町とそれぞれの四都市との間で、歴史的・文化的資産を活用した交流を図り、それぞれの都市の魅力と活力を高めていきます。
1 古(いにしえ)の縁(えにし)を新たな交流の起点として、永らく後世の世代まで引き継いでいくことをお互いに自覚し、住民意識の高揚を図ります。
2 地域資源である歴史的・文化的資産を活用した交流を図り、それぞれの都市との親善を深め、地域の発展をめざします。
平成29年7月22日
兵庫県姫路市長 石見 利勝
兵庫県朝来市長 多次 勝昭
神奈川県小田原市長 加藤 憲一
群馬県高崎市長 富岡 賢治
奈良県生駒郡斑鳩町長 小城 利重
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化政策課 文化交流係
電話番号:0465-33-1703