石垣山一夜城(本丸跡)
天正18年(1590)年3月1日、秀吉は15万に及ぶ大軍を率いて京都を出発した。質量ともに勝る秀吉群の前に、北条軍はつぎつぎと敗退し、同年4月5日、秀吉は北条氏の氏寺早雲寺に入り、そこを本陣に石垣山城の築城を開始し、長期戦の構えに入った。
小田原は、海も山も秀吉軍に囲まれた。戦いが長引くに連れ、北条軍の中に動揺が生まれた。7月5日、ついに氏直は秀吉の軍門に下り、同月11日、氏政、氏照兄弟は切腹、同月13日、秀吉は小田原城に入った。早雲よりおよそ100年にわたる北条氏の治世も、ここに終焉を迎えた。