曽我十郎・五郎兄弟ゆかりの里

宗我神社と尾崎一雄

宗我神社

宗我神社は、曽我祐信が再興したとされる曽我郷六ヶ村(上曽我、曽我大沢、曽我谷津、曽我岸、曽我原、曽我別所)の総鎮守で、江戸時代には小沢明神と呼ばれていました。長元元年(1028)曽我播磨守保慶の建立で、曽我氏の祖先を祀った神社といわれています。
明治に入り、六ヶ村それぞれの鎮守をこの社に合祀し、新たに宗我神社となりました。現在の社殿は、大正12年(1923)関東大震災後に復興したものです。
宗我神社の神主の家に生まれた尾崎一雄(1899~1983)は、昭和12年(1937)に第5回芥川賞を受賞し、昭和53年には文化勲章を受章しました。作品の舞台は生まれ育った下曽我を中心とするものが多く、昭和の代表的私小説家として独自の境地を開きました。
宗我神社の大鳥居付近に建立された尾崎一雄文学碑には、下曽我から見える富士の姿を記した「虫のいろいろ」の一節が刻まれています。


住所 神奈川県小田原市曽我谷津

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尾崎一雄文学碑(宗我神社)

「富士は天候と時刻とによって
 身じまひをいろいろにする
 晴れた日中のその姿は平凡だ
 真夜中
 冴え渡る月光の下に
 鈍く音なく白く光る富士
 未だ星の光りが残る空に
 頂近くはバラ色
 胴体は暗紫色にかがやく暁方の富士」

祖父の代まで神官を努めた宗我神社入口にある尾崎一雄文学碑に刻まれた「虫のいろいろ」の一節です。
病を得た尾崎は故郷の下曽我で闘病生活を送りますが、それ以降の作品には、今まで見向きもしなかった虫や草などの自然に目を向けた作品が多く見られます。毎日伏して過ごしながら身の回りの小さな命に心を向け、しかし心は自由に外を跳ね回っていたに違いありません。


住所 神奈川県小田原市曽我谷津

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経済部:観光課

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