小田原市

市長の日記

市長の日記

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2018年07月19日(木)

モルディブ大使、桜川の皆さん

  17日、4月に新たに駐日モルディブ共和国特命全権大使として着任された、イーブラヒム・ウェイス大使が、着任のご挨拶に来られました。モルディブの公務員・外務官としてキャリアを積まれると共に、オーストラリアでのMBA取得などもされており、経済政策の分野における実務および研究の双方で豊富な経験を積まれてきた方です。
  モルディブ共和国とは、数年前に大統領の初来日に合わせ小田原訪問が企画されたものの、タイトなスケジュール等の理由で実現できなかったことから、当時のカリール大使がお詫びを兼ねてお訪ね頂いたことが発端。以来、水産分野での経済交流なども視野に交流を重ね、昨年10月には東京五輪におけるホストタウンの協定が締結されており、既に同国からの強化選手の受け入れなどが始まっています。
  40歳という若さに加え、誠実で柔和なお人柄がとても印象深い、ウェイス大使。モルディブ共和国と小田原市との関係の更なる深化に向け、より一層の信頼関係醸成と、当面の五輪に向けた具体的な交流事業の進展に取り組んでいくことを確認させて頂きました。

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2018/07/19 11:52 | 未分類

2018年07月18日(水)

箱根八里越え

  16日、公務の休みを利用し、かねてから辿ってみたかった「箱根八里」を歩いて越えました。
  今年5月に、東海道の小田原宿から三島宿までの区間が「旅人たちの足跡残る悠久の石畳道~箱根八里で辿る遥かな江戸の旅路」として日本遺産に認定されましたが、車でこの区間を走ることはあっても、かつての東海道として多くの旅人が徒歩で往還したこの道筋を、今なお残る石畳なども踏みしめながら、実際に歩いてみたいと思っていました。今後「日本遺産」として広くPRしていく上でも、実際に歩いた実感をもって行うことが重要であり、加えて道中に必要な整備課題や、より魅力的に発信する着眼などを得る意味もあって、今回の箱根八里越えを敢行したものです。

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2018/07/18 13:46 | 未分類

2018年07月17日(火)

暑かった3連休

  太平洋高気圧と、大陸からの高気圧に二重に覆われ、日本列島では酷暑の日々となっています。西日本豪雨の被災地では、連日懸命の復旧作業などが続けられていますが、支援する人たちも含め、熱中症などのリスクが高まっており、避難生活や片付けなどで疲労と不安の極みに ある皆さんのことがたいへん心配です。
  小田原でも、暑さに負けず、市民の皆さんによる様々な行事が実施されており、私も複数の会場に足を運び参加させて頂きました。
  14 日は、午後から3つ。まず、オービックビルで開かれた、緑一番街商店会主催による「ヒストリカルセミナー」。北条研究の第一人者である歴史研究家の黒田基樹さんの講演会です。北条五代の顕彰を進める小田原市として、近年明らかになってきた北条五代の善政など領国経営の特徴に関する最新の研究にはたいへん関心がありますが、この日は市民だけでなく広く市外からも多くの参加者があり、専門的な見地からの質疑も行われ、レベルの高いセミナーとなりました。

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2018/07/17 13:43 | 未分類

2018年07月13日(金)

楽友協会解散ほか

  12 日朝、小田原楽友協会の皆さんが来室されました。同協会は、音楽を愛する市民の皆さんが核となり、 1995 年に発足した「小田原室内合奏団」を前身として、 2005 年に改称。国内外で活躍するトップクラスの演奏家による多彩な音楽会を毎年開催され、小田原の音楽シーンをけん引して来られました。新しいホールの構想が立ち上がってからは、「座付きの市民オーケストラ」を目指し、活動を続けて来られましたが、会員の高齢化や減少などにより会の存続が難しくなったため、この 3 月に残念ながら活動を終了。この日は、活動の残金を「市民ホール整備基金」にご寄付頂くとともに、新しく生まれる市民ホールへの期待を託されました。
  来室されたのは、立ち上げ時から中心メンバーだった堀江さん、稲子さん、瀬戸さん、福井さん、石黒さん、鈴木さん、そして指導者としても活躍された白井英治さん。私からは、小田原の音楽を愛する人たちのために素晴らしい音楽会を開き続けて下さったご努力に、改めて感謝と敬意を表し、併せて市民ホールの整備スケジュールがずれ込んでしまい、楽友協会として新たなホールでの演奏会を開いていただけないことへのお詫びをお伝えしました。協会は解散となりますが、会員の皆さんはそれぞれの音楽活動を継続されているので、市民ホールがオープンした暁には、ぜひ何らかの形で皆さんの思いを実現していただきたいと、お願い申し上げました。
  午前中、平成 29 年度に実施された市発注の工事における優良工事施行者への感謝状贈呈式が行われました。山一産業㈱(住吉橋保存修理)、 (有) 奥津造園(富士見小学校グラウンド改修および御用米曲輪修景整備)、 (有)林組(市道 0085 舗装修繕)、(有)菊原建設(下水道長寿命化改築)、中泉商事㈱(市道 0068 舗装修繕)、そして大野興業㈱(小田原テニスガーデン北側コート改修)の、 6 社の皆さん。自治体の財政難の中、老朽化が進む各種公共インフラの維持修繕が待ったなしの状況であり、加えて大阪北部地震、西日本豪雨災害など災害によるインフラのリスクが高まるなか、質の高い公共工事の施工、長寿命化を可能とする丁寧な維持修繕は益々重要になります。優良工事への感謝と共に、引き続き技術力の向上や人材の育成、もって安心安全なまちづくりへのご貢献をお願いしました。

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2018/07/13 11:16 | 未分類

2018年07月12日(木)

氏政・氏照公墓前祭、パリ祭

  11 日は、朝から東京へ。全国市長会の財政委員会・都市税制調査委員会の合同会議に出席。総務省自治財政局長、同省自治税務局長より、国及び地方自治体の財政を巡る状況認識と今後の動きなどについてレクチャーを受けるとともに、国への重点提言の内容確認などを行いました。社会保障関連費用の激増、各種公共インフラの一斉の老朽化など、地方が直面する困難な財政状況に対し、国などの税財源をどのように配分し、課題解決を進めていくのか。現行の税財源で足りない部分を、どのようにやりくりし、あるいは補充していくのか。待ったなしの議論と打開策が必要です。
  午後、北條氏政公・氏照公の墓前祭に参列。北條遺跡顕彰会の皆さんが毎年行っていただいているもので、今年も墓所のある「おしゃれ横丁商店会」の皆さんをはじめ、関係者の皆さんが多数集い、墓前にてご供養をさせて頂きました。今年が小田原開府 500 年、来年が早雲公没後 500 年ということで、北條関係の取り組みが様々に動いていることもあってか、例年よりも集う人たちが多い墓前祭となりました。またここ数年来、氏照公ゆかりの八王子などからも墓参に訪れて頂く方も多くなっています。有難いことです。

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2018/07/12 11:39 | 未分類

2018年07月11日(水)

県内初の水田型ソーラーシェアリング

  9 日、市内桑原の水田に設置された太陽光発電施設と、その下で育っている稲の様子を視察に行きました。
  営農を継続するという条件のもとに、農地の上に太陽光発電施設を設置する「ソーラーシェアリング」は、担い手不足や耕作放棄地対策が課題となっている農業経営の現場において、一定の売電収入を得ながら営農することによる所得向上と、それによる担い手確保や営農継続を可能とする手段として、ここ最近各地で広がりを見せています。小田原では数年前に、福島第一原発からの放射能汚染によって被害を受けた足柄茶の圃場にて、市内第 1 号の営農型太陽光発電がスタート。以来、複数の実績が生まれていますが、水田に設置されるのは今回が初めてであり、これは神奈川県内でも初の取り組みとなります。
  田をわたる夏の風が吹く中、桑原の圃場にて、発電設備設置とその後の稲作を手掛けている、合同会社かなごてファームの小山田大和さんに、これまでの経緯や現在の状況などを聴かせてもらいました。田んぼの持ち主が高齢化し数年間水稲の作付けができなかった田んぼの再開について相談があり、ソーラーシェアリングの実現に向け地権者や行政と相談をしてきたこと、周囲の農家の皆さんに心配をかけないよう、農作業面で注意を払っていることなど、様々な苦労話も含めて、大粒の汗を流しながら小山田さんは語ってくれました。

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2018/07/11 11:41 | 未分類

2018年07月09日(月)

男性がもてなす !? 昼食会

  先週末各地を襲った豪雨による甚大な被害の全貌が、次第に明らかになってきています。亡くなられた方のご冥福をお祈り申し上げるとともに、今なお救助を待っておられる方、安否が確認できない方のご無事を祈るばかりです。また、辛い避難生活がしばらく続くと思われる皆さんの、今後の暮らしがどうなるのか、たいへん心配です。
  5日あたりから列島全体に懸かり続けた梅雨前線の雲は、6日朝にかけて小田原や箱根付近を覆う線状降水帯のような様相を呈していました。その後、関東地方では雨は収束していったものの、雲のかかり方が少し違えば、今回西日本を襲った状況は関東でも十分に起こり得たでしょう。この週末、刻々と報道される、被災された地域の様子を凝視しながら、何か支援できることはないか、小田原での備えはできているのか、考えを巡らせていました。

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2018/07/09 13:05 | 未分類

2018年07月06日(金)

曽我山の風外窟

 6日、曽我山の中腹にある風外窟を訪ねました。
 風外窟の「風外」とは、曹洞宗における代表的な禅画僧である「風外慧薫」(ふうがいえくん、1568~1645頃)」。現在の群馬県安中市に生まれたとされ、幼くして出家、修行や諸国遍歴の後、小田原の成願寺住職を経て、曽我山の岩窟に10年ほど棲み、俗塵を嫌って隠遁修行を続けた孤高の禅僧と言われています。その生涯を通じ、数多くの禅画や墨蹟を遺しており、それらは江戸期の禅画の先駆けでもあって、今なお高く評価されているものです。
今年は、風外慧薫生誕450年ということで、生誕地の安中市、岩窟に穴居し禅画を残した小田原市、真鶴町などにて、風外展が予定されており、風外の研究を続けてこられた各地の皆さんと協力して準備が進めておられます。
 先日、小田原で長年にわたり風外の研究を重ね、風外が籠もったとされる岩窟とその周辺の保全活動などに取り組んできた、田島の野地芳男さんと、禅画や墨蹟に精通されている久野・東泉院の岸達志さん、西さがみ文化フォーラムの小泉政治さんが来室、小田原での風外展に向けた要望を頂き、あわせて風外窟の現状などについて、お話を聴かせて頂きました。田島の集落に程近い場所に横穴古墳があるのは知っていましたが、さらに奥の谷筋に風外窟があることは知らなかったため、秋に向けた準備の必要性の確認の意味も含め、現地を訪ねてみることとしました。

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2018/07/06 17:55 | 未分類

2018年07月05日(木)

横田七郎作品のご寄贈に感謝状

  2日夜、浪江からの帰途に北茨城で宿を取り、 3日の朝 6 時過ぎに出発して帰庁。市役所にて、小田原が誇る彫刻家、故・横田七郎氏の遺した作品をご寄贈いただいた、ご子息である横田八郎さん(元小田原市議会議員)に、感謝状をお渡しし、作品や故人の思い出などを巡り懇談をさせて頂きました。
  2000 年に 94 歳で亡くなられた七郎氏は、その生涯にわたる制作活動を通じて、木彫、版画、素描など数多くの作品を遺しました。自ら作った何種類もの鑿(のみ)を巧みに使い、出世作となった「メザシ」をはじめ、様々な生き物、野菜や果物、そして人物などを、精緻な写実を踏まえながらも味わいと温もりのある意匠で彫り出し、木彫の分野での地位を確立されました。アジアの歴訪からのモチーフも多く、仏像など宗教的なテーマもあり、また象形文字をテーマとした作品も多数あります。今回は、七郎氏が制作に打ち込んだアトリエに遺されていた、数多くの彫刻・版画・素描などの作品と、版木類、さらにはオリジナルの彫刻刀などの道具類も合わせ、ほぼすべての遺作を小田原市にご寄贈頂いたものです。
  感謝状贈呈式の会場には、そのうち特徴的な 2 つの作品が並べられました。ひとつは、象 形文字を彫り出した「日月」。その作品名の通り、「日」と「月」の象形文字を重ねるように、クスノキから彫り出した木彫作品。もうひとつは、「 五つと三つ 」。まだ 5 歳であった八郎さんと、 3 歳だった妹の法子さんが、父親の座布団に二人で仲良く座っている姿が、やはりクスノキの一木から彫り出されています。七郎さんから「動くなよ」と言われ、何時間も座らされた思い出を、八郎さんは懐かし気に語ってくださいました。間近に作品を眺めれば、鑿だけで兄妹の特徴を見事に捉え、写実的でありながら微笑ましい姿に彫り出された技術の高さと、家族への愛情が伝わってきます。
  今回、七郎氏の貴重な作品群をお預かりしたことを受け、作品の多くが木であることから、まずはその収蔵環境の管理に万全を期す必要があります。現在、小田原市では芸術作品専用の収蔵施設がほぼ満杯のため、当面は既存の公共施設内の空間を工夫して受け入れを行っている状態。十分注意して、適切な状態で保管していきます。その上で、この貴重な作品群をできるだけ多くの皆さんにご覧いただくべく、企画展なども計画中。早い段階で、松永記念館などで実現ができるよう、準備を進めていきます。

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2018/07/05 11:55 | 未分類

2018年07月04日(水)

浪江町 馬場町長の葬儀へ

  2日、福島県浪江町の馬場有(たもつ)町長のお通夜へ、弔問に伺いました。
  町長の訃報が届いたのは、6月27日。小田原市から浪江町に派遣している市職員・榎本さんからの一報でした。6月上旬、小田原名産の下中タマネギをお贈りしたことに対するお礼状が届き、併せて馬場町長は入退院を繰り返す中、辞意を表明されていると訊いていたので、副町長の宮口さんにお電話し、ご様子を伺ったばかり。以前患った胃がんがその後悪化したようで、腸閉そくなどを併発し入院加療しているものの、病床から町政への指示を出されていると訊き、辛い状況ながらも頑張っておられる姿を思い浮かべていたところです。ご本人は病状悪化で6月町議会に出席することができなかったなど、町長としての重責を果たせなくなったため6月末日をもって町長を辞職する旨を表明、議会も同意していたのですが、辞任の日を前にご逝去となってしまいました。
  東日本大震災発生後、国からの放射能汚染の情報が得られない中、全町避難を指揮。当初は福島市、その後二本松市に仮庁舎を設け、全国に散り散りになってしまった町民の皆さんの心を繋ぐべくたいへんな努力を重ねながら、町域の多くが帰還困難または避難区域となっていた浪江町の復興に向け、文字通り全身全霊で町長の職責を果たされようとしておられました。全国報徳研究市町村協議会の仲間であり、特に福島第一原発の至近立地である、浪江町・大熊町・飯舘村には、ほぼ毎年お訪ねし、町長・村長の皆さんから復興への状況を伺ってきました。そうした中、馬場町長も度々お訪ねし、苦渋の思いと、原発事故へのやり場のない怒りを直接伺ってきただけに、昨年3月に町役場が浪江町に戻り、これからいよいよ復興への本番を迎える中での町長の強い意欲と、それ故のご苦労を察していたところでした。小田原市からの派遣職員も、第1期の大島さんが2年、そして現在の榎本さんが3年目。全くの微力ながら、町長をはじめとする浪江の皆さんを少しでもお手伝いできたらと、取り組んできたところです。
  葬儀の会場となったのは、南相馬市の葬儀会場。ご遺族、宮口副町長をはじめとする町政幹部の皆さんにご挨拶を申し上げ、棺の中におられた馬場町長に、たいへんなご労苦へのねぎらいの言葉を掛けさせていただきました。町の復興へはまだまだ道半ば、さぞご無念であったろうと思いますが、同時に、町長としてやれることは全てやってきた、あとは頼む、といったご心中だったのではないでしょうか。菩提寺のご住職は読経に先立つ挨拶の中で、馬場町長のご苦労の様子を「まさに尽瘁」と表現されました。町長とお目にかかったときの話題はどうしても厳しいお話が多かったため、あまり笑顔を拝見することは少なかった気がしますが、優しく微笑む遺影に、改めて、心からのご冥福をお祈りいたしました。

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2018/07/04 11:43 | 未分類

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小田原市役所
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電話:0465-33-1300(総合案内)

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