最終更新日:2013年11月05日
足柄茶は、大正12年に起こった関東大震災の産業復興策として、大正14年に清水村(現山北町清水地区)で栽培されたことが始まりとされている。大正13年10月に清水村役場から出された「有望ナル茶ノ栽培」という茶業現地調査報告書に基づき、全村一致で茶の導入を決定した。戦後、神奈川県の産業復興計画でも茶の振興が図られ、今日では、山北町、秦野市、南足柄市、小田原市、松田町、相模原市、清川村、湯河原町、愛川町など神奈川県の西部から県央にまで栽培地域も広がっている。
丹沢・箱根山麓一帯では、新芽が出るころに立つ朝霧が自然の寒冷紗(かんれいしゃ)となり、程良く日光を抑えることで、旨み成分のアミノ酸が多く、苦味の元であるタンニンが少ない、香りの高い柔らかな茶葉が作られる。火山砂さ礫れき土壌もお茶の栽培に適しており、「かながわブランド」や「かながわ名産100選」にも選定されている。
乗用型摘採機で新茶を刈り取る田中さん。
―田中さんのところは何代も続く農家ですか。
そうではないんですよね。親父が分家してから私が二代目なんですよ。本家は大きな農家で近くに分家したんですけど、分家っていったって畑がたくさんあるわけじゃないしね。その当時は蜜柑(みかん)をやってて景気もよかったし、野菜なんかも作ったりして本当に小規模な農家だったんですけど、あちこち畑を買ったり借りたりして増やしてきたんですよね。
―田中さんは今年何歳ですか。
今、61歳ですね。
―お父様は蜜柑農家から始められたのですか。
そうですね、蜜柑をメインでやってたんですけど、そしたら、和留沢(わるさわ)地区の農地を譲ってくれた人がいて、そこに始めは蜜柑を植えるつもりだったんだけど標高が高すぎてだめだと。それで何がいいかって考えて、お茶の木を植えたのがお茶を始めるきっかけなんですよ。開墾なんです。昔からある畑にお茶の木を植えてきたっていうよりは、荒れ地みたいなところを畑に変えて、少しずつ増やしてきたってことですね。
―それは何年ごろの話ですか。
親父が土地を買い始めたのが昭和30年代後半でした。和留沢を買ったのが40年代ですね。
―そのころ蜜柑は相当よかったんですね。
あのころよかったんですよ。この辺の農家の状況を話すときに、必ず蜜柑の景気がよかった後にどうしたかで農業形態ってのが決まってるんですよね。
茶畑に立つ防霜ファン。高いところの暖かい空気をお茶の木に送風し霜害を防ぐ。
―久野周辺の気候はお茶作りに適していますか。
お茶ってね、産地は結構あっちこっちあるんですよね。お茶の木って割と適応能力のある植物だと思うんですよ。今だと南は種子島から北は新潟、茨城まで、九州はもともと紅茶とか作ってた背景もあって、今では国内で2番目に生産量の多い大きな産地ですよね。ちょっと山間地で朝と昼の温度が冷涼で、昼間と夜との気温差が高く、大きな川に面してて霧がよく立つところが旧来のお茶の産地の条件だったんだけども、平地みたいなところは生育がいいんで木の伸びもいい、葉肉も厚い、飲んでみると内容が濃いと。山間地のお茶は葉肉は薄いけど香りが高いとかね、それぞれ場所によって特徴があるんです。最近は平地のお茶もふかしを強くして、茶の旨味成分がぐわっと出るような製造方法でここ20年くらい出荷が伸びてるんですよね。足柄茶も最近は水色をよくするために微妙に強くふかし始めてますけどね、どっちかっていうと針のような形にこだわる浅蒸し系なんですよ。消費者の好みってい
うのかな、微妙に変わってるんですよ。確かにね、山のお茶の本来持っている何ていうか、穏やかな微妙な香りというか、そういうのは山付(やまつ)き※1のお茶のほうが優れてるとは思うんですけど。製造方法の技術なんかも親から子へ子から孫へというように伝えていくし、この畑のこのお茶はこのように揉(も)めとかさ、畑によってもそれぞれお茶の特徴ってあるんですよね。―朝に摘むというのは何か理由があるのですか。
その日に摘んだ生葉(なまは)はその日に加工しないとお茶っ葉が傷むんですよ。摘んだ切り口から酸化してだんだん臭いが出てくるんです。それも萎凋香(いちょうか)※2だっていう評価もあるんですけどね、最近は萎凋香っていうと減点対象になってしまうんで、摘んできたお茶は葉っぱが傷まないうちにできるだけ早く加工しろと。そのためには空気を循環させて、生葉を呼吸させられるような設備も必要なんです。蒸すことによってようやく生葉の発酵なんかが止まるんですよね。
―足柄茶は関東大震災後の復興事業として始まったらしいですね。
当時、山北町も被害が大きくて、震災復興策として、牛を飼うか、蒟蒻(こ んにゃく)作るか、お茶を作るかって中で試行錯誤してお茶に決めたらしいんですけど、足柄茶が地域ブランドになるまでに約30年かかってるんだね。それに比べると、小田原のお茶作りはもっと最近の話なんですね。私が高校を卒業してお茶をやっていくってなったときに、勉強に行ったのはやっぱり山北なんですよ。今でこそ足柄茶っていうと神奈川県全体のお茶を指すんですが、そのころはまだ山北が中心で、茶業センターもそんなに大きくはなかったんですけども、規模を拡大したり、個人工場がどんどん増えていったりしてたころなんですよね。足柄茶の生産が伸びていくときに、そこに個人で工場を持って始められたかたが何人かいらして。生産者が一生懸命お茶を作って足柄茶の茶業センターっていうところが県内の荒茶を一元集荷、加工して販売していくっていう販売態勢ができて、ちょうど上昇期のころだったんですよね。今でいう地産地消みたいなことが当時からできてたんですね。
うちの親父は生産も製茶技術も何にもなかったんで、そこに栽培の勉強に行ったりお茶工場を持ってる農家に泊まり込みでお茶作りを教えてもらいに行ってましたよね。
お茶工場に習いに行ったとき、「おめぇお茶工場を作らないとダメだぞ」ってそこの人に言われたんです。だから、お茶工場を作るのはお茶をやりながらの目標にしなくちゃいけないなということを学んだんです。そういうこともあったんで、最初は中古の最低限の機械で、ちっちゃな工場で始めたんですよね。私が25歳だったかな。親父は工場のことには一切タッチしなかったし、教えてもらえる人もいなかったんで一人で悶々(もんもん)と悩んだりしてお茶作りをやってきたって感じですね。山北の人には随分お世話になりました。今でも私はそのかたたちを尊敬してるんですよね。今ようやくまともな工場になってお茶作りも少し分かるようになってきたかなって、ほんとにそんな感じですよ。
※1:【山付き】 川の片岸が山地になっている場所。山地に連なっている場所のこと。
※2:【萎凋香】生葉をしおれさせたときの独特のあまい香り。
手摘みされた生葉。煎茶の最高級品になる。
―
蜜柑からお茶に移行するって判断されたのはお父様ですか。そうですね。親父がもう蜜柑じゃしょうがねぇからなんて言いながら、そういうところだけは非常に判断と行動が早かったですね。あの当時はね、まだ蜜柑はよかったんですけど、買った土地に自分で価値を見いださなくちゃいけないってこともあったんでしょうね。
―
お茶の生産農家はどこも設備を持っておられるのですか。
昔はあっちにもこっちにも生産者が作った共同の小さな工場があったんですけど、能率が悪いとかでだんだんやめていっちゃったんですよね。それで久野にある農協の工場もそうなんですけども、うちなんかのような拠点みたいな所にお茶っ葉が集まるような状況になってきたんですよ。今はね、久野周辺、片浦、江之浦、風祭、南足柄、荻窪、山北、中には何軒もないですけど御殿場から持ってきてくれる人もいますよ。
ちょうどお茶工場を作ったころから蜜柑も悪くなって、お茶の木を植える人も結構増えてきたんです。昔は自家用のお茶を生産する人がメインだったんだけども、それを商売にする人も増えたんで、それにつれてうちの工場も、農協の久野工場もそうなんですけども、中心的な工場の規模もこの30年くらいで大きくなってきたんですよね。小田原は駆け出しの産地で、技術的にも結構手探りでやってきたっていうのが正直なところですよ。
それと、私は女房の力もすごく大きくて、彼女はお茶場所の生まれでね。私が20代のころ工場始める前に山北でいろいろとお世話になっていて、そのときに縁があったんです。彼女はお茶のこともよく分かってたし、この工場も仕事量が増えてきてこれ以上どうすんのかってときに、「もっとちゃんとやろうよ」って後押ししてくれたんで、あれがなかったら工場もボロボロでやってるかどうか、やめてたかもしれなかったですね。そこでもう1回借金をして、今みたいな工場の基を作ったってとこもあってね。両親の力もあるんですけども、女房の力もすごくでかいなと思ってます。
―
荒茶(あらちゃ)というのはどういうお茶ですか。消費者には仕上げをしたお茶を販売するんですけど、荒茶っていうのはね、その一歩手前の半製品なんですよね。まだ茎も入ってるし、粉も入ってるし、長いお茶っ葉があったりいろんなお茶がそのまま袋に入ってるわけですよ。取りあえず荒茶にして冷蔵庫に入れておけば貯蔵保管ができるんですよ。
―
よい木を作ることと蒸して揉むこととどちらがお茶の味に影響しますか。半分半分ですね。畑でどんな葉っぱを作ってるかっていうのも非常に重要ですしね。でもね、葉っぱに合った揉み方ってあるんですよ。だから、一番茶、二番茶、秋冬番茶(しゅうとうばんちゃ)※3の揉み方はそれぞれ違うんで、ただ同じように機械に生葉を流していきゃあいいってもんじゃないんでね。
お茶を揉むときって五感を使ってるなって思うんですよね。目で見て手で触ってにおいを嗅いで飲んで味がどうかって人間の持ってる感覚みたいなものを使わないとお茶はうまく揉めないんじゃないかなって気がしますね。同じようなお茶っ葉でもその日の温度、湿度によって乾きの状況が違うんですよ。
※3:【秋冬番茶】4番茶の硬化した茶葉。10月の中旬から下旬に翌年の一番茶のために株をならしていく際に刈り取った茶葉。
―
いちばん美味しいのはやはり一番茶ですか。一番茶って、前年、木に蓄えられた貯蔵養分が出てくるんで、いろいろな旨味だとかそういうものが多いんです
よね。出てくる葉っぱのエネルギーが違うって感じですよね。木の中で熟成されてるんですよ。春とともに新芽をくーっと上げてくる植物の力強さってあるじゃないですか。そういう中にお茶の養分が詰まってるんですよ。だから夏に伸びてくる葉っぱとは成分が違うんですよ。―
このお茶っ葉は紅茶にもなるの ですか。お茶って発酵させると紅茶、半発酵だと烏龍茶、発酵させないで蒸し機で蒸したり、釜で煎(い)っちゃって発酵を止めるのが緑茶なんですよね。お茶の原種は大きく分けてアッサム種って南方系のと、日本でも作ってる中国種と2種類あるんですよ。何が違うかっていうと葉っぱの厚みなんです。うちにも紅茶の品種が少しあるんですけどね、
これお茶っ葉かよっていうぐらい形状も色も全然違うんです。摘み取られた生葉は蒸すことで発酵を止める。
蒸されたお茶っ葉は粗揉機(そじゅうき)—揉捻機(じゅうねんき)—中揉機(ちゅうじゅうき)と運ばれ精揉機(せいじゅうき)で熱と力を加え揉まれる。
乾燥機で乾燥され、荒茶ができ上がる。この状態ではまだ茎も長い葉も入っている。
製茶作業では五感を使う。
目で見て触ってにおいを嗅いで、常に機械の音を確かめる。
荒茶に仕上がった後、水色や味を確かめる。
―
東日本大震災の原発事故で放射能が検出されたときはどのような思いでしたか。福島原発は危ないなっていう思いはあったんですけどね。足柄茶にまさか出ないだろうと思ってたんですが、そのころ神奈川県の他のところでは、ほうれん草の出荷停止とか始まってたんで、「足柄茶は大丈夫か?」って言われないうちに県に調べてくれと。そしたら5月11日だったかな、近隣のお茶っ葉からいきなりボーンと出ちゃったんで、まさかまさかでしたね。
―
放射能が検出されたときはどのように対応されましたか。
残ってる新芽は全部刈り捨てですね。作っちゃったお茶は最終的には茶業センターも一旦受け取ったんですけども売ることができないし、処分先もないんですよね。で、そういう農産物についてはお茶畑に刈り捨てと同じように戻せと。埋却(まいきゃく)とか言うらしいんですけど。それで、出荷した量に応じて生産者に荒茶が戻されたんですよ。それが流通しないように香料を混ぜて飲めないようにしてそれぞれが畑に撒(ま)いたんですよね。
その後どうすんのかって話なんだけど、土だとかそんなところに放射能はあんまりなくって、お茶の木から放射能が出てきたんで、切って捨てろって言うんですよね。切れば切るほどデータ的には半分ずつぐらいになっていくんですよ。急激に減ってきたんで、1年間は伸びては切り、伸びては切り、また伸びたら頭をならしてっていう作業を繰り返したんで、平成24年の新茶では出荷オッケーだということになったんですよね。
―
いまだに風評被害も影響しているのですか。そうですね。神奈川県のお茶は放射能がって思われるとやっぱりよくはないよね。それだったら九州のお茶を飲もうかとか、選択肢はいろいろあるわけですから。安全基準は昨年もう大幅にクリアしてますので、安心して飲んでいただいて大丈夫です。
小田原茶業運営委員会のみなさん。
―
お茶作りの中で田中さんなりのこだわりって何かありますか。一つはね、お茶って葉っぱを取っちゃうんで結構肥料を使うんですよ。その中で、私も昔ごみ問題に関わってきた関係があって、ごみを減らすにはどうするのかって話がいろいろあるんですけどね、今までは家庭や事業所から出てくる生ごみなんかみんな燃やしてたわけじゃないですか。それが最近では堆肥化するようになってきて、最初のころはそれをどこが使うのかって話だったんですけども、小田原で『二見』さんてところが食品廃棄物、要するに生ごみを堆肥化するプラントを入れてね、「田中さん使ってくれないか」って言われて、これはやっぱり私が使わないといけないなと思って、できた当初から使ってるんですよ。初めは売れなくて困ってたみたいだけど、「今では知名度も出てきて足りないぐらいなんですよ」という状況らしいんですけども、そういうものを農地に還元するっていうのも農家の大きな仕事だよなっていう気持ちもすごくあるんですよね。
後はね、古いお茶の木を植え替えしたり古い株を新しくしたり、機械化するために畑の圃場(ほじょう)整備みたいなことをやるんですよ。乗用の機械の入らない畑をそのまま続けるのか、それとも機械の入るように畑を変えていくのかってことなんですけども、できるところはどんどん機械が入るように畑の地形を変えてやるんですよ。要するに改植(かいしょく)して基盤整備をしていくってことなんです。そんな大規模でやってるわけじゃなくて自分でやってるんでちょこっとしかできないんですけども、このときに土を動かすと表土がある程度混ざっちゃうんですけど、そういうときに植木屋さんの剪定屑(せんていくず)を堆肥にして、お茶の木がよく育つようにできるだけ投入して新しい畑を作っていく。そういう循環できるようなもので土を作っていくみたいなことはね、結構やってるつもりでいるんですね。改植すると早くても4年、5年経たないと収穫できないんで決断が必要だね。その他に、お茶の新芽は霜に当たっちゃったらもうダメで、当たらないようにするために防霜ファンをつけるかどうかって話ですよね。これも個人でやると1反当たり100万円近くかかるんですけどね、防霜ファンにはお茶の運営委員会みたいなところで集団でやると農林水産省の補助金が付いてるんですよ。ありがたいですね。
品評会に出品するためのお茶を委員会のみなさん総出で手摘みする。
「技人」
温暖な気候と豊かな資源、そして地理的な条件に恵まれたまち・小田原には、いにしえよりさまざまな「なりわい」が発達し、歴史と文化を彩り、人々の暮らしを豊かなものにしてきた「智恵」が今に伝えられています。本シリーズは、その姿と生きざまを多くの人に知っていただき、地域の豊かな文化を再構築するきっかけとなれば、との願いが込められています。
企画:地域資源発掘発信事業実行委員会
・小田原二世会
・小田原箱根商工会議所青年部
・小田原商店街連合会青年部
・(社)小田原青年会議所
・特定非営利活動法人 おだわらシネストピア
・特定非営利活動法人 小田原まちづくり応援団
・小田原市
編集:相模アーカイブス委員会
写真・文:林 久雄
発行:小田原市
問い合わせ:小田原市広報広聴課 事務局(0465-33-1261)
平成25年10月
本書は著作権法上の保護を受けています。本書の一部または全部について著作権者の
許諾を得ずに、無断で複写・複製することは禁じられています。
電話番号:0465-33-1261
FAX番号:0465-32-4640