稲葉一族と長興山の史跡

長興山紹太寺

長興山紹太寺

長興山紹太寺は、江戸時代初期の小田原藩主であった稲葉一族の菩提寺で、宇治万福寺から招かれた鉄牛和尚の開山です。
寛永9 年(1632)、将軍家光は、自らの政権をより強固なものとするため、側近であった幕府老中職の稲葉正勝を関東支配の鍵となる小田原城主としました。正勝の母は、将軍家光の乳母をつとめた春日局でした。しかし、正勝は、入封2 年後の寛永11年正月に38 歳で急死し、家督を相続したのは若干12歳の正則でした。本来であれば、お取りつぶしという事態でしたが、正則が春日局の孫であったため相続が許されたと考えられています。
正則は、寛文9 年(1669)、城下の山角町(南町)にあった菩提寺を入生田に移転拡大し、長興山紹太寺と名付け、父母と春日局の霊を弔いました。往時は七堂伽藍の整った大寺院で、黄檗宗独特の広大な庭園が美しい寺院であったと伝えられています。
しかし、幕末の火災によって建物が焼失し、現在では子院の清雲院が紹太寺の寺号を継いでいます。
360段の石段を登り、うっそうと茂る樹々、清流がしぶきをあげて流れる様や、みかん畑の中の巨石などが、かつての紹太寺の名残を今に伝えています。


住所 神奈川県小田原市入生田303

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