最終更新日:2012年03月15日
平安時代の末期、地方には私有地である荘園が増え、律令制度は徐々に崩壊していきました。
荘園を開発した地方の豪族すなわち武士たちは、東国の武蔵・相模に多く、小田原地方には曽我氏、大友氏、小早川氏、中村氏、河村氏、松田氏などの一族がいました。
西国の武士を従えた桓武平氏は、保元の乱(保元元年(1156))、平治の乱(平治元年(1159)) における朝廷内部の争いを利用して勢力を広げ政権を握りました。これに対し東国武士に信望のあった清和源氏は、治承4 年(1180)高倉宮以仁王の平氏追討の令旨をかかげて、源頼朝が伊豆で挙兵しました。
伊豆・相模の武将の援軍を得て300 余騎を従えた頼朝は、鎌倉に向かう途中の石橋山で前方を大庭景親の3,000余騎に、後方を伊東祐親の300騎に挟まれて大苦戦となりました。これが「石橋山の合戦」です。
頼朝方の先陣・佐奈田与一義忠が敵将の俣野景久と対戦したのを発端として戦闘に入りましたが、10倍を越える敵の軍勢に頼朝方は破れ、箱根山中に逃れた後、真鶴から海路で安房(千葉県) へ向かいました。
住所 | 神奈川県小田原市石橋 |
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