最終更新日:2021年11月25日
かつて、人間が客車を押すという世界的にも珍しい鉄道が、小田原~熱海間を走っていました。
明治28年7月に熱海~吉浜間で営業を開始し、翌29年3月に熱海~小田原間が開通しました。
当時、熱海は温泉宿約30軒ほどの保養地で、政財界の大物や文人が盛んに訪れていました。しかし、東京・横浜方面から熱海に至るには海沿いの険しい道(熱海街道)を歩くか、駕籠か人力車を利用していました。そこで、熱海の旅館業主を中心に地元有志や京浜の実業家等が小田原熱海間に鉄道計画を興し、経費も安価であったことから人車鉄道を建設しました。
豆相人車鉄道と呼ばれ、小田原熱海間25.6km。駕籠で約6時間かかっていたところを約4時間で走りました。
豆相人車鉄道は、1車両に客は平均6人、それを2~3人の車夫が押していました。6両編成で、小田原熱海間を日に約6往復し、急な上り坂になると、客も降りて一緒に押したというのどかな風景も見られました。雨宮敬次郎を社長とする豆相人車鉄道株式会社として事業に当たっていましたが、明治41年8月に軽便鉄道に転身し、約3時間の所要時間になりました。
しかし、大正12年に起きた関東大震災によって軌道は寸断され、復旧を断念。翌13年に鉄道事業の幕を閉じました。
豆相人車鉄道の小田原駅から3番目の駅である根府川駅跡には、上図の表示板、米神駅跡と江之浦駅跡には表示タイルが設置されています。当時の根府川駅前には、三河屋旅館などもありました。
根府川にあります宿泊施設「離れのやど星ヶ山」には、復元車両が展示されています。
電話番号:0465-33-1521