清閑亭(旧・黒田長成別邸)
詳細協議の進捗状況(令和5年7月現在)
これまでの協議経緯
令和3年(2021年)7月 | 清閑亭利活用事業者の決定(株式会社JSフードシステム) |
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令和4年(2022年)2月 | 小田原市建築審査会(建築基準法の適用について報告) |
4月 | 小田原市建築審査会(保存及び活用について審議) |
11月 | 小田原市史跡小田原城跡調査・整備委員会(活用に伴う現状変更について審議) |
令和5年(2023年)2月 | 小田原市史跡小田原城跡調査・整備委員会(活用に伴う現状変更について審議) 小田原市建築審査会(保存及び活用について報告) |
4月 | 文化庁文化審議会(活用に伴う現状変更について審議・許可) |
5月 | 小田原市建築審査会(保存及び活用について審議、適用除外の指定) |
今後の予定
- 関連法令(食品衛生法、消防法、建築基準法等)の整理
- 利活用に向けた改修工事の実施
- 株式会社JSフードシステムと小田原市での建物等賃貸借契約の締結、開業
一般公開終了のお知らせ
清閑亭は、令和4年(2022年)3月31日(木)をもちまして現在の一般公開を終了し、同年4月1日(金)より休館となります。
電話番号(0465-22-2834)もご利用いただけません。
清閑亭に関するお問合せは小田原市文化部文化政策課(0465-33-1707)にお願いします。
平成22年(2010年)の一般公開以来、多くの皆さまにご来館いただきましたことを改めてお礼申し上げます。
なお、今後は、「食」を通じて「小田原ならではの文化」を発信するとともに、小田原観光の回遊拠点の一つとして地域連携を図り、持続可能な形で建物を維持保全していくことを目的とする「小田原別邸料理 清閑亭」としての開業に向けて、小田原市と民間事業者で協議を進めていきます。
清閑亭は、明治時代に活躍した黒田長成(ながしげ)侯爵の別邸として、1906年(明治39年)に神奈川県足柄下郡小田原町(現・小田原市南町)に建てられました。
旧小田原城三の丸外郭土塁の南向き傾斜地に位置しており、晴れた日は母屋から真鶴半島や大島を望む相模湾や箱根山を一望できます。
建物は、格式ばらない数寄屋(すきや)風の造りで、平屋と二階家が連なっています。建物内には板絵襖や網代組天井など優れた意匠も見ることができます。
政治家・黒田長成侯爵
黒田長成は、1867年(慶応3年)5月5日、筑前福岡藩主・黒田長知の長男として生まれました。
明治維新後、福岡から東京へ上京し、1878年(明治11年)に慶応義塾へ入学。1880年(明治13年)に慶応義塾を中退し、1885年(明治18年)にケンブリッジ大学に入学、1887年(明治20年)に学士号を取得し卒業します。
その後、宮内省の式部官、貴族院議員、修猷館(しゅうゆうかん・福岡藩の藩校で、現福岡県立修猷館高等学校)の第3代館長を経て、1894年(明治27年)から1924年(大正13年)までの約30年間にわたり、貴族院副議長を務めました。1924年に枢密顧問官に任じられると、以後、終生その官に身を置き、1939年(昭和14年)亡くなりました。
黒田は号を桜谷(おうこく)とし、漢詩集『桜谷集』をはじめ、多くの漢詩や書を遺しています。また、東京都港区赤坂の本邸のほか、福岡市、小田原市、沼津市にも別邸を構えていました。(清閑亭以外は現存していません。)

黒田 長成
(国立国会図書館所蔵)

黒田 官兵衛
(福岡市美術館蔵・黒田資料)
黒田長成は、豊臣秀吉の家臣であった黒田官兵衛の直系でもあります。
建物紹介
2005年、清閑亭は国の登録有形文化財となりました。
開館時間 |
現在休館中 |
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休館日 |
現在休館中 |
入場料 |
現在休館中 |
アクセス |
JR、小田急線、大雄山線、箱根登山線「小田原」駅より、徒歩15分 ※駐車場はありません |
住所 |
神奈川県小田原市南町1-5-73 |
電話番号 |
現在ご利用いただけません |
この情報に関するお問い合わせ先
文化部:文化政策課 文化政策係
電話番号:0465-33-1707