UK04-001-044
歌川広重
東海道五十三次・小田原・酒匂川(保永堂)
大錦横絵(初摺)
天保前期(1830〜36)
初摺と後摺では画面に登場する人物の数が異なる。面白いことに、後摺の方が人数は多く描かれ、右下には蓮台も描かれている。
初摺(右)と比較すると、印の種類や画面の色調がまったく異なるのがわかる。一般に流布して有名なのは、右の初摺である。
小田原から見える箱根の山々の形も、初摺と後摺ではまるで異なる。城(おそらく小田原城)の3つの櫓を目印に、上の絵も下の絵もほぼ同じ場所なのだが、まるで山容が異なっている。
今でも酒匂川の土手には、同じような枝ぶりの松並木を見ることができる。
蓮台は使わない時には図のようにたてかけておいたらしいことがわかる
普段はこのように橋がないが、冬の水が冷たい時期や、朝鮮からの海外使節等が通過する時には、臨時に橋が架けられたこともある。
作者歌川広重の落款。酒匂川を描いた広重の作品は多い。城下町としての小田原よりも、小田原の手前にある酒匂の渡しの不便さが、小田原というと酒匂川を連想させるほどの強い連想作用を持っていたようだ。
蓮台は使わない時には図のようにたてかけておいたらしいことがこの図からもわかる。
衣装の模様の繊細な摺りに注目
作者歌川広重の落款等
下段は後摺
後摺の全体図
双筆(そうひつ)とは、二人の浮世絵師が一つの作品を競作したものをいう。この作品の場合、酒匂の渡し場を描いた上半分が歌川広重の作品、下半分は歌川豊国(三代)の作品となっている。