海の城下町

海の城下町

うみのじょうかまち

江戸時代、海に面した城下町小田原は、海辺には松が重なり、青い海原には何艘もの白帆が浮かぶ、美しい海岸風景がひろがっていた。
国府津から根府川に至る沿岸の村々では漁業が盛んで、鰹・鯵・鮑・鰤・烏賊等、豊饒の海から多くの海産物がとれた。その中から「鰹のたたき」「烏賊の塩辛」「かまぼこ」など全国的な名産物に数えられるような小田原の特産物も生まれていった。

海の城下町に関しては5点(内1点は再掲)の浮世絵作品をご覧いただけます。

五十三次名所図会・小田原海岸漁舎

大錦竪絵

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UK06-001-066
歌川広重
五十三次名所図会・小田原海岸漁舎
大錦竪絵 安政2年(1855)

大錦竪絵の左側(部分)
大錦竪絵の中央(部分)
大錦竪絵の下(部分)
 

東海道五拾三次・小田原(狂歌東海道)

中判横絵

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UK06-002-067
歌川広重
東海道五拾三次・小田原
(狂歌東海道)
中判横絵 天保後期(1837〜43)

中判横絵の左側(部分)
中判横絵の中央(部分)
中判横絵の右側(部分)
 
中判横絵の上側(部分)

東海道を描いた広重の作品は多いので、どの作品かをすぐに示すために通称がある場合がある。この作品は狂歌東海道と呼ばれるが、それは左上部分にこのように狂歌が書き込まれているからである。

 

東海道名所・小田原海濱漁網

中判横絵

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UK06-003-068
歌川広重
東海道名所・小田原海濱漁網
中判横絵 天保後期(1837〜43)

中判横絵の中央(部分)
中判横絵の左側(部分)
中判横絵の右側(部分)
 

東海道小田原(御上洛東海道)

大錦竪絵

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UK06-004-069
二代広重
東海道小田原(御上洛東海道)
大錦竪絵 文久3年(1863)

大錦竪絵の中央(部分)
大錦竪絵の中央(部分)
大錦竪絵の右側(部分)
 

山海目出たい図会・相州鰹魚釣

大錦竪絵

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UK06-005-070
歌川国芳
山海目出たい図会・相州鰹魚釣
大錦竪絵 弘化4年〜嘉永5年(1847〜52)

大錦竪絵の右側(部分)
大錦竪絵の中央(部分)
 
 
大錦竪絵の左側(部分)

背景には鰹漁が描かれている。小田原と鰹の関係は深く、北条氏の時代にも名産であった。

大錦竪絵の中央(部分)

この作品の作者歌川国芳の落款と改印

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